番外 「かつての姿」が偲ばれます、昭和58年時刻表より参考、鹿児島線熊本~鹿児島間当時の運行形態 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 JR九州の鹿児島線熊本駅以南と言いますと、現在は短編成された列車が見られておりまして、基本的に2両ワンマン、運行列車によりましては4両編成と言う姿も見る事ができております。

 

 以前は、特急列車「有明」や普通列車など長編成の姿が見られたものでありまして、一部2両もしくは1両各編成が見られてはいたものの、後述の使用車両では3両固定編成となった車両も見られてもいまして、ワンマン運行に関しましてもJR化後に導入されておりますので、それまでの間は短編成がそんなに見られていなかった事も伺わせております。

 

 その現在の主な使用車両も、(大牟田方面~)熊本~八代間が画像1の815系電車、画像2の熊本地区の緑「CT」であります817系電車、川内~鹿児島中央間が青「CT」の817系電車でありまして、815系電車(北側のみ)・817系電車ではワンマン運行が行われております。

 

 (817系電車)~鹿児島地区

 

 

 そして、平成16年に鹿児島線から分離されました肥薩おれんじ鉄道肥薩おれんじ鉄道線では画像のHSOR-100形気動車などによりまして(新八代~)八代~川内(~隈之城)で運行されておりまして、運行列車のほとんどはワンマン運行でもあります。この後ご紹介しますように、かつては特急列車も多く運行されておりましたこの区間でもありましたが、全体を通してローカル感が見られるようになっているのも仕方がない所ではありましょうか。

 

 (HSOR-113A)

 

 (HSOR-107A)~「くまモン」ラッピング

 

 

 そんな鹿児島線の熊本駅以南、そして肥薩おれんじ鉄道線でありますが、先述のようにかつて特急列車が運行されていた頃は賑やかな姿が見られておりました。今回は、私が所蔵します昭和58年時刻表を参考にしまして、この時刻表からもわかる姿に関しまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 以下画像が、昭和58年の鹿児島線熊本駅以南の時刻であります。この頃の優等列車は、現在は廃止されました「有明」が西鹿児島(現・鹿児島中央)駅発着で多く運行されていた頃でもありましたし、寝台特急列車の「はやぶさ」・「明星」・「なは」が見られていた頃でもありましたし、急行「かいもん」も運行されておりました。特に、寝台特急「なは」に関しましては583系電車で運行されていた頃でもありまして、そう言った事もありまして、「有明」には583系電車による運用も見られておりまして、昼間座席・夜間寝台の「二刀流」も見られておりました。

 

 (下り、熊本→西鹿児島→鹿児島)

 

 (上り、鹿児島→西鹿児島→熊本)

 

 

 では、それ以外の普通列車・急行列車より、時刻表の姿をご紹介してまいります。まずは赤点の部分でありますが、この赤点の列車はいずれも現在は廃止されております鹿児島交通旧枕崎線(伊集院~枕崎間)に乗り入れていた列車を表しておりまして、3往復が西鹿児島駅へ乗り入れておりました。このような私鉄~国鉄乗り入れは、九州最後の姿が見られてもいましたが、この年の豪雨災害で旧枕崎線が被害があった事もありまして、翌昭和59年に廃止された事から姿を消しております。

 

 この年の時刻表では、枕崎駅着の列車あれば青点にありますように枕崎駅発の列車も見られておりまして、枕崎駅発に関しましては指宿枕崎線を経由しまして出水駅まで行く系統も見られておりました。それにしても、1つのページにそう言った姿が見られていたのも、今となれば面白い形でもあったかもしれません。

 

 ちなみに、上の画像の橙点で記されておりましたのは、現在はいずれも廃止されております宮之城線(川内~宮之城~薩摩大口間)・山野線(水俣~薩摩大口~吉松間)の乗り入れ列車を表しておりまして、鹿児島線からの直通列車も実際に存在しておりました。尚、先述の枕崎駅発出水駅行きの列車も、指宿枕崎線の運用から翌日山野線の運用に入るために存在していた運用でもあったようでして、いわゆる送り込みの姿もこの当時見られていたようです。

 

 

 さらに、緑点で記されておりますのは、現在はいずれも廃止されております急行「くまがわ」・「えびの」を表しておりますが、これら車にはいずれもグリーン車が連結されておりました。尚、他にも豊肥線急行「火の山」や久大線急行「由布」にもグリーン車が連結されておりましたが、いずれも自由席で扱っていたものの、翌昭和59年に連結が廃止されております。

 

 

 そして、上の画像の黒点で表しておりますのは、客車普通列車の長距離列車を表しておりますが、中でも鳥栖→西鹿児島間を運行しておりました125レに関しましては、鳥栖駅を10時12分発、熊本駅を13時13分発、八代駅を14時01分発、そして西鹿児島駅には18時57分着となっておりまして、8時間45分もかけまして運行されておりました。尚、使用車両は客車は旧型客車、牽引機は画像のED76形電気機関車であったようであります。

 

 

 この他の運行列車に関しましては、画像の急行格下げの475系・455系各電車(画像はJR化後、当時はローズピンク塗装)や、非電化区間乗り入れの当時は朱色でありましたキハ20系気動車、キハ45形気動車、キハ23形気動車、そして当時最新鋭のキハ40系気動車が運行されていたようであります。

 

 

 今回は、国鉄時代でもありました昭和58年当時の時刻表を参考にしまして、当時運行されていた列車の姿をご紹介しましたが、現在肥薩おれんじ鉄道線であった区間も鹿児島線を名乗っていた頃の姿が偲ばれる所でもあります。現在は残念ながらそう言った系統自体当然の事ながらありませんが、今となればご紹介しました鳥栖→西鹿児島間など、魅力的な姿が当時は見られていた訳でもありますので、旧型客車でもあった事から乗車するとなりますとどうだったのかなとも思ったりもする所でもあります。ご覧の皆様も、かつてそうだったのかと思われた方も多いと思いますが、実際見られていた事を存じていただければと思います。

 

 (注)時刻表画像が見にくい際は、画像をクリックしてご覧ください。