番外 引退前の平成24年3月に撮影・乗車をしていました、山陽新幹線100系新幹線電車引退直前の姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 昭和60年から東海道・山陽両新幹線で運行されておりました100系新幹線電車、平成2年から同じく東海道・山陽新幹線で運行されておりました300系新幹線列車が平成24年に揃って引退しましてから早11年になりました。
 
 このうち100系新幹線電車は、昭和60年に0系新幹線電車に代わる新たな「ひかり」専用車として登場しました新幹線電車でありまして、国鉄→JR東海では16両×57編成912両、JR西日本では「グランドひかり」の愛称で、16両×9編成144両それぞれ導入されまして、合計で1056両導入されました。
 
 当時の100系新幹線電車の売りは、何と言いましても2階建て車両ではなかったかと思います。この2階建て車両は、JR東海に導入されていた車両は、16両連結してあった中の8号車・9号車に連結してあったもので、8号車にX編成は食堂車、G編成は1階にカフェテリア、2階にグリーン車、9号車に両編成グリーン車が連結してありまして、それぞれ1人~4人用の個室(X編成は3人用まで)が設置してありました。
 
 またJR西日本に導入されました車両であるV編成につきましては、2階建てはなんと4両、食堂車が8号車、グリーン車が7・9・10号車の2階、7・9・10号車の1階は普通車指定席となっておりました。
 
 
 こうして、合計1056両導入されまして、東海道新幹線・山陽新幹線の中心的な存在として運行されておりましたが、その後300・500・700系各新幹線電車の導入によりまして、両数は徐々に減っていきまして、その結果東海道新幹線からは平成14年には撤退しまして、山陽新幹線のみの運行となりました。
 
 
 一方、その山陽新幹線におきましては、既に短編成化されておりました0系新幹線電車の置き換えのために6両もしくは4両の100系新幹線電車が登場しまして、その結果以下画像の塗装変更車も登場しておりました。
 
 そんな4両・6両編成の車両も、徐々に両数は減ってまいりまして、平成23年に4両のP編成の最後の車両が運用離脱しまして4両編成は全廃しまして、平成23年11月末には6両のK編成の上の画像の塗装変更車の最後の車両が運用離脱しまして、最後まで残りましたのが白青塗装の3編成(K53~K55編成)となっておりましたが、ご紹介しておりますように平成24年に全車運用を離脱・廃車となっております。
 
 
 さて、ここまで100系新幹線電車のこれまでをご紹介してまいりましたが、これからはちょうど10年になります平成24年3月の改正前に2日に渡りまして撮影しておりました、最後の撮影・乗車の模様を過去の画像より皆様にご紹介してまいります。尚、ここからご紹介します列車番号は当時のものですのでご了承いただきたいと思います。
 
 
 まずご紹介しますのは「こだま827号」→博多南線の列車であります。ホームには博多南駅へ向けて乗車されますサラリーマンやビジネスマンと思われます方がカメラで撮影されている姿も見る事ができておりました。
 
 (発車標)
 
 (入線時)
 
 (行先)
 
 この時撮影しておりました編成は、K54編成でありました。これまでの他のK編成の中では、私自身一番撮影していた機会が多い編成でもありましたが、こうして最後まで活躍している姿が見られていただけでもよかったのではないかとも思う所でもありました。
 
 こうして、博多南行きの列車は博多南駅へ向けて列車は発車していきました。私自身この翌日も乗車する事になる訳ですが、日に日に運行される機会がなくなって行く事を思いますと残念でならないような印象でもあった事を覚えております。
 
 
 翌日は、「こだま852号」、そして最後の乗車をする事になります「こだま855号」の撮影を行っておりました。まず、「こだま852号」からの撮影であります。
 
 この時の入線ホームは画像にありますように12番ホームとなっておりました。しかし、元々平成23年改正時には14番ホームにホームが設定されていた訳ではありましたが、300系新幹線電車で運行しておりました「こだま734号」の入線が早くなった事で、乗場も変更されておりました。
 
 
 画像は、こだま 小倉の行先です。この編成ではかつてのV編成の流れからLED行先となっておりましたが、その姿を見ましても、カラーである事もありまして、幕式よりも先進的な印象も感じさせてしまう所でもありました。
 
 
 こうして、この数分後に「こだま852号」は発車して行きました。本当に、このような姿も短編成になってしまったとは言えども、やはり高速列車だなと言う印象を感じさせる姿でもありました。
 
 
 さて、私はこのあと300系新幹線電車で運行されておりました「こだま734号」に乗車しまして、小倉駅に到着後すぐに「こだま852号」の折り返し列車でもあります「こだま855号」で博多駅へと戻っておりました。
 
 この車内にあります、電話があった跡です。かつては公衆電話が主流であった時代もありましたが、この頃でも携帯電話の普及によりまして、この公衆電話が不要になってしまっていた訳でもありますので、このように撤去されている姿は何とも寂しいような印象を感じさせてしまう所でもありました。
 
 
 こうして「こだま855号」の博多駅到着直後に撮影を行いましたが、もうこのように撮影できない事を思いますと残念でなりませんでした。本当に、とんがった鼻が印象的でもありました100系新幹線電車らしさがよく出ている姿のようにも感じさせてしまう所でもありました。尚、この列車はこのあと博多総合車両所まで回送しまして、夕方の運用まで休む事になりますが、その下の「回送」の画像が、100系新幹線電車最後の撮影画像となってしまいました。
 
 (「回送」)~これが最後の撮影画像です。
 
 
 その後、100系新幹線電車は平成24年3月14日で定期運用を終了しましたが、その2日後の3月16日には臨時「ひかり」として博多~岡山間で運行されましたが、これが100系新幹線電車として最後の運行となりました。そして、結局全車廃車となりまして、昭和末期から平成の20年代にかけまして27年にわたり運行してまいりました100系新幹線電車に終止符が打たれる結果となりました。
 
 
 今回は、平成24年の100系新幹線電車の乗り納め・撮り納めの模様をご紹介しましたが、私自身、これまでも何度かこの100系新幹線電車には利用させていただきましたが、何と言いましても2階建て車両であった事が一番印象に残る所でもありました。しかし、残念ながら収めた画像もない事から、そう言った事もありまして画像で物語る事ができないため、それに関しましては正直残念ではなかったかと思っております。とにかく、ご覧の皆様の中にも乗車された事はあった方もいらっしゃるのではないかとは思いますが、当ブログをご覧になりました事で思い返されてみてはいかがかとも思っております。