ぐるっと回る前の秘境、堪能中。
…さて、苦言はやまないが、とりあえずまた駅舎を堪能することにしようか。
今度は友達も出てきたので、共に少し散策しながら歩く。
改札内通路には展望デッキみたいな張り出しがあり、ホームなど構内がよく見える。
それにしても、構内自体はやはりとても広い。
単線時代は、ここで長編成の特急や急行、貨物といった名だたる列車が行き違いしていたのか。
ここは複線化という事情があるにせよ、栄枯盛衰は必然。
この土合も、普段は一日の乗降客数が僅か2桁の厳しい山間の無人駅なのである。
その寂しさを、今の駅の佇まいは無言ながら我々の目の前に示してくれている。
しかし、グランピング施設の設置など、あらゆる手を駆使して集客する作戦もしている。
このような臨時列車の運転も、その一つ。
今シーズンは185系が入ったことで、また注目度が上がったことは間違いないと思う。
かくいう自分も、それが無ければ実際に訪問できるかなぞ覚束なかったから。
なんかの拍子に一瞬ふっと、静寂を感じることがある。
いずれはその一瞬じゃなく、きわめて日常の静寂のある時に改めて訪れてみたい場所になった。
それがやはり、秘境駅の醍醐味なのだろうと改めて思う旅になった。
地方に来ると、改めて自分の日常と明らかに異なるポイントの一つがこれ。
この駅の日常的な利用範囲が、これで事足りてしまうという現実なのだろうか?
あくまでグランピング施設と喫茶は、駅とは別物。
駅自体は無人駅。
その現実を静かに突きつける張り紙。
そして、また来た道を戻る。
実際に歩いてみて、またこうしてみたいとアイデアが次々と湧き出てくる。
ただ、それをできる機会は刻一刻と少なくなっていることに留意しておくことも忘れない。
最初は長いと思っていた停車時間も、歩いて回るとすぐに時間一杯になる。
また必ず来ると心に決めて、今回の土合訪問は全て終了する。
実質孤軍奮闘状態のB6編成、近くに寄るとやはり疲弊は隠しきれないところまで来ている。
遠目には分からないように緑塗装が当てられているが、改めて満身創痍の実状を垣間見た。
…さて、16:07、土合を発車。
今度はいよいよ、この復路最大のサミット・湯檜曽ループ線に差し掛かる。
…と。
爆弾おにぎりとの格闘に必死過ぎて??土合手前の松川ループ線や茂倉信号場のことをすっかり
スルーしまくっていたが、どちらもトンネル内のことで、特に茂倉信号場については座席位置が
反対だったために、眺めることは不可能だったので致し方ない。
この湯檜曽ループ線も厳密に言うと座席が逆側で難儀したが、土合から湯檜曽までは徐行。
特にループ最高部あたりは人が歩く程度の徐行運転となった。
そのループ最高部あたり…は、湯檜曽駅の複線化前までの旧ホーム跡。
複線化後、1984(昭和59)年11月8日までは北湯檜曽信号場となっていた。
なお、清水トンネル内の茂倉信号場もその年の11月1日に“書類上は”廃止となっている。
(線路設備は温存・維持され、冬季の除雪車留置に活用されているらしい)
北湯檜曽信号場跡には、駅舎に通じた階段とホームの躯体が今もなお。
保線作業用の通路として、現在も活用されているようだ。
ここから175段の階段を経て、駅舎に通じていたそうである。
そして、さらにグッと速度が落ちる。
進行方向右手、谷の下を眺めると…
…見えた!これから向かう上り線!!
想像以上に木々が生い茂り、駅の全容を眺めるのは困難。
冬は冬で雪が深くなろうが、是非秋〜春の間に眺めてみたいものである。
…そして、ループトンネルを軽やかに走り、谷の下の最後の目的地へ…