今日は撮り鉄ネタ、丁度30年前、磐越西線の写真をUpしたいと思います。活躍が終わりに近づいていたED77、現役6両が全て運用に入ったというスペシャルな日で重連運転多数でした。DD51の写真なども出てきます。撮影は全て1993年7月です。
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土日乗り放題切符を片手に前日入り、会津若松で1泊でした。写真はホテルの窓から撮影したもの、日曜日に珍しくDD51牽引の貨物列車が運転されていました。朝5時台の到着、週末は当然ウヤだろうと撮影に出なかったんですね~😅。
会津若松駅 5290レ
その後早々に宿を出発、タクシーをお願いして磐梯町へ向かいました。この日は下りの臨客運転予定、となると始発の上り客レが牽引機送り込みのためED77重連運転になるケースが殆ど は経験上分かっていました。結果..期待通りの重連で登場です😁。
どちらかというとこちらのアングルをメインに構えていました。特徴ある中間台車を出したいから です。ED77 13+ED77 15の重連、朝のイイ光線でした。タクシー代を出した甲斐あり だったかな?😁。
磐梯町-更科信 1222レ(2枚とも)
続いてやってくる下り始発列車も客レです。全く予期せずのスーパーボーナスでこちらも重連牽引、ED77 10+ED77 12が50系客車の先頭に立ってきました。朝の下り重連は滅多に無かった..撮影後は小躍りしていたと思います😁。10号機には区名札の右にもう1つ白い票が入っているのが分かります。郡山工場への臨時入場とかだった??
更科信-磐梯町 1221レ
ED77 14+ED77 11の貨物列車、こちらは定期重連です。日曜日はタンク車連結がありませんが車扱列車、JR東日本のナナナナが貨物肩代わり運用でした。これで最後まで現役だった10~15号機、6両のED77全機が運用されたスペシャルな日でした。
更科信-磐梯町 5295レ
上野直通で残っていた485系特急あいづが行きます。最後まで残った東北特急 でしょうか。臨客の時刻が分からなかったので同じ場所で撮影しつつ、待つしかありませんでした😁。
磐梯町-更科信 18M
昼前まで粘ってようやくお目当ての登場、ED77 15 福 牽引の臨客;12系改造車の長座”白樺”です。朝福島に到着し客扱い終了、会津若松へ回送され翌日に備える運用でした。
同じ列車を広角で..会津磐梯山を望めるポイントでしたがこの日は雲の向こうに沈没..でも活躍終了まで残り2か月となっていたナナナナの撮影を楽しめました。
更科信-磐梯町 回9223レ (2枚とも)
その後会津若松から気動車に揺られて東下条へ、降りたことのない駅で降りてみよう だったと思います。非電化区間の客レを撮影でした。
DD51 1182 東新 の牽引 こちらは電化区間と逆でJR貨物所属機がJR東日本の客レ運用を肩代わりしていました。
東下条-五十島 232レ(2枚とも)
キハ58/28のカーペット気動車も行きました。新津所属車、一番最初の写真↑貨物の背後に写っていました。
五十島-東下条 8221D
再び普通列車に揺られて新津へ向かいます。途中五泉で蒲原鉄道の電車を一撮、乗車中の気動車窓を開けての撮影でした。モハ61と読めます。渋い感じですね~。ちょっと調べたところ、西武鉄道からの譲渡車だったようです。
その後新津-長岡経由で東京へ戻りました。丁度30年前の楽しい思い出でした。
最後までご覧いただきありがとうございました。