川正跨道橋の翼壁が思ったより上手くできたおかげで、だいぶ前に作った川正城の石垣が気になって仕方ありません。
並べてみると、その出来栄えの違いは一目瞭然。どうにも我慢ができず、思い切って石垣を改修することにしました。
いつもなら、ここでグーグルマップを活用した現地視察に出かけるのですが、城郭なら身近にあります。そう! 有馬21万石の居城、久留米城です。
早速、久留米城の石垣をお見せしたいところですが、その前に古写真を写真をお目にかけます。
地元では、久留米城ではなく ”篠山城”と呼ばれることが多いので、以下、篠山城と書きます。
上の古写真は、篠山城の本丸です。
右端の三重櫓が天守代用と思われる”巽櫓”です。本丸には、この他に三重の櫓が5棟築かれ、櫓の間は、写真のような2階建ての廊下(二重多聞)で結ばれていました。本丸全体が二重多聞で結ばれた城郭は、恐らく日本唯一でしよう。
さて、私の密かな郷土自慢を披露したところで、篠山城の石垣です。
私がまず注目したのは石垣の色合いです。全体的にはグレー一色に見えますが、よく見ると、一枚一枚色合いが異なり、意外と白っぽい石も多いようです。
そして、石の表面は、全てが平滑に仕上げられているわけではなく、細かな凹凸が目立つ石もあり、その表情は様々です。
大阪城や金沢城、江戸城などに見られる”切込み接ぎ”と呼ばれる石垣は、もっと平滑で石の形もきれいですが、篠山城の石垣は自然石の風合いが残されており、”野面積み”に分類されるのではないかと思います(石垣の積み方:Wikipedia)。
なお、夏の篠山城は、石垣に草が繁茂していますが、拙レイアウトの季節は冬なので、この点は無視することにします。
それでは、篠山城のような石垣を目指して改修に着手しましょう。
まず、櫓下の石垣を作り直します。
今の石垣の上に、新たに作った石垣を貼り重ねることにして、
1.1ミリ厚のスチレンボードを石垣の形に切り出す。
2.ケガキ針を使い、フr-ハンドで石垣の形を描く。
3.1枚1枚の石に表情をつけるつもりで、ジェルメディウムを塗る。
という手順で作業を進めました。ここまでの結果が下の写真ですが、分かりづらいですね。
続いて塗装に映ります。
塗料は、アクリル絵具を使用します。
塗り方を説明すれば、「薄く溶いた絵具をまだらに塗り重ねながら、色合いの違いを作っていき、最後にドライブラシで強弱をつける。」ということになりますが、写真でお分かりいただけるでしょうか? 少し心配です。
4.全体に黄土色を塗る。きれいに塗らず、まだらをつけます。
5.白と黒を割合を変えて混ぜながら、また、水の含ませ方も変化させながら、全体を薄くグレーに塗る。ここでも、まだらに塗ることを心がけます。
6.全体に白のドライブラシをかける。この段階で、石に表情が出てきます。
7.黄土色と黒の絵具を、割合を変えて混ぜながら、さらに、水の含ませ方も変えながら、全体をまだらに塗る。上との違いが判然としませんが、白が落ち着くとともに、石の陰影と目地がはっきりしてきます。
8.濃いグレーと黒のウォッシュをまだらに塗る。写真では分かりづらいですが、黒に近い部分とグレーの部分、ウォッシュがあまり乗らずに薄い部分の変化が出てきます。
9.所々に、濃いグレーや薄いグレー、白のドライブラシをかけ、最後に、ほんの気持ちだけ、微かな黄土色のドライブラシでで全体の調和を整えたら、塗装終了です。
う~ん、分かりにくい説明で申し訳ありません。
作者の目指した「全体的には同じ色に見えながら、一枚一枚微妙に異なる」色合いは、何とか表現できたつもりですが、いかがでしょうか?
作った石垣を櫓下に貼り付けて、第一期工事の完了です。全ての石垣の改修には、まだまだ時間がかかりますが、他の工事も沢山あるので、合間を見て施工しようと思っています。
小学生の頃、鉄道好きの仲間や歴史が好きな友達、ある時は転入生を引き連れて、篠山城を訪れました。
篠山城からは鹿児島本線が見えました。当時、583系の「有明」が私達のスターでした。
その頃を思い出して、川正城から583系を眺めてみました。
石垣を改修するなんて、また回り道に入り込んでしまいました。
鉄道模型を始めて四十数年、TMSのレイアウトコンペ(昔は”コンテスト”でしたね)に応募したいと思い続けていますが、一体いつになったら、応募できるんでしょうね?