NO.2869 平戸のバス・フェリーのターミナルです、平戸桟橋ターミナルでのそれぞれの発着シーン | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 かつて、長崎県平戸市の平戸島は本土とはつながっておらず、平戸市内の平戸桟橋と旧田平町(現・平戸市)の平戸口桟橋との間にはフェリーも運航されておりまして、これが平戸島と本土とを結ぶ動脈として存在しておりました。

 

 その平戸島のターミナルが、上の画像にありますターミナルビルでありまして、ここから平戸口桟橋間を10数分で結んでおりまして、その中心としての姿がこの場所で見られておりました。

 

 しかし、昭和52年に平戸大橋が開通しまして、さらに昭和59年にフェリーが廃止されましてからは、これらの桟橋も一つの役目は終わっておりますが、現在も両桟橋からの別の所へのフェリーも運航されておりますし、バスターミナルの機能も平戸桟橋で残されております

 

 その当時のターミナルビルは3階建てでありまして、1階は画像2のようにバスセンターとなっている建物でありました。ちなみに、画像の位置には「平戸商工会議所」と書いてありましたが、反対側には「平戸駅」と書いてありました。これは、かつて旧国鉄時代に乗車券の販売もこの建物内で行われていたためでもありまして、その姿からもまるで自動車駅のような印象でもあったでしょうか。

 

 平成23年訪問当時のバスの路線図・時刻です。ここには西肥自動車(西肥バス)の路線図をはじめ、生月島へ行く生月自動車(生月バス)の路線図も表示されておりました。尚、平戸島内の路線は次回ご紹介しますように大幅に縮小しておりまして、「半急行」などが運行されています佐世保方面は減便されておりますし、平戸島内の幹線でありました志々伎方面も廃止(他に移管)されておりまして、当時はまだ賑やかであった事も実感できます。

 

 (時刻)

 

 

 そして、今回訪問では新たな平戸桟橋ターミナルの姿を6年ぶりに収める事ができておりました。今回は、その平戸桟橋ターミナルで収めましたバス・フェリーの姿を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 平戸桟橋ターミナルは、正式名称は「平戸市観光交通ターミナル」と称されておりまして、いずれも後述のように、バスでは平戸桟橋バス停として西肥バス・生月バス・さつき観光が、フェリーでは平戸港として平戸市フェリー運航の大島フェリー、竹山運輸運航の度島フェリーがそれぞれ発着しておりますし、ターミナル内には平戸市観光案内所も設けられておりまして、平戸市の交通・観光の拠点となっております。

 

 

 そんな現在の建物は平成26年に建て替えられたものでありまして、以下画像にあります待合所では椅子の他、畳敷のスペースもありまして、長時間の待合がある場合にはゆっくりと待つ事ができるそうであります。

 

 

 また、それぞれのカウンターも設けられておりまして、バス利用者・フェリー利用者それぞれの利用者向けにわかりやすいようになっている事がお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 【画像はいずれも平成29年撮影】

 (西肥バスカウンター)

 

 (大島行きカウンター)

 

 (度島行きカウンター)

 

 

 こちらはバスの時刻表です。先述のように、現在平戸ローカルでは廃止された路線が見られておりまして、特に平戸島内の幹線でありました宮の浦・志々伎方面までも廃止されておりまして、この時刻表からは表示されなくなっております。尚、宮の浦・志々伎方面を含みます中南部地域は、現在は「平戸ふれあいバス」に移管されておりまして、交通弱者の足を確保しております。

 

 (平成29年撮影)~その頃からしますとローカル線は減っています

 

 

 また、この平戸桟橋ではさつき観光の福岡へ行くバス停も設けられております。かつては旧平戸バスを母体に、「YOKAROバス」として九州各地へ会員を募りまして乗り放題で運行されておりましたが、路線化後に利用者低迷などにより破綻原点の福岡~平戸間の路線のみ残りまして、引き続きさつき観光に移管しまして運行されておりますが、後述のように、利用者はあまりいらっしゃらないようであります。

 

 

 ここからは、発着シーンをご紹介してまいります。まずは船舶から、画像は平戸市が運営しますフェリー大島でありますが、ここから平戸市に属します(以前は北松浦郡大島村)的山大島まで約40分で運航されておりまして、人口約1200人の島の足をこの船が担っております。

 

 

 次は、竹山運輸運航の度島(たくしま)フェリーであります。この度島も平戸市に属する島でもありますが、その度島と言いますと、古代遺跡やキリシタン遺跡がある島でもありますが、このフェリーも人口約600名の足を担っておりまして、平戸港からは約30分ほどで運航されております。

 

 

 ここからは、バスの発着シーンをご紹介します。まずは生月バスでありますが、平戸桟橋~生月島内へ一日9往復が運行されておりまして、使用車両の中には近年日野レインボーのノンステップバスが導入されておりましたが、今回訪問時には画像の古参クラスの車が使用される姿が見られておりました。

 

 (佐世保22か11-46、日野KC-RR1JJAA)~平成7年式

 

 特にこの車(佐世保200か・539、三菱U-MK516J)の発車シーンを収めておりましたが、画像はありませんが運賃表が幕式となっておりまして、この世の中にも幕式運賃表が存在する事を実感しておりました。そんなこの車は平成5年式で移籍車ではありますが、正直もう少し詳しく収めたかった所ではありました。

 

 

 次はさつき観光(佐世保200あ・131、日野KC-CH1JFAA)であります。先述のように、「YOKAROバス」から引き継いで福岡~平戸間で運行されておりまして、一日2往復で運行されておりますが、この路線は日によって運行時間が異なっておりますし、先述の大島・度島フェリーとも接続しているそうであります。ただ、5月からこれまでのキャナルシティ博多からハーツバスステーション博多に福岡地区の発着場所を変更したようですが、折り返し時間が15分しかなく、正直これまでの「YOKAROバス」みたいに短くて大丈夫なのか気になる所ではあります。

 

 (ちなみに、降車客は3名でした)

 

 

 次は、西肥バスであります。先述のように、廃止・移管路線も見られております平戸ローカル路線でありますが、残った路線では大型・中型それぞれを見る事ができております。

 

 まずは、三菱エアロミディ(F544・三菱U-MK218J改)でありますが、元は神奈川中央交通(神奈中)からの移籍車でありまして、東部営業所からの転属車でありますが、廃車が見られておりますU-規制車がこのように状態もいい形で見られている事は、それほど大切に扱っている事を伺わせる姿でもありましょうか。

 

 次は、現在の平戸方面の幹線でもあります、佐世保~平戸間「半急行」(F565・三菱KC-MP717K改)でありますが、画像の車は元は横浜市交通局(横浜市営バス)からの移籍車でありまして、北部営業所に移籍配置しました後に平戸営業所に転属しております。この車といいますと、他の車でも見られます明太子メーカーのラッピングが大きく見られておりまして、大変目立っている事がわかります。

 

 (「半急行」行先)

 

 (明太子が大きくみられるラッピング)

 

 そして、昨年暮れに導入されました三菱エアロスター(F400・三菱2PG-MP38FK)であります。この導入は、3台導入のうちの1台でありまして、平戸営業所には久しぶりの新製導入車でもありまして、他にはF401も平戸営業所で新製導入、もう1台F402は東部営業所で新製導入でもあります。

 

 この車には、最近の西肥バス新車で採用されております白色LED行先となっておりまして、行先からも平戸ローカルとしての姿を出しております。尚、現在平戸ローカルの南端がその平戸高校前バス停までとなっておりまして、それより南へは西肥バスは運行されておりません。

 

 (リア行先)

 

 (側面行先)

 

 この車はこの訪問時このように平戸ローカルで運行されておりましたが、「半急行」としても使用される事もありまして、佐世保へ足を運ぶ事もあります。やはり、USBポートなど約2時間かかる事でふさわしいものも装備されている事を思えば足を運んでもおかしくないでしょうか。

 

 

 今回は、6年ぶりに訪問しました平戸桟橋ターミナルに関しましてご紹介しましたが、これらを見ましてもバスにフェリーとまさに一体化している印象でもあります。そんなこの地も、冒頭ご紹介しましたように平戸大橋が開通していなかった頃は離れ島であった訳ですので、開通して陸続きとなっている分、バスを中心として現在に至っている事も伺えるのではないでしょうか。残念ながら、現在バスは廃止や減便もありまして規模縮小な面も見られているのが現状ではおりますが、これからも、平戸の中心のターミナルとして、バス・フェリー利用者それぞれに優しい姿を見せていただきたいものであります。