2023.6.17 臨時特急「谷川岳もぐら/ループ」で往く!185系と山と米に戯れる日帰り旅 ② | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

6月17日10:37、臨時特急「谷川岳もぐら」号は、定刻通り大宮駅を発車した。



ポイントをくねくねと渡り、グングンとスピードを上げていく。

その加速ぶりは「草津」や「谷川→水上」で走っていた頃と全く遜色はない。


お馴染みのチャイムに続いて丁寧な列車案内放送が一通り流れたところで、大宮駅のキヨスクで

買い込んでおいたビールとおつまみを開け、ちびちびやりながら走りを満喫する。

ここのところ、旅のスタートあたりに1缶開けるのが恒例化している。

(事前に地元で朝食はそれなりに食べているから、悪酔いすることは無いが)


さて、昨年秋からの特急格上げに際して、特に大宮〜湯檜曽間の停車駅は大幅に整理された。

参考に、快速時代と特急化以降のダイヤを比較してみることにしよう。


                    快速 特急

大 宮  10:03 10:37

上 尾  10:13

桶 川  10:19

熊 谷  10:43 11:06

深 谷  11:02

高 崎  11:32 11:36

新前橋    11:41      

渋 川  11:54

水 上  12:30 (運転停車)

湯檜曽    12:37 12:37

土 合  13:11 13:11

越後湯沢  13:38 13:38


この「谷川岳もぐら」号は、快速時代と比べて大宮発が34分繰り下げられた。

湯檜曽以遠、即ち新潟支社管内は同じダイヤのことから、大宮支社管内で実質スピードアップし

特に始発駅大宮までの到達余裕時間が拡大した、と考えることができる。

停車駅もダイヤ上は熊谷・高崎のみとなり「草津・四万」すら停車する新前橋と渋川も通過。


その代わり、車内の利用客の動きは大幅に減少し、静かな車内環境に寄与していた。

やはり停車駅を減らすことは、それなりの効果があるようだ。

それに加えてコロナ禍の後遺症もあるのか、会話もあまり聞こえてこない。

我々の喋り声のほうが大きく煩いのではないかと、肝を冷やす場面もあったのである。


一方、特急化によって当然特別料金は値上げとなっている。

快速時代は座席指定券が一律530円(消費税10%転嫁後)であったところ、終点越後湯沢までは

2,290円とおよそ4.3倍に及ぶ大幅な値上げとされている。

まぁあしかが大藤まつり号の時よりは距離もあって割安な方ではあるが…


11:05、熊谷着。

大宮を除いて埼玉県内唯一の停車駅だが、先頭付近で撮影する少々の人達を除き閑散。

ほとんどの利用客は、始発から終点まで乗り通し、または土合目的のようだ。

「あしかが大藤まつり号」に比べたら、列車の設定目的は達せられているように思えるのだが。


車内は引き続き、ほぼ満席の賑わいをもって北上を続ける。

相変わらず、先頭付近は前面展望目的が屯していたのは気掛かりだったが。

やはり今回も、デッキへの仕切り扉のスイッチを手動に変えていた輩が居たようである。


それでも車内は穏やかに、走りも申し分なく快適に推移していく。

少しビールを入れて気分良くなったか、友達とは多少深い話も交えつつ喋り続ける。

やがて北藤岡で八高線が合流し、車窓には高崎運転所改めぐんま車両センターが見えてきた。


電気機関車、ディーゼル機関車も、そろそろJR東日本からは消えていきそうな気配。

貨物輸送ではまだ不可欠な存在ながら、旅客会社ではもはや風前の灯というところまできた。


高崎駅入線直前に見えた旧型客車や、12系も。

つくづく高崎〜上野間を電気機関車に牽かれて走っていた「EL奥利根号」なぞを乗らないでいた

かつてのドライな自分を恨めしく思う事も、ここにきて度々ある。

12系自体、2011年1月に「SL・EL新春碓氷号」で乗車したきり…

奇しくも「草津31号」に乗車した同じタイミングである。

これも友達からツアーに誘われていなければ、乗ってすらいなかった可能性が強いし。


…そんなことを考えながら、11:36、高崎到着。

先行した「草津・四万1号」が大宮→高崎間を52分で走破。

こちらは同区間を59分掛けて走破したが、1時間以内で収めて実に上々。

さすが、国鉄型特急の末裔として遜色のない健在の走りを存分に魅せてくれた。

まぁ、性能的に言えばかつて同じ区間を走っていた115系と近いのだが…


そして、いよいよ上越線区間に。

先頭車の遮光幕も下ろされ、一層車内の動きは少なくなり淡々とした走りが続く。

ダイヤ上は、湯檜曽まで客扱いがない。

渋川までなら5年前にも来ているのだが、それ以遠になると13年半ぶりになる。

それも通過時間は深夜、廃止間近だった寝台特急「北陸」による移動だった。

日中移動となると、季節にはちょっと早い大雪に遭遇した2007年11月22日以来となろうか。

とにかく上越線は、ローカル輸送のダイヤの薄さが躊躇を重ねる遠因になっている。

「ムーンライトえちご」など夜行列車が走っていた頃や、同時期の新潟方面への縁があった頃は

折々に通過する機会があったのだが、一昨年も結局上越新幹線利用のみになっているし、まして

青春18きっぷなどフリーきっぷを駆使した旅をする機会自体が、相当に激減してしまった。


だが、たまにこうした旅を経て、また意欲は増してくるのだが…

いざ時間を調べ直すと、実現へのハードルの限りない上昇ぶりに匙を投げることも度々。

選択肢も少なくなり、今の若い人たちの鉄道旅は難しくなってしまったのだなと寂しく感じる。

まぁ、若くなくなった今の自分も相当に難しくなったなとつくづく実感するのであるが…


それでも、この日185系で北上できているのはありがたいことだった。

結局実行することがなかった特急「水上」の旅に似た体験をしつつ走ったのだった。

かつて母が、友達と草津にグループで旅行に行く途中に「水上」編成に乗ってしまった…という

苦い経験があり、果たしてどんな思いでいたのかという追憶もしながらの旅にw

(その旅に行く前に、乗車編成に気をつけるように進言したというのに!)


そして、12:25、いよいよ水上に…と、

3番線に、見慣れない車両が…


なんと、キヤE197系に遭遇!


積荷のロングレールはいっさいなく、何処かで取り下ろした後に回送されていたのだろうか。

いずれにせよ、かなりレアな遭遇シーンになったのだが、水上は運転停車で扉は開かず…

並んだ姿を撮れなかったのは、ちょっとばかり残念であったが。

構内ホームに撮影目的で歩いていた人が1人居たようで、その人の独占撮影となっただろうか?


水上では5分ほど停車し、ここで乗務員が交代。

新潟支社管内に入って、さらに北上を続けるが…

ここからがこの列車のメインスポット、観光列車色の様相が一気に濃くなっていく。