広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

秋田701系 帯と座席の変遷

2023-06-22 23:33:12 | 秋田のいろいろ
701系30年の続き。前回も触れたように、秋田地区の701系は、30年の間に車両内外にさまざまな変化があった。今回は、帯色と座席の柄を中心に。
まずは帯色。Wikipediaでは、その変更理由を「経年や太陽光(紫外線)による色褪せが著しいことから」としている(出典不明)。たしかにそれもありそうだが、鉄道車両の特に前面の帯は、視認性を高めて、存在を気付かせる「警戒色」の意味もある。薄いと目立たないという理由もあるかもしれない。
種村直樹氏だったかと思うが、当初の帯を指して「ずいぶんと目立たない色の帯にしたものだ」という趣旨の感想を記していた。

2000年代前半(の早い時期)に段階的に濃い色に替わっていったが、2003年時点では新旧が混在し、2004年1月でも未交換の編成がいた。
2003年6月 秋田駅。手前2両はN34編成。隣は485系特急かもしか

2003年7月 手形陸橋下。N19編成とN25編成

2004年1月 弘前駅。N27編成とN12編成
↑雪が降りしきる中では、新色のほうが視認性が高いのが分かる。

ここで帯色以外について少々。
現在は、正面の貫通扉のガラス上部に、白文字で編成番号が表記されている。導入当初はなく、正面から編成番号を識別する術はなかった。
前回掲載した、2002年4月の旧色帯の車には、まだない。
上に掲載した2003年以降では、旧帯の車でも編成番号が表示されている。このことから、帯色変更よりも先に、編成番号表記が行われたことになる。

それと、上の2004年の弘前駅で左側・新帯のN27編成、クハ700-27では、車内(向かって左のガラス上部)のワンマン用ミラーが丸い。
基本番台車では、このミラーは横長の平面鏡が原則だが、破損などして交換されたのか、一部でこのような円形の凸面鏡が付いている。なお、追加導入された100番台車は、最初から円形。こういう細かなバリエーションはいろいろある。

現在、LEDの行き先表示の部分が、この時点では「普通」と種別表示の幕になっているのも相違点だが、それはまた改めて。


車内。
ここで詳しくは取り上げないが、吊手(つり革)も当初と変わっている。基本番台は、レール方向のみに設置され、当初は握る部分(手掛け)は丸いものだった。かなり早期(2000年以前?【追記参照】)に、写真の三角形(三上化工材(ミカミ)製「T型手掛け(おむすび型)」?)に交換された。【23日補足・個人的記録によれば、1996年9月(大学の夏休み明け)に初めて三角形に交換された車両に遭遇し、1997年2月頃までに全車で交換が完了したようだ。】
100番台は、枕木方向にも、短いものが少し設置。手掛けは、当初からミカミ製の五角形で変わっていない。両者でベルト(紐)の色も異なり、100番台のほうが茶色っぽい。
【27日補足・100番台より後に製造された、盛岡地区、田沢湖線用、山形線用の701系では、0番台の交換後と同じ、おむすび型が最初から設置されているようだ。】
【23日補足・JR東日本の他の形式同様、近年、優先席のつり革が、オレンジ色の長いものに交換されている。それ以前は他の席と同じつり革だった。】

では、座席の色柄について。
2002年3月 基本番台

2003年8月


座席の布地(シートモケット)が、導入時は、帯色に近い、ピンク色だった。
濃淡のピンクの細かい格子というか、薄いピンクに濃い■が並ぶような。柄としては秋田市営バスや、E3系つばさ、E6系を、色を替えて細かくしたもの。

一見、仙台地区の701系(秋田でも、再移籍した100番台で一時期見られた)や、国鉄211系電車(JR東海静岡地区などで現存)のものに似た雰囲気だが、微妙な色あいや、柄はそれらと異なる。
優先席(※)は、これの色違いのグレーで、座面には今も使われている。701系では、盛岡地区の濃い青紫(岩手県花のキリの色だと聞いたことがある)や、田沢湖線用の緑色の色違いでもある。【27日訂正・ピンク色は濃淡2色が使われていた。対して、優先席や田沢湖線用の緑色は、地色・横線・縦線で違う3色が使われていた。格子の間隔はピンク色と同じと思われるが、厳密には色違いではないことになる。盛岡地区の青紫については不明。】
※JR東日本では、優先席を1997年までは「シルバーシート」と呼んでいた。その名の通りの色だったことになる。当初は背もたれも同じ柄で、後に(上の写真の通り2003年で変更済み)エンジ色の斜め線に替わった。
優先席の位置は、現在はトイレがない車両(クモハ701形、サハ701形)では、連結部のすぐそばだが、当初は、現在のクハ700形と同じ、ドアの間の後ドア側だったはず。


2000年代中頃~後半だろうか、緑系統のモケットに、順次取り替えられた。
ピンク色は色が薄いせいか汚れが目立ち、座面のももが当たる付近は黒くなりがちだったと思う。その対策だと思われるが、なぜ緑色なのかは分からない。

緑色でも、2種類のモケットが存在した。遠目には同じ色合いに見えるが、柄や触り心地は異なる。
2011年7月
先に出たのがこれで、現在は見られなくなった。2009年2月には存在【27日追記・2004年8月時点で、すでに存在していた】。

緑色のほか、黄色と青と黒の糸も使って、規則的に織られている。触った感じは平滑でなく凹凸があって、優先席の背もたれのものに似た感じだったか。
全車両に波及せずに、次の柄にシフトしていったかもしれない。

後に現れたほう。少なくとも2013年2月には存在し、現在は全車両がこれになったはず。

再び平滑な布になり、色合いが複数ある三角形を並べた、ウロコ模様。ちょっと珍しい感じがするが、他の地域や形式では使われているだろうか。

さらにこまごまと、またいつか。→続きは行き先表示について

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 701系30年 | トップ | ベジチェック »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
701系の前面 (E6_ Komachi)
2023-06-26 21:50:41
記事本文にもあるとおり、100番台の吊り手は登場当初から三角で、
その後0番台もそれに交換されていきましたね。


701系は、登場当初は前面には行き先表示がなかったわけですが、
当時の私は

「そこにJRマークいる?」「何で前面に行き先表示がないの?」

と思ってました。


前面の種別表示の幕は手動でしたよね。
車内にハンドルがあって、
それを運転士が手でクルクル回して合わせるという。
費用ケチったのか?w
いろいろとケチ (taic02)
2023-06-26 23:50:08
最初期は、いろいろとケチりつつも試行錯誤していたのでしょう。
0番台と100番台では、メーカーは同じようですが、100番台のほうが角張った五角形タイプで、形は微妙に違います(後から製造された盛岡地区や田沢湖線用では0番台と同じ)。

行き先表示は前もですが、側面は3両編成でも1か所にしかないのもケチだと思います。
種別幕はそうでしたね。ワンマン表示灯もあるのに、幕でも「ワンマン普通(または快速)」のコマがあって、ワンマンを二重に表示していたのが不思議でした。
100番台では少し大きくなって電動化されたものの、やはり種別。仙台へ行って戻ってきたN102編成限定で、やっと行き先になりました。でもLEDに替えられて短命でしたが。
この辺りは、いつか記事にしたいです。
側面行き先表示 (E6_ Komachi)
2023-06-27 20:55:46
そうですよね。
3両編成でもクモハにしかないという。

やっぱり少しでも費用を削りたかったんでしょうか。

でも、クモハのあの位置に設置して、
2両編成であれば、まあ、意をくみ取ることもできなくはないですが、
3両編成で側面行き先表示が1か所ってのは不親切かと。

当時の私は、

「(クモハの中間連結面側にあるのと同じように)サハのクハ側に付ければいいじゃん」

と思っていました。
それだけでだいぶ違うと思うのですが。
クハ全車に付けるよりは費用は抑えられるわけですし。


30年変化なしということは
特に問題にならなかったということなんでしょうねぇ。
14両だけ (taic02)
2023-06-27 23:37:54
サハはたった14両ですからね。それすらやりたくなかったのか。
客車・気動車のサボの差し替えに比べて省力化されたはずですが、肝心の数は減らされてサービスは低下して、なんだか残念でした。
LED化で前後にも行き先が表示され、おおむね問題なくなったということもあるのでしょう。

コメントを投稿