かつて東京駅から九州各地へ走っていたブルートレイン。一夜明けた本州西端の下関駅ではけん引する電気機関車の交換が行われていました。直流のEF65、EF66形から交流・直流両用のEF30、EF81形へ、恒例の「儀式」は多くの鉄道ファンに親しました。

 

先日、姉妹ブログ「歴鉄2番線」に当時を振り返る記事を書きましたが、思い出の3、4番線の九州寄りが今どうなっているのかが気になりました。せっかくなので久しぶりに訪れてみました。

 

 

 

下りブルトレの機関車交換が行われた下関駅3、4番線の九州寄り。屋根が撤去され雰囲気は少し変わりました(下写真は6番線から撮影)

 

 

 

※機関車交換シーンは、姉妹ブログ「歴鉄2番線」の関係記事をご覧ください。

 

 

 
下関駅は2009年の寝台特急「富士・はやぶさ」の廃止後、特急列車は姿を見せなくなり、かつて長距離列車が発着した長いホームを持て余すようになりました。現在の定期列車は2〜4両編成となっていて、ほとんどが駅改札口への階段があるホーム北寄りに停車します。

 

また、3、4番線は降車専用ホームとなっていて、かつて機関車交換が行われた九州寄りは人影がなくひっそりとしています。まるで使われなくなった旧駅のような雰囲気です。

 

 

降車専用となっている現在のホーム。主に3番線が山陰本線、4番線が山陽本線となっていて、4番線は一部がかさ上げされています

 

 

かつて長いブルトレ編成の後ろ寄りが停車していたホーム北側は、立ち入り禁止になっています

 

 

 

改札口から3、4番線ホームに上がってまっすぐ進み、機関車交換を見た場所に立ってみました。

 

ホーム先端部分は屋根が撤去されて雰囲気が変わっているほか、機関車が停車していた付近には柵が設けられ、さらにその手前にも追加されていました。この日は90年代前半の写真を持ち出して比べてみましたが、一般人が立ち入れる現在の先端部分は、当時の電源車カニ24形の停車位置に当たるようです。

 

また、かつてホーム中ほどにあった駅うどんの売店なども撤去されています。それでも、昔の写真と見比べながらホームで過ごしていると、なんだか懐かしさが込み上げてきます。

 

 

3、4番線ホームの九州寄り先端部分。現在は乗降に使われず立ち入り禁止となっているため、レトロな白線がそのまま残されています。中央部分には屋根の柱の跡も見えます。機関車は奥に見える柵付近のホーム地面が少し下がったあたりに停車していたようです

 

 

3、4番線の九州寄り先端から見たホーム中央部。はるか向こうに山陰本線から乗り入れたキハ40系が停車します

 

6番線ホームを見ると、今も列車が発着する北側と昔のまま残された南側の差がよく分かります。普段よく利用する私にとっては懐かしくない下関駅ですが、この付近から眺めるとノスタルジーの対象になります

 

 

 

昭和50年代、私はあさかぜ1号に乗って下関駅に着いて機関車交換を見たとき、EF65PF形の切り離しに間に合わなかった苦い思い出があるのですが、その「現場」も見てみました。

 

機関車に一番近いドアだった1号車オロネ25形の後ろ寄りから機関車の前方まで約60㍍…その距離以上に長く感じました。ホームに降りるファンはドア付近に待機していましたが、後ろの方に並んでいたら出遅れるな…と納得しました。

 

 

1号車のドアの位置、はっきり覚えていないのですが、大体の場所から見ると前方はこんな感じです。機関車交換は、写真奥に見える架線柱の付近で行われていました

 

1号車ドア付近?から機関車までの距離を、向かい側の6番線から見るとこんな感じになります

 

 

 

ファンには思い出の下関駅3、4番線ホーム。EF65PF形やEF30形のころから40年、最後の「富士・はやぶさ」の引退からも15年近くがたっており、当時と全く同じというわけにはいきませんでしたが、たたずまいは当時と変っていないと感じました。

 

ときどき「里帰り」したくなる懐かしい場所。元ブルトレ少年の一人としては、今後立ち入り禁止にならないことを願っています…。

 

 

 

※姉妹ブログでは、主に1980〜90年代の様子を紹介しています