新豊洲の400形 | 鉄道省半田鉄道局

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1/80鉄道模型(Jゲージ)工作記事を中心に、鉄道と身の回りの出来事を書いてゆきます。
​(平成26年11月8日Yahooで開設、令和元年6月22日こちらに移転しました)

東京の報告を続けます。

昔、ユネスコ村に保存されていた旧国鉄400形403号機、後の西武4号機が国鉄時代に復元されて、豊洲の芝浦工大付属中学高校に保存されました。1984年にユネスコ村に撮りに行ったのですが、雨は降るし、遊具に囲まれていてろくな写真にならなかったので、約40年ぶりにリベンジに出かけました。新宿のバスタにキャリーケースを預け、市ヶ谷で有楽町線で豊洲に向い、ゆりかもめで新豊洲で下車。

新豊洲から豊洲に戻る方向に歩くと、学校の脇に403号機が姿を現しました。39年ぶりの再開です。

片側は開けていて、形式写真が撮れるのが嬉しいです。この機関車は「1B1ラジアルタンクエンジン」の元祖です。この後に500形、600形、700形(メーカー別に形式付与)といった「A8系ラジアルタンクエンジン」が大繁殖し、国産化されたやや小型の230形まで派生しました。1960年代まで残っていた600形、800形亡き今、京都鉄博と鳥栖駅前に保存の国産230形とともに「1B1ラジアルタンクエンジン」を今に伝える、貴重な文化財です。

サイドビュー。鉄道開業時、海の中を走る品川築堤の石材が台座に使われています。当初の110形、150形、120形等の活躍から、東海道の延伸で次にこの1B1が活躍したのでしょうから「親和性」は間違いないと思います。

鉄道国有化後、設定された形式入りナンバープレートも復元されました。最初はTYPEで、桜木町の110形の最初はこれだったと思います(くり抜いて「形式」に直した) 次にエッチングで作るのは、このタイプもやってみようかな。

連結器は自連のままです。あ、ハンドレールが側面と一体で鏡板に被っている。模型は工夫が要りそう。

先輪のラジアルボックス。円弧状になった軸箱が円弧状にスライドし、曲線に対応する構造です。従輪側も同じ。

う、ランボード前端が斜めに跳ね上がっている。なかなか。あちこちに模型化のハードルを上げる部分がありますな。

ジョイ式弁装置。複雑なリンクも模型化泣かせ。戦前の機関車保守は、ワルシャート式にスチブンソン式、アメリカンスチブンソン式、このジョイ式と、多くの種類を扱って、たいへんだったろうなー。

片側がシリンダケーシングを外した状態に。わざとかな? 構造を知る配慮と解釈します。

サイドタンク上。タンク上板が側よりも下がっていることに注意です。タンク支えも、ボイラケーシング中に埋まった感じです。写真では写ってませんが、安全弁は省式に替えられています。

キャブ内部。アクリル板で保護されています。インジェクターはグレシャム式リフティングタイプ。運転席は右側です。

キャブ内部の上方。右が蒸気ブレーキのブレーキ弁。左は給油機です。加減弁ハンドルは、時計の針方向というかワイパー方向のレバーです。

キャブの写真を撮っている最中、次から次へと幼児を連れたお父さんが数組、代わる代わる入ってきました。せっかくなので「こんにちわー」とあいさつして、親子さんに機関車が走る仕組みを解説しました。「実は名古屋で機関車説明のボランティアをやっているので」と、アヤシイ人ではないとも伝えました。豊洲のタワマンの住人らしく、上級国民の皆さんだったことになりますな。

19世紀の乗り物と21世紀の乗り物の出会い。若手の活躍を見守る長老、という感じでしょうか。

秘密結社KK〇の皆さんも、11月の総会の際には、近くでもあり、是非お立ち寄りお勧めします。

このあとは、模型店巡りに切り替えます。

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