2023(令和5)年5月21日

快晴の空の下

 

「おしゃべり広場」で借りた

レンタサイクルで

 

大川製麺所を出発しました自転車

 

 

こんにちは ∠(`・ω・´)

 

前回の

「空海生誕地再訪し五岳山登頂証明書ゲット」

から続きます

 

 

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先ずは、第73番札所

我拝師山山麓の

出釈迦寺を目指します

 

筆ノ山の山麓ギリギリを
舐めるようにして西へ向かってます
 
このまま進むと
 
に出られそうニヤリ
 
さすがに讃岐平野びっくり
 
あちこちに
ため池と小麦畑が広がってる
 
先週歩いた天霧城の隠し砦跡が
弥谷山と天霧山の間に見えるおねがい
 
筆ノ山の麓に広がる
「善通寺五岳の里」市民集いの丘公園
 
五岳の山々を背景に
 
緩やかな丘陵地に
四季折々の
花々や木々によって彩られています
我拝師山は見る場所によって
山の形が全然違いますね!
 
この道を更に登っていくと
大坂峠を越えて
 
五岳山の南側に至ります
(帰路で自転車押して登りましたが
めちゃくちゃしんどかったアセアセ)
隣りには古墳のロマン漂う
 
この時季は
ツツジが見事でした

 

大塚池の湖面には
筆ノ山が逆さ富士のように美しく映ってる
 
かつて古墳があった場所は池になり
水面上に露出した石室だけが現れてる

別名「吉原椀貸塚」と呼ばれ
椀貸伝説が残るそうな

大塚池外周は遊歩道が整備されてます
 
 
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第73番札所出釈迦寺を目指して
山麓を進んでいると
 
現役のしっかりしてる
越屋根のベーハ小屋がありました
(現在は葉タバコの乾燥には
使われていません)
 
今朝善通寺市入りする際に
 
三豊市高瀬町から見たベーハ小屋と
我拝師山を挟んで
ちょうど反対側になるかな
 
この道は自転車は通れそうも無く
少し下って
 
先に第72番札所曼荼羅寺
へ向かう事にしました

 

72番札所曼荼羅寺が見えてきた
 
 
縁起によると、
創建は四国霊場で最も古い596(推古4)年

 

駐車場は有料で納経時に納めます
(自転車は無料)
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第72番札所曼荼羅寺から
第73番札所出釈迦寺へ
 
坂道を登っていると
我拝師山と中山の鞍部に
 
出釈迦寺奥之院である
捨身ヶ嶽禅定が見えます
 
 

弘法大師が真魚と呼ばれていた7歳の時

我拝師山に登り

 

「私は将来仏門に入り、

仏の教えを広めて多くの人を救いたい

 

私の願いが叶うなら釈迦如来よ、

姿を現したまえ

 

もし叶わぬのなら

 

一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と

断崖絶壁から身を投じました

 

すると、紫色の雲が湧き

 

釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り

雲の中で弘法大師を抱きとめました

 

命を救われ

願いが叶うことを示された弘法大師は

 

青年になって

 

我拝師山の山頂で刻んで安置し

堂宇を建てたそうな

 

山あれば山を観るキラキラ
松山ゆかりの俳人「種田山頭火」
 

山あれば 山を観る 雨の日は 雨を聴く

 春夏秋冬 あしたもよろし ゆうべもよろし

 すなほに咲いて 白い花なり

 

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小麦色の稲穂は刈り入れ時を迎えてた

 

第74番札所 医王山 多宝院 甲山寺

 

山の形が毘沙門天の甲冑の形に
似ていることから
 
「甲山寺」と名づけられたそうな
境内でマルシェみたいな
イベントがあって人が溢れてた
 
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小麦畑の向うに五岳山が並んでる飛び出すハート
 
香色山の標高が低いので
 
唯一北東の方角からのみ
5つの山の並びが見られます
 
 
JR土讃線金蔵寺駅横の踏切を渡ります
 
お寺の名前は金倉寺と書いて
こんぞうじ!
 
地名は金倉(かなくら)
 
駅の名前は金蔵寺(こんぞうじ)
 
ややこしんじゃい!
 
金倉寺と金蔵寺
 
二つのお寺が別々にあるんかと
思ったがね
 
いったい
どないなっとんじゃ~い!
 

甲山寺から金倉寺の道程

 

第76番札所 鶏足山 宝幢院 金倉寺

 

乃木希典大将は
明治31年から約3年間
この寺で暮らしたそうな
 
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金倉寺から越境して
多度津町の道隆寺へ向かいます
西野金陵多度津工場を過ぎた辺りで
遍路道を見失い右へ振れ
 
金倉川の堤防に出て
丸亀市に越境しそうになるあせる
 
県道205号線から
少しずつ左に修正して道隆寺へ
 
 
この付近一帯は
創建の頃広大な桑園で
 
絹の生産地だったそうな
 
道隆寺山門前の売店で
メグスリノキの入ったお茶を頂き
 
ソフトクリームで休憩して
海岸寺へ向け出発
 

県道216号丸亀詫間豊浜線で

JRの路線を跨ぎます

 

すばらしい!キラキラ
五岳山を眺める絶景ポイントやがね
 
大麻山、天霧山、弥谷山も一望です
 
しばらくこの道を進んで右に折れ
JR四国多度津工場へ
JR四国多度津工場は
車両の検査や
修理を行う唯一の工場ですが
 
老朽化が激しく
 
今年度から約10年間をかけて
全面改修される予定
 
工場敷地内にある
国の登録有形文化財で
 
近代化産業遺産にも認定
されている7棟全てが解体されます
 
9月から取り壊しが始まるそうな
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多度津造船(株)の手前の岸壁に
係留されてるフェリー
 
しわく丸って書いてる
 
廃船にしては新しいけど
現役感もない
 

帰ってから調べてみると

 

丸亀-江ノ浦-甲路-青木-小手島-手島

で運行されてたけど

 

就航以来不具合が続いて

遂に今年の2月で引退

 

僅か10年しか使われなかった

 

今後の運命は解体かな

 

JR四国多度津工場は
元々は海に面してたんやね
 
手前の川は櫻川で
この少し上流に昔の港がありました
 
 
多度津は古くからの港町で
 
江戸時代、1694(元祿7)年に
多度津京極藩となると
 
本州からの玄関口の一つとして
さらに繁栄し始める
多度津湛甫(たんぽ)は
 
1838(天保9)年に築かれ
明治末頃(1912年頃)に大改修され
 
北前船の寄港地として
多度津に繫栄をもたらしたそうな
 
たどつ汽船(株)の新なぎさ2が
高見島へ向けて出航船DASH!
 
多くの島々が浮かぶ備讃瀬戸
 
三豊市、多度津町、丸亀市より
定期船やフェリーが
 
島々を結んでいますが
どの島も激しく過疎化が進み
 
航路の維持も大変そう
 

 

最後までご覧いただきまして

ありがとうございました

 

次回に続きます

 

では、またバイバイ

 

 

 

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