南武線の浜川崎支線は今日、明日の世界じゃないけど、近いうちに新潟からやって来たE127系が投入されるとのことで、既に改造を受けた現車が南武線内で試運転を実施しているそうです。205系の置き換え要員ということで、 “花の都大川崎” へやって来たのでしょうけど、いつまでたっても他線区からのお下がりを受け入れざるを得ない宿命が浜川崎支線にはあるのだと感じました。一瞬、燃料電池電車のFV-E991系が投入されていましたが、あれはあくまでも試験の一環なので、実践投入という領域には達しないことからここでは割愛します。

 

そういえば、浜川崎支線で活躍する車両はその車両にとって “終の棲家” になることが多いようで、現在の205系も首都圏では鶴見線と共に最後の運用線区(・・・だよな)だし、先代の101系はJR最後の101系運用線区として名を馳せました。そして101系が投入される前の浜川崎支線は画像の旧型国電が活躍していたわけですが、首都圏における通勤線区で旧型国電が最後まで生き残っていたのは南武線(本線、浜川崎支線)、横浜線、鶴見線でした。南武線の本線と横浜線、そして大川支線を除く鶴見線は20m級の72・73系が運用されていたのですが、鶴見線の大川支線と南武線の浜川崎支線は首都圏・・というよりも、全国レベルで最後まで17m級車両が活躍していた線区として特筆されます。もっとも最後の17m級は鶴見線の大川支線で活躍したクモハ12で、民営化後も生き残りましたけどね。因みに「昭和一桁生まれの頑固親父」ことED16形電気機関車も “終の棲家” は西立川駅構内にあった立川機関区で、青梅線と南武線で最後の活躍をしていたことを付記しておきます。

 

画像はその南武線浜川崎支線で活躍していた時の17m級車で、戦前形モハ30系の残党であるクモハ11とクハ16のコンビでした。

南武線の17m級車は本線でも活躍していた時があり、20m級化で浜川崎支線に転用したものなんでしょう。101系化される前の山手線でも運用に就いていた17m級車。そのお下がりもあるんでしょうね。天下の大通勤路線もその頃は20m級と17m級、3扉と4扉の混結が当たり前だったので、そりゃ通勤地獄になるわな。

 

浜川崎支線における17m級車の活躍は昭和55年11月までで、クモハ11244とクハ16215がその最終編成でした。

運行最終日かどうかは知らんけど、画像もおそらくその編成ではないかと思われます。クモハ11といえば近年までJR西日本が保管していて、イベント時に公開していましたが、解体されたらしいですね。勿体ない。

 

後継に101系が選ばれたのは、新性能化にあたって2両固定が可能な車両は101系しかなかったことにあります。その101系の後継で投入された205系はわざわざ改造して2両化しましたが、そういえば、JR東日本には2両固定の直流電車が無いですね。そういう意味で一番適任だったのがE127系ということなんでしょうね。であれば、JR他社から車両を譲り受けるとか、逆に車両を合わせるのではなくて、例えば209系やE231系が入線できるようにホームを延長して3両化、4両化とかは考えなかったのでしょうか? でも、3両、4両にするほど浜川崎支線は乗らないか。

他のJRを見ると、JR東海の313系、JR西日本の125系や227系など、2両運転が可能な直流車両がゴロゴロしています。そういう車両をライセンス契約してJR東日本向けに製造して投入するというのもありかもしれませんね。

 

E127系も良いんだけど、たまには浜川崎支線にもオールニューの新型車両を新製投入してあげて下さい。前述のFV-E991系が量産されたとしたらその候補にはなるのかな?

 

(追記)

その後の調査で房総地区や相模線に投入されているE131系に2両固定があることを知りました。あれを導入しようという考えはなかったのかな?

 

 

【画像提供】

は様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.888 (電気車研究会社 刊)

ウィキペディア(南武線、JR東日本FV-E991系電車)