【激務と多趣味のはざまで07】東急大井町線に8090系・8500系がいた頃 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

今年の夏前、新車導入計画が明らかになり唐突に追跡を敢行した東急大井町線の9000系。 

今でこそ各停用こそ9000・9020系に統一されてはいるものの、完全に統一されたことはない。

それは大井町線の立ち位置故なのか、ある意味伝統のようなものかなと。


そんな大井町線、2000年代の前半は各所での改良工事の影響もあったかどうかはわからないが

今よりもうちょっと混沌としていたイメージがある。

9000系こそ9007Fが長く在籍していたが、それ以外に8000系はいたし、8090系に8500系と

なかなかにバラエティ豊かな陣容がそれこそ近年まで続いていた。

9000系も東横線、9020系も田園都市線から当初は2000系として転入している。

急行運転用の純増である6000・6020系以外、これまでは他線から玉突きでやってきたのだ。


…今回は、2000年代後半以降の記録から。

既に8000系は姿を消していたが、まだまだ個性的な面々が幅を利かせていた頃。


2009年7月19日日曜日、溝の口にて

この日は夜勤明けから会社の業務引き継ぎを経て、お台場にイベントを見に行った記録が。

そんな中に大井町線の記録があるということは、大井町からりんかい線に乗り継いだようだ。

大井町線は二子玉川〜溝の口間の複々線化が完了し、この7月11日に溝の口に延伸したばかりで

その概況をついでに見ておきたい…と思っていたらしい。


この延伸より前、2006年頃から前面帯が路線カラーに因み赤→黄のグラデーションに変更。

各形式の印象が大きく変化したのだった。

この8500系8640Fは田園都市線との共通予備車として当初から5両編成として製造されたもので

8641Fと組んで田園都市線で運用されたこともあったが、8000系置き換え時に正式に転入。

路線認識ステッカーも新たに大井町線のものが貼り付けられ、以降廃車までこの姿となった。


そしてこの時期は、当初投入された東横線からは撤退したもののまだ8090系の姿が見られた。

2006年に田園都市線に8590系10両編成2本(8694・8695F)が転籍していたが、大井町線は

5両編成10本が転籍し、各停用として他形式と混用されていた。


しかし一部車両の車齢が30年に達する頃で、この年の5月には8091Fが離脱。

クハ8091・8092とデハ8192が旧101系の1000系置き換え用として秩父鉄道に譲渡された。

写真の8083Fも翌年5月に運用を離脱し、クハ8083・8084・デハ8184が秩父鉄道に移籍。

これ以降も少しずつ、東横線から転籍してきた9000系により置き換えが進められていく。


九品仏にて

8090系の前面デザインは2種類があるが、クハ8091〜8096の初期顔はこの頃ほぼ遭遇できず。

実際は走っていたものの、記録を捕捉し損ねていた可能性が極めて高いのだが。


8090系の大井町線所属車は廃車までの期間は短かったものの、方向幕は全てLEDに換装。

他形式と遜色なく整備の上で使用されていた。

この8081Fは最後まで残ったものの、秩父鉄道に譲渡されたのはデハ8282のみであった。


…なお余談ながらこの2009年7月19日は、現在も女子鉄アナウンサーとして第一線で活躍する

久野知美さんに、イベント=鉄道ナイトで初めてお会いした日であった。

まだ大阪から上京してきて日が浅い頃であったが、現在の活躍ぶりは感慨深いものがある。


2010年9月8日水曜日、溝の口にて

この時は、仕事対応で八王子に赴き…

その後、5050系の甲種輸送を長津田まで追って撮影。

大雨の中で授受の様子を追い、そのまま田園都市線で移動している際に撮影。

これは、この日の夜に日吉で行われたライブイベントに顔を出すことになっていたからだった。

正直、日吉に行くなら横浜線で菊名に出れば良かったが、甲種輸送を追ったついでであった。


発車前の後追い、なんてこともこの時に。



そしてこの時唯一、8590系8693Fを溝の口駅で撮影している。

8090系と異なり、8590系は全車が方向幕を維持していた。

このデハ8693は2013年2月まで運用後、富山地方鉄道に譲渡された。


8590系の先頭車デハ8590・8690はみなとみらい線直通用として増備した車両。

各5両ずつを製造し、従来の8090系8両編成から3両を抜いて2組連結したものに増結した。

但し転籍と関連した予備車化など変遷が激しく、実際にみなとみらい線直通運用に供されたのは

8693〜8695Fの3編成のみで、それらも2006年までに再転籍した。

この写真の8693Fは大井町線用として全うしたが、8694・8695Fは10両化されて田園都市線へ

転籍となり、東武線に乗り入れないサークルK編成として2019年2月まで運行された。


そして、まだまだ8500系も引き続いて混用されていた。

車体形状の違いはあれど両形式の車歴はどっこいで、使い勝手の関係か8500系のほうが約6年も

長く大井町線で運用されたが、2000→9020系の転籍でひっそりと走り去っていったのだった。


2013年2月7日木曜日、旗の台にて


この時は平日で詳細行動は今更不明だが、音楽メインで動いていた頃。

この日は最終的に秋葉原に行っていたから、東横線界隈の記録を強化していただろうか。

ただ、この時期は音楽関係の変遷が激しく、その動きには折々に翻弄されていくことになる。


2013年5月5日日曜日、旗の台にて

9000系の東横線からの転籍は風雲急で、この2013年5月で8090系は全て撤退。

8090系に対しては、最後まで残った8099F・8081Fにさよならマークを貼り付け。

通常運用を全うし、静かに走り去っていった。


あまりにひっそり引退となったからだったか、音楽優先過ぎたからか。

8090系のラスト撮影は、今みたいに追い回すこともなくあっさり終わってしまっている。


2013年5月15日水曜日、溝の口にて

それからしばらくは、8500系をそこそこ気にしている。

それでも、その頻度は目に見えて減っていくが。

そもそも、大井町線界隈に用事が無いことも記録の減少に拍車を掛けていた。


2016年6月24日水曜日、大岡山にて

この時も、通りしなにふいに一枚。

この頃以降、8500系は田園都市線界隈も含めて、次第に撮影・乗車機会が増えていく。


…ちなみに、この時は最終的に東京タワーに向かっていたようだ。

東京都民のくせに、東京タワーに足を運んだのはこの時が初。

かつ、久野さんのイベントの時以外東京タワーに足を運ぶ機会はこれ以来無い。

公式的な担当からは退いた後のことだが、現在に至るまで久野さんとの接点は続いている。

他に比して周囲に諸々気難しいことは散見しているものの、活躍を今後も見守りたい人だ。


それにしても、このシリーズを書いていると実に自分は幅広く動いていたんだなと実感する。

それは時にマイナスも感じるが、トータル的には良かったんだろうと無理矢理納得もw

今後もいくつかネタをピックアップしているが、それに関連して思い出すことも増えそうだ。

そんな思い出を整理することが、今の自分にはとてつもなく大事な行為なのである。