近代東武において唯一の非電化路線だった熊谷線が廃止されたのは1983年5月31日。つまり、あれから40年が経ったというわけです。10年前にも弊愚ブログにて熊谷線の話題を振ったことがありますが、今一度、お復習いしたいと思います。

 

第二次世界大戦中に軍の指令で建設された路線で、太田市に工場があって軍用機を製造していた中島飛行機(現、SUBARU)への要員や物資を運ぶ目的で1943年に開業しました。当初は小泉線の西小泉まで計画されていて、先行して熊谷-妻沼間が開業したわけですが、軍事目的という背景は阪神武庫川線などと同じですね。

開業当時は蒸気機関車が電車を改造した客車を牽引して走らせましたが、1954年から気動車を導入しています。

 

妻沼-西小泉間の二期工事を開始しようとしたら終戦になってしまい、その後も小泉まで全線開通させようという話は何度か持ち上がったばかりでなく、熊谷から先、東上線の東松山駅まで延伸する計画も浮上しましたが、様々な案を模索するも全て頓挫し、1974年には妻沼以北の免許を取り下げました。

 

前述のように軍事目的だったこともあって、沿線には宅地が殆どなく、通勤路線への転換も困難で、開業当時から赤字経営が続き、加えて東武で唯一の気動車ということもあって、1983年に廃止の憂き目に遭います。計画されていた妻沼町(現、熊谷市)のニュータウン構想が軌道に乗っていれば、あわよくば二期工事の復活+複線電化という期待も膨らんだのでしょうが、用地買収がままならなかったので、妻沼は関東平野にある “秘境” であるのは今も変わりはありません。

 

熊谷線の最後を見届けたのは1954年から投入されたキハ2000形と呼ばれる気動車。

現在の野田線である総武鉄道や、現在の越生線である越生鉄道など、東武の黎明期には数両の気動車が存在していましたが、純な「東武鉄道の気動車」はこのキハ2000だけになります。

東急車輌(現、総合車両製作所横浜事業所)製で全3両。

16m級の両運転台で、前面形状は当時流行った二枚窓の湘南スタイル。側面窓は “バス窓” とも呼ばれるスタンディングウィンドウを備えていました。この側窓は後に改造されてしまい、当初は1灯式だった前照灯は電気機関車と同じ2灯式に改造されています。

エンジンは国鉄の中型気動車に搭載されていたDMF13型(120PS)を1基、これにやはり国鉄のDF115型液体変速機を備えているということで、当時としては革新的な車両でした。当時、国鉄でさえも液体変速機を搭載した気動車は限られていて、地方私鉄はクラッチと変速機を備えた機械式が殆どだから、凄いことだったんですよね。

総括制御はお手の物でしたが、せっかくの “文明の利器” も日中は1両編成ということもあって、効力を最大限発揮することはありませんでした。まぁ、朝夕は2両編成で運転されていたので、そこが最大の見せ場だったとは思いますが、増備も無ければ減車もなし。キハ2000登場後の29年間、ずっとこの陣容でした。

通常は妻沼駅構内にあった車両基地(杉戸機関区妻沼派出所)が塒でしたが、全検等の重要な検査の際は東武動物公園駅に隣接していた杉戸工場で受ける必要があります。その際は妻沼-熊谷間は自走し、熊谷から先は迎えに来ていた東武の電気機関車に牽かれて秩父鉄道線を経由して羽生から東武伊勢崎線に入り、杉戸まで回送されました。

 

従前の東武の通勤車両はベージュ地(ロイヤルベージュ)に窓回りをオレンジ(インターナショナルオレンジ)にするというツートンカラーで、これは動態保存されている8000系(8111F)の復刻塗装で皆さんにも馴染みが深いですが、1974年辺りからセイジクリーム1色塗りにあらためられ、旧型車や地下鉄乗り入れ車を含めた在来車両も順次、クリーム色に塗り替えられています。キハ2000も塗り替え時期は未定ですが、クリーム色に塗り替えられました。

このクリーム1色塗り、表向きは「明るく軽快な」というイメージチェンジを図ったものですが、実態は国鉄同様、春闘時期に組合員によるスローガンが容赦なく書き込まれたので、それを憂いた会社側が「目立たなくするため」にクリーム色1色塗りにしたらしいです。

 

蒸機運転時代の熊谷線は良質な石炭が供給できなかったため、列車の速度が極端に遅く、熊谷-妻沼間10km少々を30分近くかけて走っていたことから、沿線住民から「カメ」という揶揄めいたニックネームで呼ばれていました。キハ2000の登場で運行速度が向上し、一時は呼ばれなくなりましたが、程なくすると「カメ」のニックネームが復活しました。

 

廃線後は1両を除いて全て廃車・解体されてしまいました。

残った1両は妻沼町に寄贈されて、妻沼駅跡地に建設された市立妻沼展示館に保存されています。

このキハ2000、21世紀の今、何処かで動態目的で動かしても面白そうですよね。小型で愛らしい姿をしているので、「可愛い」と鉄道女子に人気が出そう。

SLを走らせるだけが動態保存じゃないですよ。

 

 

【画像提供】

ヤ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.915

鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション㉗「東武鉄道 1970~80」

(いずれも電気車研究会社 刊)

日本の私鉄⑩「東武」 (保育社 刊)

ウィキペディア(東武熊谷線、東武鉄道キハ2000形気動車)