【鉄コレ】《第7弾》南海電気鉄道 モハ1521形+天王寺支線の思い出【TOMYTEC】 | 日々轍ヲ邁ム哉〜鉄道とか色々な事

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いつもご覧頂き誠にありがとうございます。
 

今回は、鉄コレ第7弾 の 南海電気鉄道 モハ1521形 を投稿したいと思います。

私が第7弾で一番入手したかった車輌ですね。

 

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■TOMYTEC 鉄道コレクション 第7弾 南海電気鉄道 モハ1521形

 

南海1521系は、昭和34年(1959年)から1年間製造された21m級車輌です。

電装品に関しては、戦時型である国鉄63系(通称)を戦後の車輌不足に伴って、当時近鉄だった銅線が南海へ分離される昭和22年(1947年)に導入された1501形の電装解除して、1521系に転用しました。

落成当初は、Mc-T-Mc の3輌編成で、南海ダークグリーン地にオレンジの帯を纏い、架線電圧600V(当時)の南海本線を走行していました。

昭和48年(1973年)の1500V昇圧に伴い、大半の吊り掛け駆動車が淘汰されましたが、製造年数が浅い1521系は残ることになり(元々が1500V用の国鉄63系の電装)、一部両運転台に改造、中間車も運転台を設け、塗装もライトグリーンとダークグリーンの2色となり支線に転属されました。

模型写真、車輌の左側と右側の乗務員扉のサイズが異なりますが、車輌左側の大きい乗務員扉が後付けで付けた運転台になります。車輌右側が元々あった運転台ですね。

 

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□岸ノ里駅(現:岸里玉出駅)と、高師浜駅に停車する1521系

 

学生~社会人なりたての頃は、1521系の吊り掛け駆動音を聞きにわざわざ南海の支線によく寄りましたね。

今となっては懐かしい思い出です。

 

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□今池町~天下茶屋廃止後から薄暗いトンネル内にあった

 廃線間際の南海天王寺駅と飛田本通駅に停車する1521系

 

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□市大病院(現:大阪公立大学医学部附属病院)近くの踏切と営業終了日の記念切符

 

天王寺支線が天下茶屋まであった時代も父親に連れられ乗りに行きましたね。

この頃は普通に、今のMioプラザのエスカレータがある付近にあった南海の自動券売機で切符を買って、改札を通り、今のJR中央改札内の17・18番ホームの階段奥にあった19・20番南海ホーム階段を下りて列車に乗る感じでした。

その後、堺筋線延伸工事に伴って今池町~天下茶屋間が廃止となり、その時も何度か乗りに行きました。

この頃になると自動券売機は撤去され、仮設階段のような階段を下り、ホーム階に有ったプレハブの駅事務所兼改札で駅員さんにお金だけを払って乗る感じになりましたが、記念で切符を持ち帰りたい旨を伝えると、駅員さんが昔の回数券っぽいスタンプ式の切符を発券してくれましたね。(写真)

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□南海のほかの駅でもたまに見られたタイプの切符

 

よく使ったルートは天王寺~今池町~阪堺今池~浜寺方面で、今池町駅の上あたりに阪堺今池電停があったので商店街の入り口(現在有名なホルモン屋さんのある当たり)過ぎたあたりの階段を上って乗り換えました。

南海の公式的には、今池町から萩ノ茶屋駅まで萩ノ茶屋本通商店街を通る徒歩連絡での乗り継ぎでしたが、当時は学生一人で行くには中々勇気のいるハードルが高い場所でしたので、横着して阪堺今池電停で乗り換えてましたw

※今の年齢になってからは、逆にこの辺で旨いもの巡りしてそうですが…

なんだか、1521系から天王寺支線の話になってしまいましたが、今回はこんな感じで締めたいと思います。

ありがとうございました。