所有事業者:東京都交通局(東京)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:足立200 か 1930

局番:L-S688号車

配置:江東営業所

初年度登録:2008年

シャシー製造:日産ディーゼル工業

搭載機関:日産ディーゼルMD92TJ型

車体架装:西日本車体工業

車体型式:西工96MC B-Ⅰ型

車両型式:PKG-RA274KAN

車名:日産ディーゼルスペースランナーRA ノンステップ

撮影日:2023年5月20日(土曜日)

撮影場所:錦糸町駅南口

 

 

都バス最後の日産ディーゼル車、同時に最後の西工架装車になります。

現在はUDトラックスに社名が変わっていますが、バスファンの間ではやはり「日産ディーゼル」、あるいは「日デ」という呼び名の方がしっくりくるのではないでしょうか。UDトラックスブランドのバスもあるにはありますが、いずれも三菱ふそうのOEM供給車で、オリジナルモデルは既に生産を止めていたので、それは無理からぬ事です。

 

UDトラックスの始まりは1935年に創業した日本デイゼルで、その後、戦時中の1942年に鐘淵デイゼルと改称して終戦を迎え、終戦翌年の1946年に民生産業と再々度改称されます。

民生産業は1950年に解散しますが、自動車製造部門だけは残した上で、民生デイゼル工業を発足させます。その3年後に日産自動車が資本参加し、1955年には販売部門を分社化して日産民生ジーゼル販売を発足させます。1950年代後半になると、日産自動車独自でも大型バスを製造するのですが、1960年に民生ジーゼルは日産ディーゼル工業に改称します。日産との蜜月は2000年代まで続き、2010年にUDトラックスと改称、以降はトラック事業専門になる・・・というのが雑駁な歴史です。

 

都バスとの関係は民生産業の頃から既に始まっており、終戦間もない頃の乗客の急増で車両不足に陥った東京都は進駐軍から払い下げのGMCトラックや水陸両用車のアンヒビアンをバスに改造するなどして急場を凌ぎました。

1948年に事実上、戦後初となる新車を導入します(同時に導入したトレーラーバスも新車といえば新車)。その時の新車というのがいすゞと民生で、都バス初のディーゼルエンジン搭載車でもあります。

1949年に日本初のリアエンジンバスであり、日本初のフレームレス・モノコックボディを採用する「ふじ号」を東京都が購入しますが、この歴史的価値の高いバスは今でも群馬県太田市にあるSUBARU群馬製作所に隣接するビジターセンターにて展示公開されています。

 

日産ディーゼルのバスといえば、何と言っても「UDエンジン」。

Uniflow scavenging Diesel、つまり、単一掃流式エンジンを意味する独自のエンジンをずっと手がけてきました。その前の基幹エンジンであるKDエンジンは、2サイクル・対向ピストンの構造であるが故に、小型軽量且つ回転の吹き上がりが良いという評価を得ていたんですが、構造が複雑でメンテナンスに難があり、耐久性と信頼性に問題があったことから、対向ピストンに代わる新たなエンジン開発に着手します。この時参考にしたのがアメリカのGMCイエローコーチが搭載していたエンジン。2サイクルは継承し、シンプルなOHV直列直噴の構造としました。時に1955年のこと。

 

その頃の代表的モデルが1965年に登場した4R系ですが、子供心にあの2サイクル時代のUD独特の甲高く五月蠅いエンジン音が嫌いで、近づくと耳を塞いだものでした。じゃあ、他のエンジン音が静かかといえばそうではなくて、三菱ふそうは近所を走っていなかったので知らんけど、いすゞのD型エンジンは発進時が五月蠅かったですね。日野はあまり「五月蠅いな」とは感じなかったけど。

 

また、都バスにおいては長年、日デ車の車体を担当していたのが富士重工(→SUBARU)。

イレギュラーで北村製作所製の車体を被せたものもありましたが、基本的には富士重製。R13型から始まって、3E、5E、7Eとスタイルは変わっても、都バスだけでなく、東日本では日デといえば富士重というコンビは不変でした。2003年に富士重工がバスボディ製造事業から撤退すると、九州の西日本車体工業(西工)に依頼するようになり、一部のイレギュラーは除いて西日本でしか見られなかった車体が東日本でも見られるようになりました。

都バスで富士重工製を架装したのは2002年が最後で、以降は西工一本に絞られますが、初の西工架装車は2000年度納入車(記号:G)の中型ノンステップです。2001年度(同:H)では中型ロングで西工ボディを架装したモデルが導入されますが、大型車に関しては2003年度(L)、2005年度(N)、2006年度(P)、そして2008年度(S)しかありません。ただ、台数は比較的まとまっていたので、全然稀少ではなく、配置営業所も多岐に渡っていたので至極普通に見られました。

 

昨年か一昨年か、P代が淘汰されて、残るのはS代のみとなりましたが、昨年末辺りから2022年度納入車(H)がちらほらと稼働を開始し、本来であれば2007年度(R)が先に淘汰されて然るべきなのに、R代はまだ健在です。そういう意味から当面の間、S代は活躍を続けると思われますが、気がついたら残り数台になっているという事が過去にもあったので、「見かけたら撮ろう」という考えは持っていました。でも、なかなかそういう時に限って姿を現してくれず、来たとしても全身ラッピング車だったり、撮ったと思ったらバスの “命” である顔がブレブレだったり、なかなか上手い具合にはいきません。

 

日デ車を多く配備している営業所として真っ先に思いついたのが江東営業所。だから、そのターミナルである錦糸町駅に行けばすんなり撮れるだろうと高を括りました。したらホントにすんなり来てシャッターを切ったのですが、思いの外、上手く撮れてなくて、再度チャンスを待ちました。しかし、バスターミナル出口の赤信号で止まってはくれるんですが、止まる場所が問題だったり、青信号になってそのまま行ってしまったりと、なかなか上手い具合にはいきません。

そしたら今度は日デが全く来ませんでした。待てど暮らせどやって来るのはいすゞとふそうばかり。そりゃそうなんですけど、1時間待ってやっと2台、現れました。これで上手く撮れなかったら諦めようと思っていましたが、何とか撮れて良かったです。疲れたけど、思い残すことはありません。

 

ハッキリ言って余命は知れています。でも、民生時代の最初の導入から75年。歴史の重みを感じながら、残された最後のS代車は走り切ってもらいたいですね。

 

 

【参考文献・引用】

バスラマインターナショナルNo.197

BUSRAMA SPECIAL No.11「UDマークのバス達」

(いずれもぽると出版社 刊)

バスマガジンMOOK「永久保存版 都営バス全形式アルバム」 (講談社ビーシー社 刊)

都バス資料館