以前は北海道の仮乗降場を五十音順に並べた索引を掲載しました。


今回は開設日順に並べて見てみたいと思います。


まず、ここに挙げるものの扱いとして、

・名称は開設した当初のもので記し、改称などがあったものには適宜、註釈を付す

・信号場については、旅客の取扱いを開始した日を仮乗降場の開設日とする

・駅から降格し、仮乗降場となったものは、その日付を開設日とする

・国鉄時代についてのみを対象とし、私鉄路線として開業し後に国有化したものは、国有化時に仮乗降場とされたもののみを記す。また開設日は国有化の時点とする

・臨時乗降場は含めない。ただし仮乗降場のうち季節営業だったものの複数年に亘って営業していたものは含めることとする

・昭和10年代以前のものは今回は除外する

・路線名は建設中の各路線がすべて全通した昭和49(1974)年現在の名称とする

とします。


以下、列挙していきます。

私が何冊かの書物にて調べた限りの全てを掲載しますが、なにぶん勉強不足ゆえ、抜け落ちているものもあるかも知れません。

ここに足りない、あるいは誤りがあるという情報をお持ちの方がいらしたら、ご教示頂けますと幸甚です。


年次は元号表記とし、断りのない限りは昭和となります。

また日付が不明なものは日付欄を「-」とします。

前後関係が分からないため、同じ年内・月内の最後にまとめて記します。


〈戦前〜戦中〉

13.10.1 稚内桟橋(わっかないさんばし)宗谷本線

18.2.26 東山(ひがしやま)函館本線

18.9.25 旭浜(あさひはま)室蘭本線

18.9.30 小幌(こぼろ)室蘭本線

18.-.- 仁山(にやま)函館本線

19.7.1 北豊津(きたとよつ)函館本線

    尾路遠(おろえん)胆振線

19.9.1 桂川(かつらがわ)函館本線 ※信号場開設日として。旅客扱い開始時期は不詳

    鷲ノ巣(わしのす)函館本線

19.10.1 豊泉(とよいずみ)室蘭本線

19.10.1 陣屋町(じんやまち)室蘭本線

20.6.1 渡島沼尻(おしまぬまじり)函館本線

20.8.1 北入江(きたいりえ)室蘭本線


〈戦後・昭和23(1948)年以前〉

21.6.1 上多度志(かみたどし)深名線

21.7.- 美野(みの)石北本線

21.9.10 愛冠(あいかっぷ)池北線

     旭(あさひ)名寄本線

21.10.10 豊清水(とよしみず)宗谷本線

21.11.1 文珠(もんじゅ)歌志内線

21.12.1 大中山(おおなかやま)函館本線

     野上(のがみ)石北本線 ※後の新栄野

     生野(いくの)石北本線

22.2.11 日ノ出(ひので)池北線

     豊野(とよの)名寄本線

     旧白滝(きゅうしらたき)石北本線

     旭野(あさひの)石北本線 ※後の西女満別

22.9.21 中名寄(なかなよろ)名寄本線

22.12.25 臼谷(うすや)羽幌線

     二ノ橋(にのはし)名寄本線

22.12.- 北永山(きたながやま)宗谷本線

23.1.25 弥生(やよい)幌内線

23.5.- 北光社(ほっこうしゃ)池北線

23.6.- 初野(はつの)宗谷本線

23.7.1 本石倉(ほんいしくら)函館本線 ※39〜48年一時旅客扱い廃止

    春志内(はるしない)函館本線

    栄丘(さかえおか)興浜南線

23.8.1 笹森(ささもり)池北線

23.11.1 鳥ノ沢(とりのさわ)石北本線

23.11.5 光珠内(こうしゅない)函館本線

23.12.1 鶉(うずら)函館本線上砂川支線

23.-.- 中須田(なかすだ)江差線

23年以降 釧北(せんぽく)池北線

時期不詳 旭川四条(あさひかわよじょう)宗谷本線


〈昭和24(1949)年・日本国有鉄道発足〜昭和29(1954)年〉

24.4.1 宇津内(うつない)深名線 ※駅より格下げ

24.9.1 色内(いろない)手宮線 ※仮乗降場として再開

24.10.20? 北見平和(きたみへいわ)湧網線

25.1.20 住吉(すみよし)幌内線 ※後の幌内住吉

25.10.1? 泉川(いずみかわ)標津線

25.11.1 下相ノ内(しもあいのない)石北本線

25.-.- 様舞(さままい)池北線

26.3.10? 小糸井(こいとい)室蘭本線 ※後の糸井

26.4.1 空知太(そらちぶと)函館本線

26.4.1? 狩勝(かりかち)根室本線

     常紋(じょうもん)石北本線

26.5.19? 姫川(ひめかわ)函館本線

26年頃? 北頓別(きたとんべつ)天北線

29.7.1 古瀬(ふるせ)根室本線


〈昭和30(1955)年〉

30.3.26 番屋ノ沢(ばんやのさわ)羽幌線

30.8.20 円山(まるやま)深名線

     宇摩(うま)深名線

     下幌成(しもほろなり)深名線

     新成生(しんなりう)深名線

     上幌加内(かみほろかない)深名線

     下政和(しもせいわ)深名線

     大曲(おおまがり)深名線

     豊住(とよずみ)池北線

     西富(にしとみ)池北線

     旭通(あさひどおり)相生線

     豊幌(とよほろ)相生線

     高校前(こうこうまえ)相生線

30.9.2 新富(しんとみ)深名線

30.9.- 広郷(ひろさと)池北線

30.11.1? 崎守町(さきもりちょう)室蘭本線

30.12.1 一区中通(いっくなかどおり)名寄本線 ※後の共進

30.12.2 干拓(かんたく)羽幌線

     作返(さくかえし)羽幌線

     西永山(にしながやま)宗谷本線

     南比布(みなみぴっぷ)宗谷本線

     北比布(きたぴっぷ)宗谷本線

     下士別(しもしべつ)宗谷本線

     琴平(ことひら)宗谷本線

     下中川(しもなかがわ)宗谷本線

     糠南(ぬかなん)宗谷本線

     上駒(かみこま)天北線

     寿(ことぶき)天北線

     常盤(ときわ)天北線

     飛行場前(ひこうじょうまえ)天北線

     宇遠内(うえんない)天北線

30.12.25 一本松(いっぽんまつ)名寄本線

     厚生病院前(こうせいびょういんまえ)名寄本線

     四号線(しごうせん)名寄本線湧別支線

     元沢木(もとさわき)興浜南線

     雄武共栄(おむきょうえい)興浜南線

     十六号線(じゅうろくごうせん)渚滑線

     上東(じょうとう)渚滑線

     奥東(おくとう)渚滑線

     雄鎮内(ゆうちんない)渚滑線

     福島(ふくしま)湧網線

     志撫子(しぶし)湧網線

     若里(わかさと)湧網線

     興生沢(こうせいざわ)湧網線

     紅葉橋(もみじばし)湧網線

     大曲(おおまがり)湧網線


〈昭和31(1956)年〉

31.1.7 土佐(とさ)湧網線

    常呂港(ところこう)湧網線

    中能取(なかのとろ)湧網線

31.1.- 東六線(ひがしろくせん)宗谷本線

31.2.26 頓別(とんべつ)興浜北線

     豊浜(とよはま)興浜北線

     山臼(やまうす)興浜北線

31.4.30 幸成(こうせい)名寄本線

31.5.1 湖畔(こはん)深名線

    啓明(けいめい)羽幌線

    北里(きたざと)羽幌線

    中川口(なかかわぐち)羽幌線

    西振老(にしふらおい)羽幌線

    上雄信内(かみおのっぷない)宗谷本線

    恵野(めぐみの)天北線

    周磨(しゅうまろ)天北線

    弘道(こうどう)名寄本線

    元西(もとにし)渚滑線

    東富丘(ひがしとみおか)湧網線

    二見中央(ふたみちゅうおう)湧網線

    達美(たつみ)相生線

    大昭(たいしょう)相生線

    開拓(かいたく)相生線

31.5.13 富岡(とみおか)羽幌線

31.7.1 北秩父別(きたちっぷべつ)留萠本線

    真布(まっぷ)留萠本線

    南咲来(みなみさっくる)宗谷本線 ※後の天塩川温泉

    南美深(みなみびふか)宗谷本線

31.8.20 花岡(はなおか)羽幌線

     浜床丹(はまとこたん)湧網線

31.8.26? 幸福(こうふく)広尾線

31.9.1 興津(おこつ)羽幌線

    瑞穂(みずほ)宗谷本線

    秋里(あきさと)名寄本線 ※後の旭ケ丘

    富丘(とみおか)名寄本線

31.9.20以前(時期不詳) 恩根(おんね)相生線

31.10.30 矢文(やぶみ)名寄本線

     岐阜橋(ぎふばし)名寄本線

31.11.1 下ノ滝(しものたき)羽幌線

     伊奈牛(いなうし)石北本線

31.11.16 南雨竜(みなみうりゅう)札沼線

     中雨竜(なかうりゅう)札沼線

31.11.19 安別(やすべつ)天北線

31.11.19以前(時期不詳)

     天北栄(てんぽくざかえ)天北線

     川向(かわむかい)名寄本線

     学田(がくでん)名寄本線 ※後の北遠軽

31.12.20 堺橋(さかいばし)湧網線

31.12.- 西訓子府(にしくんねっぷ)池北線


〈昭和32(1957)年〉

32.2.1 南下沼(みなみしもぬま)宗谷本線

32.8.1 川西(かわにし)名寄本線

32.11.1 北興(ほっこう)名寄本線

32.12.1 柏陽(はくよう)石北本線 ※開設当初は柏陽高校前と名乗っていたとの説あり

32.12.3 班渓(ぱんけ)名寄本線


〈昭和33(1958)年〉

33.7.1 五鹿山(ごかざん)湧網線

33.-.- 西二線(にしにせん)根北線

    14号(じゅうよんごう)根北線

    16号(じゅうろくごう)根北線


〈昭和34(1958)年〉

34.4.20 六興(ろっこう)名寄本線

34.10.7 稲士別(いなしべつ)根室本線

34.11.1 北剣淵(きたけんぶち)宗谷本線

     智北(ちほく)宗谷本線

     新弥生(しんやよい)天北線

34.12.1 於札内(おさつない)札沼線


〈昭和35(1960)年〉

35.5.2 北日ノ出(きたひので)石北本線

    将軍山(しょうぐんざん)石北本線

    愛山(あいざん)石北本線

    東雲(とううん)石北本線


〈昭和36(1961)年〉

36.1.14 西の里(にしのさと)千歳線 ※信号場開設日として。旅客扱い開始時期は不詳

36.4.10 多和(たわ)標津線

36.10.1 開栄(かいえい)標津線

     平糸(ひらいと)標津線

36.12.1 政和温泉(せいわおんせん)深名線


〈昭和37(1962)年〉

37.5.1 光進(こうしん)標津線


〈昭和38(1963)年〉

38.6.1 千松(せんまつ)羽幌線

38.9.30 北舟岡(きたふなおか)室蘭本線

38.11.1 電力所前(でんりょくしょまえ)士幌線

38.12.1 東幌糠(ひがしほろぬか)留萠本線

     桜庭(さくらば)留萠本線

     阿分(あふん)留萠本線

     信砂(のぶしゃ)留萠本線

     朱文別(しゅもんべつ)留萠本線

     箸別(はしべつ)留萠本線


〈昭和39(1964)年〉

39.6.1 原生花園(げんせいかえん)釧網本線


〈昭和40(1965)年〉

開設なし


〈昭和41(1966)年〉

41.9.29 鹿越(しかごえ)根室本線 ※ルート変更により駅より格下げ

41.10.1 新士幌(しんしほろ)士幌線

     北湧(ほくゆう)名寄本線


〈昭和42(1967)年〉

42.4.1 桂台(かつらだい)釧網本線


〈昭和43(1968)年〉

43.10.1 大森(おおもり)池北線


〈昭和44(1969)〜48(1973)年〉

開設なし


〈昭和49(1974)年〉

49.7.25 共栄(きょうえい)白糠線


〈昭和50(1975)年〉

50.12.25 上越(かみこし)石北本線 ※駅より格下げ


〈昭和51(1976)年〉

開設なし


〈昭和52(1977)年〉

52.5.25 神路(かみじ)宗谷本線 ※駅より格下げ

52.9.1 東町(ひがしちょう)日高本線


〈昭和53(1978)〜54(1979)年〉

開設なし


〈昭和55(1980)年〉

55.10.1 栄町(さかえまち)幌内線


〈昭和56(1981)年〉

56.12.1 大学前(だいがくまえ)札沼線



以上が仮乗降場の開設年月日です。

昭和30年、31年に特に多数新設されたことが分かります。

一方、昭和32年以降は急激に新設数が少なくなり、特に昭和33年の開設数がほとんどないのが不思議なところです。

根北線は昭和32年に開通したものの、当初より赤字が続き、窮余の策として3か所の仮乗降場を設けたと言われています。

これらを除けば湧網線の五鹿山のみという、際立って仮乗降場の新設が少なかった年なのです。

他には臨時の仮乗降場として1か月だけ存在した函館本線の嵐山仮乗降場くらいのものです。


昭和33年といえば高度成長期真っ只中、在来線特急の礎を築いたかの有名な「こだま」が運転を開始し、東京大阪間が初めて日帰り出来るようになった時代で、東京タワーが開業した年としても有名です。

この年に仮乗降場の新設がほとんどなかった事実は、高度成長期で仮乗降場ではなく正駅として新設される流れになったことを意味するのか、はたまたモータリゼーションの影が忍び寄り、北海道の鉄道経営に暗雲が立ち込めてきたことを示唆するのか…。

なお、仮乗降場の正駅への昇格が翌34年以降に相次いでおり、仮乗降場絡みでは前後の年に比べて不気味なほど動きが少ない年でした。

仮乗降場の正駅化は昭和31年、昭和34年に特に多く、昭和33年に正駅化したのは幌内線の幌内住吉仮乗降場ただ1例です)


昭和30年代後半以降の鉄道の苦戦ぶりは、皆様ご周知の通りです。

一方で昭和33年といえば、北海道のローカル列車の代名詞と言っても過言ではない、キハ22形が投入され始めた年でもあります。

これはキハ46、キハ24が投入され始める昭和41年までロングセラーとなり、北海道および東北北部でJR化後まで幅広く活躍した大所帯の気動車になりました。

またキハ10000(→キハ01・02)から始まる一連のレールバスの投入が終息し、その実績と課題も浮き彫りとなってきて、閑散線区の輸送形態が岐路に立たされていた時期なのは確かでしょう。

他方、幹線ではまだまだ蒸気機関車が最後の活躍をしており、エネルギー革命前夜とあって輸送量は貨客ともにまだかなりの水準にあったはずです。

そういった意味では、時代の狭間のような年だったのかも知れません。