昭和59年(1984年)6月頃

山陰本線京都発下り旧型客車

のうち835列車(835レ)

【投稿日 令和5年5月18日】

【修正等 令和6年3月25日等】

 

 1 はじめに

(1)昭和54年12月体制(概要)(私見)

 普通客車列車王国(普通客レ王国)時代の山陰本線京都口に50系客車が初めて投入されたのは、昭和54年(1979年)12月、とのことですが(『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)のP16)、昭和54年12月から昭和60年3月ダイヤ改正前の山陰本線京都口では、非常に多くの旧型客車と非常に多くの50系客車が運行されていました。これを当ブログでは「昭和54年12月体制」と呼んでいます。また、この時期のうち昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正の時期については、下記2で記載した理由等により、「昭和54年12月体制Ⅲ」「昭和54年12月体制第3期」「昭和59年2月体制」と呼ぶことがあります。

 

(2)山陰本線京都口旧型客車最終日(再掲)

 昭和60年3月ダイヤ改正が昭和60年(1985年)3月14日に実施されたため、山陰本線京都口における旧型客車最終日は昭和60年3月13日になります。旧型客車廃止時期に関する詳細は、下記5及び#347等のブログをご参照ください。

 

(3)今回のブログでは

 今回は昭和60年3月ダイヤ改正前まで山陰本線京都口にて運行されていた旧型客車のうち835列車(835レ)について記載します。

 

 

 

 2 勇姿1及び両数 

(1)昭59.2~昭60.3ダ改前の835列車(835レ)の勇姿(R5.6.17、R6.2.29修正)(R6.3.16一部簡略化)

 「10th 3rd enpedia「荷物列車」」によると、昭和59年2月ダイヤ改正で荷物車や郵便車を旧型客車の定期列車に連結する方法は廃止、とのことです。しかし、実際には、昭59.2〜昭60.3の835列車には「郵便車+荷物車」が連結されていました(京都〜福知山間は「郵便車+荷物車」、福知山〜米子間は「郵便車」が連結)。その詳細は下記の通りです。

(※今回のブログでは、「郵便車+荷物車」について「荷物車等」「郵便車等」「2両の荷物車等」等と呼ぶ場合あり)

 

①京都駅等(R6.2.28、R6.3.17修正)

(R5.6.16追記)(R6.3.17修正) ☆

<旅一郎氏のYouTube動画>(R5.6.16新規投稿)

※2:20付近及び11:06付近に、326レが京都駅山陰2番ホームに到着後、「郵便車+荷物車」が連結されて835レになる場面の資料の紹介あり

※9:25付近に、旅一郎氏が撮影された二条駅における当時の山陰号の写真が紹介されている

 

※326レが京都駅到着後、下り側に「郵便車+荷物車」が連結された835レになる件については、#444のブログをご参照ください。(R6.3.17追記)

 

 

 

②保津川沿いを走る835レ

 

<引用>1985年3月5日の835列車(835レ)

※引用元:元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログのうち「【軌跡26】四国・九州旅行:1~2日目(1985/03/05‐06)」。引用したい旨連絡済み。

※昭和60年(1985年)3月5日の保津峡沿いを走る835レ、とのこと。

※引用理由:835レについては、昭和60年3月ダイヤ改正による廃止直前まで「郵便車+荷物車」が連結されていたことを証明するため

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※この写真は、昭和60年(1985年)3月5日の保津峡沿いを走る835レ。835レは京都発米子行き普通客車列車(旧型客車)で、昭和60年3月ダイヤ改正で廃止。

※この写真から、昭和59年2月~昭和60年3月の835レについて、京都~福知山は「座席車8両、荷物車等2両」であったことを証明できる。

※その他詳細について記載省略

 

※引用元である元鉄氏のブログのURLは次の通り

 

 

※両数については、下記(2)もご参照ください。

 

(5.5UP)

 

 

③下山駅

 

<引用>

※引用元:京丹会交通写真博物館さんがTwitterに投稿されたツイート。使用については了承を得ています。

※1984年頃の山陰本線下山駅、とのこと。

※この列車(旧型客車)は、当時の京都発米子行き普通客車列車である835レ、とのこと。

※引用元(京丹会交通写真博物館)のツイートは次の通り

(ツイートのリンクをコピーの方法で添付)

 

(補足)

写真の状況から、1984年梅雨の時期?

 

<参考>

※京丹会さんのプロフィール欄のURLは次の通り

https://twitter.com/Kyotam_kai?s=20&t=Ff0oJpEvycA9QLDgjmL1bQ

 

 

④和知駅

 

<引用>(R6.2.28追記)

※引用元:京丹会交通写真博物館さんがTwitterに投稿されたツイート。使用については了承を得ています。

※1984年頃の山陰本線和知駅、とのこと。

※この列車(旧型客車)は、当時の京都発米子行き普通客車列車である835レ、とのこと。また、郵便車や荷物車の併結もあった、とのこと。

※引用元(京丹会交通写真博物館)のツイートは次の通り

(ツイートのリンクをコピーの方法で引用)

 

(6.2UP)

 

 

(2)昭59.2~昭60.3ダ改前の835レの両数

①概要(R6.2.29、R6.3.14修正)

『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)に掲載されている運用に関する資料によると、昭59.2ダイヤ改正~昭60.3ダイヤ改正前の835レの両数については座席車8両(荷物車等除く)、とのことであり、そのうち京都側2両は福知山で切り離され、福知山~米子は座席車6両(荷物車等除く)、とのことです。⇒昭59.2ダイヤ改正~昭60.3ダイヤ改正前の835レについて、「郵便車+荷物車」を含めると京都~福知山間は10両となりますが、荷物車と京都側2両の座席車は福知山で切り離されるため、福知山~米子間は郵便車を含めて7両となります。

(R6.3.14、『国鉄気動車客車情報(84年版)』を新たに入手できたため、それにて確認すると、835レの編成も明記されており、その情報を元に修正)

 

②当時の835レ編成図

 後日改めてブログを作成します。(R6.3.14修正)

 

ギザギザギザギザ

 

 

 

 3 昭59.6 山陰本線835レ(旧型客車)各駅発車時刻等

 昭和59年6月の時刻表に基づき記載した、当時の山陰本線835列車(835レ、旧型客車)の各駅発車時刻等は次の資料の通りになります。

<各駅発車時刻等一覧表>(R6.3.14~25に差し替え)

 

 

<補足>

※臨時列車等は除いています。

※835レ以外の列車の編成についても記載省略しています。

※上記835レの機関車はDD51ですが、米子機関区所属のDD51、とのこと。

※交換列車等については当時の時刻表に基づき判断。

※当時まだ設置されていない駅に関する記述は省略しています。

※昭和59年の山陰本線については、伯耆大山~知井宮間(米子・松江・出雲市もこの区間内にある)のみ電化されている状況(詳細については記載省略)。

※昭和59年の山陰本線については、綾部~福知山間、伯耆大山~米子間、米子~安来間、東松江~松江間、玉造温泉~来待間が複線区間。(詳細については記載省略)

 

<修正に関して>

※都道府県等について追記した一覧表に差し替え(R5.5.21)。また、駅名の文字の大きさが少し違っていたので統一した一覧表に差し替え(R5.6.17)。更に、両数について新たに判明したことを踏まえて補足説明欄を修正した一覧表に差し替え(R6.2.28)。更に新たに入手した『国鉄気動車客車情報(84年版)』に明記されていた編成資料をもとに福知山の箇所と補足説明欄を修正した一覧表に差し替え、更により誤解を生みにくい表現に直した一覧表に差し替え(R6.3.14~25)

 

(6.3UP)

 

ギザギザギザギザ

 

 

 

 

 4 勇姿2

 時期的には合わない写真もありますが、参考までに、使用について了承を得ている当時の835レの写真を引用します。

 

(1)京都駅

 

<参考>

<引用>

※引用元:ぶらーり旅好きさんのツイート。Twitterを通じて使用については了承を得ています。

(撮影年月日等詳細については不明、とのこと。)

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※この写真は、京都駅山陰2番ホームに停車中の下り旧型客車と考えられる。また、この列車は、昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正前まで運行されていた、京都発下り旧型客車のうち835レと考えられる。

 

※上記引用元のツイートについては次の引用リツイートをご参照ください。

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

(5.5UP)

 

 

(2)保津峡

 

<参考>

<引用>

※ヤフオクで入手、出品者了承済み(q氏)、転載等禁止

※詳細不明、とのこと。

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※この写真は、内容から、昭和60年3月ダイヤ改正前まで運行されていた、京都発下り旧型客車のうち835レと考えられる。場所は山陰本線保津峡駅。

 

(5.5UP)

 

ギザギザギザギザ

 

<参考>

<引用>

※PIXTAで購入した写真。詳細は下記の通り

○写真素材: 国鉄・山陰本線保津峡駅 昭和56年(昭和56年12月12日)

○<コピーライト表示>

・素材番号 : 261778  

・クレジット(作者名表記) : 髙橋義雄氏 / PIXTA(ピクスタ)

・写真提供:PIXTA(ピクスタ)…ロイヤリティフリー(RF)素材

・URL https://pixta.jp/photo/261778

○<作品コメント> 

 ①撮影 昭和56年12月12日 

 ②撮影場所:保津峡駅付近より 普通837レ

 

 

 (ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※この写真の旧型客車は、昭和56年(1981年)12月12日の、京都発出雲市行き普通客車列車である837列車(837レ)であるが、1982年7月ダイヤ改正後は、京都発米子行き普通客車列車である835列車(835レ)となる。

※その他詳細について記載省略

 

 

(4.5UP)

 

 

(3)余部鉄橋

<参考>

<引用>昭和57年8月の835レ(R6.3.14修正)

※ヤフオクで入手、出品者了承済み、転載等禁止

※時期は昭和57年(1982年)8月、とのこと。

※余部鉄橋を渡る下り旧型客車

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※編成等から、この下り旧型客車は、昭和57年(1982年)8月の835レ(京都発米子行き普通客車列車)と思われる。

※当時の835レの座席車は、福知山~米子間は座席車6両。

※この写真は昭和57年8月のため、福知山以降も「郵便車+荷物車」が下り側に連結されている。下記補足説明2参照

 

(補足説明2 835レの荷物車等)

※昭和59年2月~昭和60年3月ダイヤ改正前の時期の835レについては、京都~福知山間は「郵便車+荷物車」が下り側に連結され、福知山~米子間は郵便車が下り側に連結(R6.3.14新たに入手した資料により修正)。

 

(5.4UP)

 

ギザギザギザギザ

 

 

 

 5 参考までに

(1)昭59.6頃山陰本線京都口旧型客車等概要

 #347のブログには、当時の山陰本線京都口旧型客車や50系客車等の概要について記載しています。また、#252等のブログにおいても、当時の旧型客車等について記載しています。

 

 

 

 

 

※当時の口丹地区住民の悲願(山陰線京都口複線電化)については、上記#347や#266等のブログをご参照ください。

 

<参考>

当時の321レについても、上記#252等のブログをご参照ください。

 

<参考>

※令和3年8月南丹市立文化博物館での展示⇒昭和55年2月の園部駅付近における旧型客車と50系客車の写真が展示されていました。詳細については#165のブログをご参照ください。

 

<参考>

私自身の旧型客車乗車に関しては、#119や#㋐48等のブログにて記載しました。

 

 

 

(2)YouTube動画

 参考までに、1984年頃の835レ等が登場する動画があります。他の方のYouTube動画ですが、そのURLは次の通り

<kumoha54氏のYouTube動画>

 

 

 

 

 6 旧型客車廃止とその後の経過等

(1)旧型客車廃止等に関して(R6.2.29修正)

※山陰本線京都~福知山間及び山陰本線出雲市以西で旧型客車が消滅するのは昭和60年3月ダイヤ改正です。

※昭和60年3月ダイヤ改正で上記835レは系統分割され、「京都⇒福知山」間は京都発福知山行き普通客車列車である833レ(下記参照)、「福知山⇒米子」は福知山発米子行き527レとなりました。

※昭和60年3月ダイヤ改正から昭和63年9月まで、上記835レのスジのうち「京都⇒福知山」間は京都発福知山行き普通客車列車である833レとして運行されました。この833レは、S60.3.14~S61.10は50系7両、S61.11~S63.9は12系8両でした。

(詳細は#352や#248等のブログ参照)

※山陰本線福知山~出雲市間の旧型客車最終日は昭和61年10月31日(山陰本線全線で旧型客車が消滅するのは、昭和61年11月ダイヤ改正)。詳細については過去に投稿済みのブログをご参照ください。

※山陰本線京都口の普通客車列車に12系客車が投入された昭和61年11月ダイヤ改正及びその後の経過については、#347や#248等のブログをご参照ください。

 

(2)昭和63年10月1日ダイヤ修正による山陰本線京都口普通客車列車大幅削減及びそれ以後の経過について

 上記#347、#248、#183等のブログご参照ください。山陰本線近代化等の資料については、#346・#347等のブログをご参照ください。

 

 

 

 

<参考文献>

・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)

・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)

・『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)

・『国鉄気動車客車情報(86年版)』(ジェー・アール・アール)等

・『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号)魅惑の国鉄車両』(㈱ネコパブリッシング)

・「【軌跡26】四国・九州旅行:1~2日目(1985/03/05‐06)」(元鉄氏の「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り鉄」だった80年代~」のブログ)。

・日本国有鉄道ファン氏のAmebaブログ「1985年正月三が日のいずれか 寝台普通列車<山陰> 京都」等

・旅一郎氏のYouTube動画「【語り】昭和60年3月ダイヤ改正前日」

・kumoha54氏等のYouTube動画

・「国鉄全線完乗の軌跡~「乗り」鉄だった80年代~」「京丹会交通写真博物館」等のツイート等Twitter情報

・ウイキペディア

・10th 3rd enpedia「荷物列車」

 

 

※R5.6.17の修正⇒旅一郎氏のYouTube動画「【語り】昭和60年3月ダイヤ改正前日」の新規投稿及び『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号)魅惑の国鉄車両』に基づき修正

※R6.2.29の修正⇒新たに得た情報を元に再度修正

※R6.3.14〜16の修正⇒新たにヤフオクで『国鉄気動車客車情報(84年版)』(ジェー・アール・アール)を入手できたことで新たに判明した事実を元に修正

 

 

<参考 Pick>

 

 

 

 

 

 

※誤字脱字等があれば、その都度修正します。

※引用箇所について転載等禁止

※書籍化対応のブログに変更するかもしれません。

※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。