現役蒸機時代の末期の撮影現場では、レトロな外観のカメラをしばしば見かけた。それが二眼レフであることは、父親がその昔の一時期使っていたこともあり知っていた。しかし、当時ですら古臭い印象のカメラがなぜ鉄道撮影の現場で人気なのか俄かにはわからなかった。

たまたま現場で一緒になった鉄チャンに聞いてみると、なんとレンズが交換できる二眼レフで、マミヤというメーカーのカメラであるという。35ミリ版では得られないきめ細かい描写になると力説していた。僕はこれは凄いと感心し、興味を惹かれた。そうなるともう寝ても覚めてもマミヤを思い続ける日々。新宿西口ヨドバシカメラに出かけた際にマミヤのカタログを手に入れ、吟味を始めた。マミヤの二眼レフは普及タイプのC220と高級タイプのC330があった。外観の細かな差異は別として、性能面での大きな違いはパララックス補正機能とセルフコッキング機能が付いているかどうかだった。近接撮影などしないのでパララックス補正機能はいらないし、セルフコッキングでなくても巻き上げ後のシャッターチャージを忘れなければ大丈夫と考えた僕は価格の安いC220に狙いを絞った。貯め込んだ小遣いだけでは足りず、親に泣きついてどうにか手に入れた。レンズは80ミリ。追って180ミリも加わった。

↑↓マミヤC330(上)とC220(下)。やはり上位機種のC330の方が高級感がある。

このC220をバッグに入れて乗り込んだ冬の北海道では、ここぞという撮影ポイントで大いに威力を発揮した。行く先々で「中学生なのに渋いカメラを持っているね」と声をかけられ、少しばかり鼻が高かった。

余談だが、パララックス補正機能がなくて困ったことはなかったが、セルフコッキング無しには一度だけ泣かされた。夕張鉄道鹿ノ谷機関区で興奮して撮影していた時にシャッターチャージを忘れて撮りまくっていたので、幻の名作!?を量産した。

それでも、このとき撮影したカラーネガは素晴らしい描写力で半世紀近く経った今でも当時の雰囲気をよく伝えてくれている。C220で撮影した写真は拙著『Excellent Railways ー遥かなる鉄路ー』にも数点掲載した。

↓幌内炭鉱を目指して9600の牽く返空列車が炭住街を行く。幌内線三笠ー幌内(1975年3月)

↓山梨県と長野県の県境にあるかつての小海線の撮影名所を行く気動車。小海線清里ー野辺山(1976年2月)

本州から蒸機が消え、九州もほとんど無煙化された後また北海道へ行き、蒸機に別れを告げるんだと意気込みだけは盛んであったが、諸事情により願いは叶わず、この国から蒸機がなくなってしまった。結局マミヤで蒸機を撮ったのは1回限りとなってしまった。翌年マイナス25度にまで冷え込んだ小海線に出かけてDD16貨物やキハ52を撮ったのを最後に、C220はミノルタXE購入の財源となってしまった。C220にはなんの不満もなかったのだが、蒸機あっての二眼レフという意識でいたようで、蒸機がなくなるともはやこれまでと思うようになったのである。マミヤには不運な思いをさせてしまったのが心残りではある。