人生初のソロ鉄(個人的事情)

私が小5の時一人で山陰線京都口旧型客車

に乗車した件

校則違反の山陰線京都口旧型客車一人乗車

(1984年山陰線京都口旧型客車関係)

※今回は個人的事情に関するブログ

※個人的見解、私見について記載した箇所あり

【投稿日 令和5年5月12日】

 

※今回のブログは鉄道に関する内容ですが、アスペルガーの特性と深くかかわっているため、発達障害部門の方で記載します。

 

 

1 はじめに

(1)小5の時(1984年)、山陰線京都口旧型客車に一人で乗車した件

①個人的事情

 個人的事情で恐縮ですが、私は、小学5年だった昭和59年(1984年)9月に、当時の山陰線京都口で運行されていたDD51牽引の旧型客車であった820レと837レに一人で乗車しました。どうしてもその旧型客車に一人で乗車したく思い、そのような行動に出ました。区間は「八木~亀岡」の区間で乗車しました。そして、それは、私にとっては初めてのソロ鉄となりました。

 しかし、当時の山陰線京都口旧型客車に一人で乗車することは下記の通り口頭による校則に違反することとなるため、学校の先生や親の目を盗んで、山陰線京都口旧型客車に一人で乗車した次第です。

 

②学校の口頭による校則に関して

 当時私が通っていた小学校では、子供だけで山陰線京都口の列車に乗って出かけることは口頭による校則で厳しく禁止されており、もし小5である私が一人で山陰線京都口の旧型客車に乗車したことが学校の先生にばれたら、職員室に呼ばれて厳しく叱責される事態になりました(私はこれを、「山陰線京都口の普通客車列車に乗車することを事実上禁止する口頭による校則」と個人的に呼んでいる。この校則は、当時の山陰線京都口、特に口丹地区で普通客車列車が一般の人から非常に嫌われていたことを証明するものと思っている⇒個人的見解。後日改めてブログ作成予定)。

   しかし、前述の通り、私はどうしても一人で山陰線京都口旧型客車に乗りたかったため、学校の先生や親の目を盗んで、また移動中は学校の先生がいないか厳戒体制を取りながら(もし学校の先生がいたらすぐに逃げる体制を取りながら)、1984年9月に下記2の行程で山陰線京都口の旧型客車に一人で乗車しました。なお、私が山陰線京都口の旧型客車に一人で乗車したのは、この時が最初で最後となりました。

 

【参考】

※山陰線⇒正式名称は「山陰本線」ですが、当時口丹地区では一般的に「山陰線」という用語が使用されていました。

 

<参考>

※820レ⇒1984年当時は米子発京都行き普通客車列車でDD51牽引の旧型客車

※837レ⇒1984年当時は京都発福知山行き普通客車列車でDD51牽引の旧型客車

※今回は発達障害部門のブログのため、例えば山陰本線旧型客車廃止時期等に関する記述は省略します。当時の山陰本線旧型客車に関しては次のブログをご参照ください。

 

 

※820レダイヤの詳細等については、鉄道部門の方で後日改めてブログを作成しようと思っています。

 

 

(2)アスペルガー症候群は「ソロを好む」件について

 以前の発達障害部門のブログにも記載しておりますが、また一般の方には理解していただけないのですが、アスペルガー症候群の特性のなかに「一人が落ち着く」「一人を好む」「一人で行動したい」等の特性があります。次のツイートの通りです。

<引用>アスペルガーの特性

※ツイートのリンクをコピーの方法で引用。アスペルガーの特性のひとつについて説明するため引用

 

 

<引用>アスペルガーの特性

※ツイートのリンクをコピーの方法で引用。アスペルガーの特性のひとつについて説明するため引用。

 

なお、次のブログもご参照ください。

 

 

 

 

(3)発達障害児のお母さま方のブログを読んで

 実は、1984年当時の私の思い(一人で山陰線京都口旧型客車にどうしても乗りたい)と似たような思いを抱いているのではないか?と思われる発達障害児の子供さんについて記載されているブログがあります。それを見て、今回のブログの投稿を急遽決めた次第です。下記参考資料欄にそのブログのURLを記載しています。

 

※個人的事情で恐縮ですが、以前のブログで記載の通り、私自身がアスペルガー当事者です。(投稿後追記)

 

 

 

2 当日の私の行動(最初で最後の山陰線京都口旧型客車一人乗車)

 1984年9月、私が一人で山陰線京都口の旧型客車に乗って亀岡へ行った時の移動行程は次の通りです。(私が一人で当時の山陰線京都口の旧型客車に乗ったのは、この時が最初で最後です)

1984年9月

私の山陰線京都口旧型客車一人乗車

 

(1)旧型客車の820レに一人で乗車

国鉄八木駅にて旧型客車である820レに一人で乗車しました。外装・内装とも茶塗装の車両に乗車しました。(1984年当時、820レは八木駅を14時14分に発車)

・当時の旧型客車は手動ドアで、ドアが開いたまま走行していましたが、走行中にその開いたままの手動ドアの近くにいるところを車掌に見つかりかなり怒られました。

・荷物車は連結されていなかった記憶があります。

 

(2)820レから下車

 国鉄亀岡駅で下車。(1984年当時、820レは亀岡駅14時30分発)

 

(3)亀岡駅から西友亀岡店に移動

 徒歩で移動しました。

 

(4)西友亀岡店にて

・当時、西友亀岡店の屋上にはドンキーコングなどのアーケードゲームが置かれており、そこに行ったと思います。

・当時、西友亀岡店のおもちゃ売り場ではNゲージが販売されており、それを見に行ったと思います。

・当時の西友亀岡店のおもちゃ売り場のテレビゲーム(主にファミコン)売り場を見に行ったと思います。

 

(5)亀岡駅にて

 国鉄亀岡駅で帰りの旧型客車を待っている間、売店の漫画を立ち読みし、売店の店員にかなり怒られました。

 

(6)旧型客車の837レに一人で乗車

国鉄亀岡駅にて旧型客車である837レに一人で乗車しました。外装・内装とも茶塗装の車両に乗車しました。(837レは亀岡駅を16時41分に発車)

・並河駅で、外装は青・内装は茶の車両に移動した記憶があります。

・国鉄千代川駅で一旦ホームに降りて、外装・内装とも茶塗装の車両に移った記憶があります。

・荷物車は連結されていなかった記憶があります。

 

(7)837レから下車

・国鉄八木駅で下車。(1984年当時、837レは八木駅16時59分発)

 

(8)飲食店に寄る

 八木駅から下車後、八木駅の近くの食堂(まるや)に入ってカレーうどんをいただきました。なお、この際、幼少時の話をされた記憶があります。

 

(9)その後

・学校で先生に呼び出されて一人で山陰線京都口旧型客車に乗ったことを厳しく叱られるのではないかとビクビクしながら過ごしていました。また、そのことが親にもバレて大変なことになるのではないか、とビクビクしながら過ごしていました。幸い、そのようなことはなかったです。

・一方、同じ頃に子供だけで旧型客車である820レに乗って亀岡まで行った同級生が先生に呼び出されて、子供だけで旧型客車に乗って亀岡に行ったことについて厳しく叱られていました

 

 

 

<参考>西友亀岡店は、令和4年(2022年)に閉店になりました。(詳細については記載省略)

 

【参考 個人的事情】個人的事情で恐縮ですが、私が820レに乗車したのは、この時が3回目です⇒1回目は親や祖母等と、2回目はいとこと乗車しました。3回目の乗車は上記の通りで、最初で最後の一人乗車になりました。

【参考 個人的事情】個人的事情で恐縮ですが、昭和59年(1984年)9月の山陰線京都口旧型客車一人乗車の後、2回ほど旧型客車に乗る機会がありましたが、いずれも親や祖母と乗車した次第です。

 

 

 

3 旧型客車勇姿

 1984年当時のカメラはフィルムカメラで撮影が非常に難しくまた小5の児童が持てるような品物ではなかったため、写真撮影は一切していないのと、今回は発達障害部門のため列車の勇姿の記載は省略します。当時の旧型客車の勇姿については次のブログをご参照ください。

 

 

 

 

 

 

 

<参考文献>

・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)
・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)
・『国鉄客車ガイド』(昭和58年7月20日発行)(㈱ジェー・アール・アール)

・マイペース自閉症アラジンの子育て日記(モモ氏、Amebaブログ)

 

 

<参考><マイペース自閉症アラジンの子育て日記(モモ氏、Amebaブログ)>

 

 

 

 

 

<Pick>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誤字脱字等があれば、その都度訂正します。

引用箇所について転載等禁止

本日も最後までご覧いただきありがとうございました。