長旅を終えて東京駅に到着した寝台特急「富士」です。
今では考えられないですが、東京-西鹿児島(現、鹿児島中央)間を日豊本線経由で結んでおり、走行距離1595.9km、走行時間24時間26分という、日本一の長距離列車でした。昭和39年の運転開始当初は大分まででしたが、その翌年には西鹿児島まで延長されました。元々、東京-熊本・大分間を結んでいた「みずほ」の大分編成を独立させたのが「富士」になるわけですが、「富士」の名はその前まで東京-宇野間の電車特急でしたよね。
よほどの乗り鉄じゃない限り、西鹿児島まで、あるいは東京まで通して乗る人はそんなにいないと思いますが、まぁ、せいぜい別府だったり、大分だったり、延岡だったり、MAXで宮崎かなって思ったりします。事実、新婚旅行の行き先で宮崎がダントツだった頃は「富士」や「彗星」は人気が高かったそうですからね。でも、私の記憶が確かならば、宮崎から先は極端に乗車率が悪くなるって聞いたことがあります。だから昭和55年10月を機に宮崎止まりになってしまったのではないでしょうか。
でも、やっぱり「富士」は西鹿児島まで行っていた頃が “華” だったような気がするし、このコーナーで度々「富士」を取り上げる際、「子供の頃、ブルートレインの中で一番好きだったのが「富士」だった」と常々言っていますけど、それも西鹿児島まで行っていた頃に限定されますから、そういう意味で私にとっての “富士熱” は55.10改正までだと思っています。
2008年に九州を一周する鉄旅に行ったことがありますが、最終日が「富士」で東京に向かう行程でした。勿論、その時は運転区間がさらに減って大分発着になっていたので、鹿児島中央から大分まで行く必要があります。鹿児島中央-宮崎間を「きりしま」、宮崎-大分間を「にちりん」でそれぞれ乗り継いだわけですが、正直、これだけでもしんどかったです。で、その時に思ったんですが、「これって、ブルートレイン時代の「富士」と同じスジなんじゃない?」って。
参考までにその時乗車した列車の時刻と、昭和54年12月現在の「富士」の時刻を比較しました。
ドンピシャリではないけど、似通った時刻で推移しています。つまり約30年、このスジは生き長らえていたということになります。
「富士」は乗車したその翌年に廃止されてしまい、長く続いたスジは消滅してしまいますが、これを令和5年現在で比較すると、
鹿児島中央 9:59「きりしま 8号」 宮崎着 12:12
宮 崎 12:25「にちりん10号」 大分着 15:43
大 分 16:10「ソニック44号」 小倉着 18:03
小 倉 18:19「 のぞみ58号」 東京着 22:57
とまあ、その日のうちには東京に辿り着けます。でも、そんなわざわざ遠回りしなくても、鹿児島中央から九州新幹線で博多もしくは新大阪で乗り換えれば、もっと早い時間に東京に到着します。似たような時間で比較すると・・・
鹿児島中央 9:41「さくら550号」 新大阪着 13:59
新 大 阪 14:19「のぞみ 26号」 東 京着 16:33
「富士」で24時間以上をかけていたのとは雲泥の差。また、日豊線経由が如何に遠回りなのかも判ります(解ります)。
ただ、今の移動手段にはない “旅情” がブルートレインにはありました。窮屈だっただろうけど。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄ぶらブックス①「伝説のブルートレイン全列車」
JR時刻表2023年3月号
(いずれも交通新聞社 刊)
国鉄監修・交通公社の時刻表1979年12月号 (日本交通公社 刊)