覚えておくために、39年前の「六甲事故」を改めて振り返ってみる | 神戸鉄道案内

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仕事の合間や休日を有効活用し、「その日見た鉄道」(貨物中心ですが(^^;))をできるだけ毎日アップする予定です。

毎度!おばんです!

今日は5月5日・・・

場所は阪急電鉄神戸本線・六甲駅。

訪問は夕方前の、人の動きが少し「谷間」になっていたような雰囲気の時間でした。

(乗ってきたのが、当日に東須磨抑止された7001Fってのは、何か因縁・・・)

列車は何事もなく、平穏無事に走ってましたが、

今から39年前の今日は・・・

(1984年5月6日の神戸新聞・朝刊)

1984(昭和59)年5月5日、午前11時28分ごろ、

阪急2050Fの、K1104レと、山陽3064Fの、回送1004Kレとが衝突。

毎年この事を書いてますが、今でも運転指令の

「1004K列車が阪急六甲駅で脱線事故、よって折り返し1107K列車は帰って来ません!」

このモニターの音声は未だに忘れられません。

(このころ、あたしゃ東須磨駅で勤務中。現場のことは指導助役さんの報告だけ。

 今みたいに、携帯電話やインターネットなんてない時代でしたもんね)

当時のニュース映像をスクショしてみると、衝突具合がもの凄い!

山陽を重視してみると、こんな感じ。

今年はかなり見えにくいですが、

神戸市大倉山図書館のアーカイブから、

当時の新聞のフィルム保存分から、スキャンコピーしたのを貼っています。

事故直後に、阪急車両から自力で脱出している乗客の姿。

まだ救援体制が確立する前の状態だったようです。

そして、神戸新聞でも、負傷しながらも列車防護に向かう、

阪急の井本運転士の姿が映っています。

で、井本運転士は負傷した乗客が救急車で搬送された後の、

最終の救急車で病院に向かわれたそうです。

一方、東須磨にいたあたいは、阪急方面の連絡乗車券発売停止と、

告知案内をする程度・・・ ですが、場所は離れても、対応はしないといけません。

この段階で、高速神戸-西宮北口間の運転見合わせが改めて告知され、

阪神電車と国鉄の振替輸送を、阪急今津駅に電話確認。

主要駅の電話がパンク状態だったようで全く繋がらなくて、

混みそうになかった? 今津駅に電話したら繋がったので、状況を収集してました。

この時に、須磨浦公園に居た阪急7001Fが、

東須磨で営業を打ち切って、西側線に収容。

阪急の乗務員さんは、西宮北口に帰られました。

そして、夕方のテレビのニュースで、

「山陽の信号無視」が原因の報道が流れたタイミングで、

現場に入っていた指導助役さんから、

「ATS確認ボタンを勝手に押した」ことも、報告が上がりました。

こちらは、当時の阪神三宮駅と国鉄灘駅の光景。

阪急が止まったこどもの日の、大混雑の状況。

で、当然ながら新聞も問題を取り上げます。

見えにくいですが、当時の山陽車両に装備されていた、

ATS「確認」ボタンは、運転台の左上の、腕を伸ばせば届く位置。

山陽の運転士「H口Z治」は当日に、業務上過失往来妨害および、

業務上過失傷害容疑で現行犯逮捕。

当日付で、懲戒免職となりました。

事故翌々日には送検されます。

一方、運転再開は翌6日のお昼。

その前に、3064Fは3200Fの救援で東須磨に一旦戻って、

東二見に収容後、証拠品として東二見留置状態で、

ブルーシートにくるまれて、裁判終了まで押収されました。

そして、事故の3日後には、

はっきり言って関係ない車両トラブルで新聞にたたかれる始末。

対応も難しいですよ。

この頃の山陽って、ホームに行先表示なんてないし、

(あるのは姫路くらい)

乗務員も行先が把握できない展開にもなりましたもんね。

運転指令と駅との情報がハチャメチャになってることがたまにありました。

そして事故の4日後には特別監査。

さらに、5月13日の新聞には、早発問題をすっぱ抜かれる始末。

これだけで収まったのが、はっきり言って「よかった」かもしれませんね。

実は、この月末に大阪陸運局(今の近畿運輸局)から業務改善計画が出されますが、

「飛ばし屋?」の運転士さんが結構長生きして?

あたしが車掌時代に早発に気付いて、わざとドアを閉めるのを遅らせてたら、

ブレーキを緩めて「転がす」運転士さんに当たって、

頭を抱える展開もありました。

高砂-東二見間の普通列車で、東二見2分早着・・・

なんてありましたもんね。

「今だから言える話」としておきます。

で、問題の「ATS確認」ボタンですが、

「押してもよいときか」の表示蓋を付けてから、「承認受けたか」の表示に変わって、

結局、車掌側の上部の中央寄りに移設され、現在に至っています。

運転士が自分の意志で押すときって、出庫点検の起動試験だけですよ。

今考えたら、どんな時に押してたんでしょうね?

そして、16日夜に悲劇・・・

事故の1004Kレの車掌さんが、この日の担当列車に飛び込み・・・

あたしも駅から現場処理に走りました。

六甲から御影中線に向かうまでの間の車内確認中に、

停車処置を行うまでに起きた事故。

ひょっとしたら、警察・検察と会社からプレッシャーを受けてたのか?

実際は、今となってはわかりません。

そんな色々な事があってから39年が経過。

山陽の阪急添乗教育はもうやらないのか?

今年も何本か見てみましたが、そんな雰囲気すらありませんでした。

(そんな時に、当時の当該3064Fが来るとは・・・)

一応、集合教育では事故を振り返るカリキュラムはあるそうです。

一方、阪急さんは10年以上前の資料ですが、

教習所内に、六甲事故の再現模型や資料が常設されてるとか。

加害企業より被害企業の方が、

事故を風化させない取り組みが強いように感じますが、

鉄道会社は、この事故を教訓にしないといけないと思いながら、

今日はこの辺で・・・

来年で、事故から40年の節目・・・

風化しないように、伝承されることを願ってます。

ほな!     ドテテン!