1985(昭和60)年の11月、小海線に空前絶後の団体臨時列車が走った。どこが空前絶後かというと、まずサロンエクスプレス東京(品サロ)が7両のフル編成で全線を走ったこと。牽引するのはもちろんDD16(篠ノ井機関区配置)である。次に、中込以西の急勾配区間ではこれまたDD16の後補機が編成の最後尾に連結され、プッシュプルの出で立ちで運転されたこと。さらに、線路有効長の関係で夜間滞泊地を野辺山と中込に分け、編成を分割して留置したこと等々である。(なお、趣味誌に掲載された事前情報では茅野滞泊となっていたが、その後このように変更された。)兎にも角にも小海線に品サロを走らせるための東京南鉄道管理局のただならぬ意気込みがひしひしと感じられ、これはもう行くしかないということになった。既に社会人となっていたが、幸い土日の運転ということもあり、土曜日だけ半日年休を取って(まだ土曜日は半ドン勤務の時代だった)大学時代の鉄研仲間と共にマイカーで出撃した。

 

初日の11月16日。運転経路は品川ー(高崎線・信越本線経由)ー小諸ー清里ー(回送)ー野辺山・中込。

僕らはまず信越本線の御代田・平原間でEF62牽引の当列車を浅間山をバックにして撮った。曇りの天気でパッとした出来栄えとはならなかった。

↓浅間山を右手に見ながら信越本線を下る「欧風列車で清里高原 小海線の旅」号。信越本線御代田ー平原(以下の写真は特記以外Pentax 6x7で撮影)

次はいよいよ小海線。沿線の道路事情がよくないことを考慮して、欲張らずに狙いを1箇所に絞ることにした。プッシュプルであることがわかる撮り位置はどこかと鳩首協議した結果、松原湖・海尻間の国道141号から俯瞰して撮ることにした。いまGoogleのストリートビューを見ると手前の木々が成長して線路を望むことはできないようだ。相変わらず曇り空ではあるが、DD16+品サロ7車+DD16の列車を迎え撃つときは、ペンタックス67をレリーズする手にも力が入った。

そのまま列車を追いかけるでもなく車を走らせていると、どうやら列車を追い抜いてしまったようだ。ならばと、やってくる列車を線路端で捉えた。

↓前後をDD16に挟まれて小海線を行く団体臨時列車。小海線松原湖ー海尻

↓今日の目的地である清里まではあと少し。小海線野辺山ー清里(Nikon FEで撮影)

列車は乗客を清里で降ろした後に野辺山に戻り、そこで編成を分割するので、その様子を見に行こうと衆議が一致した。野辺山に着いたときは既に日が暮れていたが、暮れなずむ中を入れ換えに励むDD16などを撮影して、この日の撮影を終えた。

 

その後は野辺山か小海あたりのどこかに宿泊して仲間と祝杯をあげたはずだと思うが、当時のメモにはなにも記されてなく、記憶も全く残っていない。メモに書き記さなかったことを後悔するのはこうしたときである。(続く)

↓以下の3点はいずれも小海線野辺山にて撮影。品サロの内装が夕闇に映える。