本日4月30日の運転を以て、31年の歴史にその幕を下ろす事となったJR北海道リゾート列車最後の生き残り・『ノースレインボーエクスプレス』(NRE)

それは、1985年の『アルファコンチネンタルエクスプレス』以来続いたリゾート列車の歴史が終わる事を意味しています。

残念ながらNRE編成のラストランは4月27~30日の4日間に運転される旅行会社主催の団体臨時列車のため一般客は乗れず、私はせめて最後の雄姿を撮りに行こうと釧網本線の北浜駅まで撮影行を考えた事もありましたが、何せラストラン最終日につき「激パ」になるのは必至で、場所取りで揉めるのも嫌なので諦めました(機材の事でマウント取ろうとする撮り鉄は嫌いだし)。

 

NREといえば、こんなブログ↓を以前発表していましたが、結局宗谷特急の代走にその後幾度も入っており、一般客が乗れる最後の運転とされていたメモリアル運転以降の昨年末にも代走運用に入っていて(乗れた人が羨ましい!)、結局「今回が最後!?」ではありませんでしたね…(汗)。

 

 
 
結局、はまなす・ラベンダー編成投入以降も活躍が続いたNRE編成でしたが、キハ183系全廃というJR北の方針は覆る事なく、ついに最後の時を迎える事となりそうです。ただ、5月20日に苗穂でNRE編成を含めたキハ183系有料の撮影会が行われるため、団臨で釧路まで走行した後返却回送が行われるようで(釧路運輸車両所での解体も噂されていたが)、本線上を実際に走行するのはソレが本当に最後という事になるのでしょうが、せめて『ゲリラ的』に営業列車として走らせてくれたらどんなに嬉しい事でしょう…。カラの状態で苗穂まで回送させるのは実に勿体ない話だと思いますが。
返す返すも北海道のリゾート列車の終焉は残念ですが、今回はNRE編成が現役だった頃を偲び、私にとって最後の『前面展望席』に乗車した時の事を紹介させて頂きます。またまた長い記事になりますが、最後までお読み頂ければ幸いですニコニコ
 
 
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今回紹介する列車は2022年3月1日の61Dサロベツ1号で、NRE編成は前日の51D宗谷からキハ261系の代走として運用に入っていました。私はその情報をキャッチし、速攻でえきねっとをチェック。幸いにも前面展望席となる1号車1番AB席(運転席側)はまだ空席だったため予約購入、NREの大ファンである旭川在住のらんちゃん女史(またも登場照れ)をお誘いし、2人で乗りに行く事にしたのです(乗車券は当時発売されていた『HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス』使用)。

私は札幌駅から3013Mライラック13号に乗り、ひと足早く旭川入り。サロベツ1号と直接接続する列車は後続のライラック15号ですが、入線シーンを撮りたくて。このキハ183系大雪1号との並びももう見る事はできません…。

 

 

 

入線から乗り込むまでの一部始終は動画で紹介します。ヘタクソな動画で恐縮ですが、お時間のある方はどうぞ。旭川駅3番線には13:10位に入線します。

(※尚、前面展望も動画撮影してはいるのですが、あくまでも個人で楽しむ目的で撮影しているため添付は致しません。リクエストがあればYouTubeにアップするかも…ですが結局全区間の前面展望動画もアップしちゃいました。よかったらご覧くださいませ。

 

 

 

 

稚内方の先頭車となるキハ183-5202。今回はこのカブリツキ席に2人で乗車します!ちなみにCD席もカブリツキ目的の同業者が席を確保…。

展望席は埋まっているものの、他の席には乗客の姿はまばらという閑散振り。

 

 

 

発車時刻まで充分時間があるので、2番線ホーム側から編成写真を撮影。1号車側はホームが短いため、5号車側からのみの撮影となります。

 

 

 

本来の接続列車である3015Mライラック15号は13:25の到着ですが、雪害の影響からか13分も遅れて到着…。従ってサロベツ1号の発車時刻も遅れる事となりました。

 

 

 

ライラック15号からの乗換客を待ったため、NRE代走サロベツ1号は定刻の13:35から6分遅れで旭川駅を発車。ちょうど到着する美瑛からの富良野線1756Dとすれ違います。

 

 

 

電子閉塞区間の始まりである永山駅にて一旦運転停車。

 

 

 

蘭留駅を通過し、いよいよ雪深い塩狩峠越えに挑みます。

 

 

 

塩狩峠を下り、1つ目の停車駅・和寒駅に到着。

 

 

 

お次は士別駅。ホームに人影は見当たりません…。

 

 

 

士別駅発車後、この後宗谷本線と並行して流れる天塩川を渡ります。

 

 

 

この年の3月12日ダイヤ改正で、名寄高校駅にその役目を譲った東風連駅を通過。

 

 

 

その名寄高校駅、既に駅施設は完成。名目上は東風連駅の移転扱いとなっています。

 

 

 

そしてブルーシートにくるまれて「冬眠中」の『キマロキ編成』に出迎えられ、名寄駅に到着。

この時点で定時より9分延着しており、ライラック15号の遅れは痛手でした…。

 

 

 

名寄駅からは運転士が交替、定刻の14:31から8分遅れで発車。

 

 

 

名寄から先は道北の過疎地帯を走行、2006年に廃止された智東駅跡を通過。

 

 

 

そして、『毛織の北紡』のホーロー看板で有名だった北星駅跡(2021年3月廃止)を通過。駅施設は2021年11月までに全て解体されており、既に跡形もありませんでした。

 

 

 

『美幸の鐘』がそびえ立つ美深駅に到着。

 

 

 

北星駅と同じく2021年3月に廃止された紋穂内駅跡を通過。コチラはかつて有人駅だった事もあり、通信中継室の建屋が残っています。

 

 

 

そして、2021年3月に駅から信号場に格下げされた豊清水に停車し、6064Dサロベツ4号と交換します。1号が遅れていたため4号は待ちぼうけ…。

 

 

 

宗谷本線の旅も後半に差し掛かり、『森と匠の村』の玄関口である音威子府駅に到着。

ご存知のように1989年4月までは南稚内まで至る天北線が分岐しており、このサロベツ1号の元々のスジは急行天北だったのでした…。

 

 

 

さて…音威子府から先、筬島駅までの天塩川沿い区間は特に鹿の出没が多発しており、運転士も特に気を遣う処。私もコレ以前に乗った代走サロベツ1号カブリツキ席から鹿を轢く瞬間を目の当たりにした事がありました…ガーン流石に今回は事故にならず済みましたが、私が乗り鉄しているとかなりの確率で鹿身事故に遭遇します(特に上り宗谷は危険!)。

 

 

 

先述の通り音威子府~佐久は特に天塩川沿いの眺望を楽しめる区間。3月に入り、川面の凍結も緩んできましたが。尚、旭川からずっと降っていた雪はこの辺りまで来ると既に止んで曇り空に。

 

 

 

注意閲覧注意)

天塩中川駅手前では、列車に轢かれた鹿の死骸が線路脇に…ガーン

 

 

 

北へ向かうに従ってお天気は回復傾向でしたが、天塩中川~歌内では突如利尻山のてっぺんが現れました!夏場でもなかなか見られないのに、冬場にこの位置でお目に掛かる事となろうとは! 

 

 

 

この時の乗車後12日後に廃止された歌内駅を通過…。

 

 

 

やがて再び天塩川沿いに出て、車窓のハイライトでもある問平陸橋を通過。その後宗谷本線唯一のトンネルである下平トンネルに入ります。 

 

 

 

道北の過疎のペースは凄まじく、先述の通り2021年3月には宗谷本線内で12もの駅が一挙に廃止されましたが、ここ安牛は駅周辺に人家すら見当たらないという無人地帯でした。

 

 

 

いよいよ、車窓を彩る利尻山が本格的に見えて参りました! 

 

 

 

そして幌延駅に到着。 

 

 

 

お!線路脇にキタキツネの姿が🦊

 

 

 

見事雲ひとつなく、夕焼けをバックにした利尻山を見ながら列車は北上。 

 

 

 

サロベツ1号の旅もいよいよ終盤、豊富駅に到着。ホームと跨線橋には撮影者の姿が。 

 

 

 

3月ともなると日没の時刻も遅くなり、このように夕陽に染まる利尻山をサロベツ1号からの車窓から「運が良ければ」眺める事ができます。

あぁ…なんて美しい風景なんだろう!!

 

 

 

豊富駅から先、「徳満ちてかにむ」の縁起切符で知られた徳満駅跡(2021年3月廃止)と、次の芦川駅跡(2001年6月末限りで廃止)を通過。双方ともかつては有人駅で交換設備もあったため、両開き分岐器の跡のカーブで駅跡とわかります…。 

 

 

 

もうすぐ日没…。しかし、抜海の丘を越えた後の日本海に浮かぶ利尻山は果たして見えるのだろうか…!? 

 

 

 

やがて抜海駅を通過、列車は丘陵地帯に入ります。

 

 

 

ついに車窓のクライマックス、日本海に浮かぶ利尻山(と礼文島)が見えました!!

ちょうど日没と重なり、とても美しい風景を眺める事ができた幸運に感謝!!

 

 

 

抜海の丘を下り、最後の1駅・南稚内に到着。そろそろ降りる支度をせねばアセアセ

 

 

 

南稚内駅発車後、稚内公園にそびえ立つ百年記念塔を見ながら、日本最北の鉄道高架橋区間に入ります。 

 

 

 

ついに!日本最北端の駅・稚内駅に到着。

駅舎ギリギリで車止めが設置されているため、最徐行で進入します。

 

 

 

結局、名寄からの8分遅れは回復する事ができず、到着したのは17:31頃でした。

 

 

 

いつもながら…お約束のショットニヤリ

 

 

 

帰路はそのまま折返し札幌行52D宗谷でトンボ返り。

 

 

 

宗谷号は指定券を持っていなかったため自由席乗車でしたが、せっかくガラガラなのをいい事に私とらんちゃん女史は3号車1階部分のラウンジで過ごす事に(ホントにガラガラだったため、ラウンジに訪問する客も少なかったので長居させて頂きましたm(__)m)。

稚内駅キタカラのセコマで夕食を買い込む時間はないと見込んで、札幌駅で予め用意していた駅弁『肉三昧釜めし』をラウンジ内で食べました。

NREのラウンジはエンジン音がない代わりにブレーキの緩解音が良く聴こえるため(機器室が1階にあるため)、独特の走行音が楽しめます。

 

 

 

旭川駅でらんちゃん女史と別れ、私は自由席4号車(キハ182-5201)に移動する事に。

この時点で定刻の21:30から13分延発だったのですが、昼と夜の寒暖差が激しかったからか石狩川の川霧がひどく視界不良のため徐行運転を余儀なくされる事に…。

 

 

 

その4号車キハ182-5201ですが、片側(札幌に向かって左側)の乗降扉は故障中、そして隣の5号車男子用小便所の手洗い水は凍結…と、NRE編成も各部にガタがきており、これらのトラブルが引退につながったのでしょうか。リゾート編成は基本的に『一点モノ』という汎用性のなさが仇となり、走行距離は一般形のキハ183系よりも大幅に少ないと思われるにも関わらず寿命を迎える事となったのです。

 

 

 

濃霧による視界不良は江別を過ぎたあたりまで続き、通常旭川~札幌は1時間半の所要時間の処、約2時間15分も掛かってしまい、終着・札幌駅到着はご覧の通り0:03!本来の到着時刻が22:57なので、1時間06分程の遅れとなりました。

 

 

 

札幌駅からの各方面への最終電車はいずれも23:59発ですが、接続はキチンと取っており学園都市線のあいの里公園行1657Mは余裕で乗り換えできました。しかし…宗谷の後続となる列車も軒並み遅れたため、旭川からの札幌行最終列車である3048Mライラック48号も大幅に遅れ、1657Mはその接続を取ったため25遅れの0:24に発車したのでした…。お疲れ様。

 

 

 

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以上、NRE編成乗車の中で最も印象に残った乗り鉄を紹介致しましたが、キハ183系営業列車としては正真正銘ラストランとなってしまった網走→釧路の団臨(ボッタ…もといクラブツーリズム主催)は夕刻に釧路駅に無事到着したそうで…。ノースレインボーエクスプレス、歴代リゾート編成最長である31年の活躍本当にお疲れ様でした。残念ながらその最期の姿を見る事はできませんでしたが、北海道のリゾート編成が続々と登場してイケイケムードだったJR初期の頃を偲びつつ、本稿の結びとさせて頂きます。