1070形1080号機 / 京都鉄道博物館 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

1070形1080号機 / 京都鉄道博物館


今日は久しぶりの蒸気機関車をUPします。

本日 4月29日に7周年を迎えた京都鉄道博物館に、静態保存されている古典機 1070形 1080号機です。

古典機は以前 8620形 8630号機を数度UPしていますが、 8630号機は動態保存であることと、日本の鉄道史にとどまらず工業史・産業史においても重要な機関車です。

JR九州でも動態保存されていてSL人吉号などで営業運転が行われ、JR西日本では京都鉄道博物館でSLスチーム号として運転されているので、人気も高い形式です。



なので近代機と同様な知識を持っていたりするので、記事として語れることもたくさんあったりします。

しかしやはり古典機は保存数も少なく触れる機会も稀なので、ちょっと不得意なジャンルとなっています。

そういった経緯から、形式単独での記事にしたことが無いのですが、今回は勉強しながら文章を書いていくことにしました。

京都鉄道博物館の1080号機は、元から記事にする予定が無かったので、撮影枚数は多くありませんがそれなりに撮影していて、2019~2022年の写真を今回は全部貼りました。



1070形は前述の通り古典機なので、形式付与と車番は8620形の時に説明した通り1号機が末番0となり、後は順次1ずつ加数されます。

よって1080号機は近代機風に例えると11号機ということになるのですが、機体数が49機しかいないため、8620形のような頭へ1を足した複雑怪奇な車番にはなっていません。

と、ここまでは普通に語れますが、ここからはウィキペディアや京都鉄道博物館の資料などを参考に記事を簡単にまとめます。

1070形は実は改造車で、元々は1889(明治22)年7月1日に新橋~神戸間の東海道本線全線開業に際して、1897(明治30)年から輸入が開始された6200形でした。



製造元はイギリスのネルソン社で、当初は東海道本線全通による効率化と高速化を目的として計画されていたため、テンダー(炭水車)を付随させた機関車でした。

テンダーは7100形 義経  よりやや大型なものの同様にペッタンコな形状をしており、明治時代の機関車としては大型機の部類でした。

東海道本線の運行本数の増加に伴って同一仕様の機関車をイギリス ダブス社、アメリカ アルコ社、ドイツ ハノーバー社へも発注し、6200形・6270形 計135機が配備されました。

1911(明治44)年からは新橋~下関間への特急列車運行開始に備えて、イギリス・アメリカ・ドイツから新型4形式が輸入され、比較的使い勝手の良かった当機は地方支線や亜幹線へと転属となり、東武鉄道など私鉄へも譲渡されます。



支線運用に仕業が変更されるにあたり、テンダーは外されて機関車本体に石炭と水を積載する、タンク式に改造されて今に残る1070形へと形式が変更されました。

1080号機は1926(大正15)年に1070形へとなりましたが、改造に際して自重が増えるため従軸を1軸追加して、軸重軽減が図られています。

現在は京都鉄道博物館へ収蔵されている1080号機ですが、東海道本線全通のために導入された形式と言うことで、その後の時代に様々な形式の蒸気機関車そして電気機関車が登場し、歴史的には現在 東海道本線を走破するEF210形から見れば、その存在は始祖と呼べる機関車です。

と言うことで恒例の履歴書を記しますが、今回は日本史の出来事を併記しないので、ご容赦下さいませ。



1902(明治35)年、第3次増備グループとしてイギリス ダブス社より、D9形 651番として神戸港にて受け取りが行われる。

港湾線~和田岬線~東海道本線経由で名古屋へ回送され、名古屋機関庫(愛知県)にて整備と試運転が行った後、東海道本線で営業運転を開始。

設計を行ったネルソン社製の機関車よりも、ライセンス生産のダブス社製の機関車の方が性能が安定していたため、普通列車の他に急行列車へ優先的に仕業へ就く。

1909(明治42)年7月1日、鉄道国有法の施行を受けて制定された統一車両形式称号規程で、224~241番・600~619番・638~649番・651~656番を 6200形 6200号機~6255形と形式変更と付番が実施される。



尚、620~637番と650番は 6270形 6270号機~6288号機とされたが、急遽メーカー別に形式を付与することに変更され、ネルソン社製を 6200形 6200号機~6249)号機、ダブス社製を 6270形 6270号機~6294号機へと整理された。

この再整理による形式と車番の付与により651番は、6200形と1度形式が付与されながらも、6270形と再変更され6289号機 となる。

1926(大正15)年2月7日、浜松工場にて改造が落成し1070形 1080号機となり、名古屋機関庫(愛知県)へ配属。

1931(昭和6)年1月31日、高山本線の各務ヶ原開業に伴い、稲沢機関庫 岐阜分庫(岐阜県)へ転属。



1932(昭和7)年4月1日、高山本線の美濃太田延伸によって岐阜分庫は美濃太田機関庫へと移転し、1080号機もそのまま美濃太田機関庫へ転属。

1934(昭和9)7月1日、第一種休車指定。

1936(昭和11)年9月1日、職制変更により美濃太田機関庫は美濃太田機関区へと改称され、1080号機は 休車のまま引き継がれる。

1938(昭和13)年11月28日、美濃太田機関区にて廃車。



1940(昭和15)年10月11日、日鉄鉱業赤谷鉱業所へ譲渡され、ナンバー1080のまま赤谷専用鉄道にて運用。

1957(昭和32)年1月24日、日鉄鉱業葛生鉱業所 羽鶴専用鉄道に移動。

1972(昭和47)年末8月29日、国鉄 郡山工場にて全検を受けた際に、沿線対策として煙突に火粉止め取付。

1979(昭和54)年6月10日、日鉄鉱業葛生鉱業所 羽鶴専用鉄道にて引退による最終営業運転が行われ、羽鶴機関庫にてその後保管される。



2009(平成21)年、そのもの出自の歴史的価値から梅小路蒸気機関車館へ寄贈の申し入れが行われる。

同年9月14日、日鉄鉱業より陸送された梅小路蒸気機関車館にて、JR西日本への譲渡式が催された後に一般公開を開始。

2016(平成28)年4月29日、京都鉄道博物館落成に伴い同館扇形庫エリアにて、引き続き公開展示中。

と言うことで、その展示中の 1070形 1080号機の写真を記事にしましたが、初めて見た時には扇形庫の中へいましたが、その時の他機の展示状況によって、出たり入ったりしていました。



屋外展示されていた時には、階段に隠れて見えにくいですがトワイライトエクスプレス瑞風と顔を合わせたり、逆光ですがC61-2号機そして7100形 義経号と並んでみたりと、おいしいコラボも見せてくれていました。

8620形 8630号機が牽引するマイテ492の″特別なSLスチーム号″ともコラボさせましたが、 元6200形・6270形一派を淘汰させたのは、無限列車こと8620形だったりします。

現在は再び扇形庫内の展示になっていますが、屋外展示では見えにくかった運転席内を、屋内ではよく見渡せるので撮ってみました。

 



インスタグラムで、何か異様に速いSLのリールを見つけたので、貼ってみました。

新幹線で高速用のSLを走らせたら、日本でも同じ程度のスピードで走れるのかなぁ?と言うか、もし弾丸列車計画が実現していたらこれより速いSL列車が走っていたのかもそれませんね。

H800形でしたっけ?あのパシナみたいな蒸気機関車••••••••。
京都鉄道博物館開館7周年の4月29日ですが、10時から21時まで、鬼滅の刃無限列車編~遊廓編~刀鍛冶の里編第1話の、11時間ぶっ通し放送日でもあります。

アニマックスで夜まで引きこもり予定の今日ですが、広島は昼から雨かと思っていたら、もう朝も早くからザーザーと。

まぁ、おあつらえ向きですね。

最後に注記ですが、ウィキペディアと調査資料で食い違いがう部分があった為、それらは京都鉄道博物館の表記を採用しています。


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