広電 3100形 と 思い出の2500形 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

広電 3100形 と 思い出の2500形



広島電鉄の直通電車最古参 3100形です。

まずは3103号ですが、西広島へ行く際に開かずの踏切に引っかかってしまって、この電車に乗ってしまいました。

事前に西広島で待ち受ける予定でしたが、6番ホームに停車中と発車して行くの後ろ姿のみの写真です。



そして待つこと25分、3102号がやって来ました。

広電西広島駅には2つの名称があって、もう1つは路面電車区間の市内線起点駅として、己斐という名前があります。

宮島線からの直通電車、市内線の折り返し電車が発着し、この25分の待ち時間に上下列車合わせて約10本程度が往来します。




3100形は朝の増発便として運用され、宮島線の線内もしくは市内線への直通運転で広電本社前行きとして運転されます。

直通運用は平日の朝限定運行で、西広島駅界隈は宮島線から降りてきてバスやJR山陽本線に乗り換える人、またはバスやJR線から市内線へ乗り換える人など。

ノートルダム清心学園や予備校などもあり、銀行や中小企業もあるため、広電西広島駅・JR西広島駅・バスターミナルのこのエリアは、通勤 通学での往来も加わって、朝は肩摩轂撃です。



そんな平日朝の雑踏の中で、特異点のように広電電車の写真を撮っている私は流水行雲な気分ですが、どちらかと言うと定雲止水なのかも知れません。

さて、3102号から待つこと10分後、宮島線開通100周年記念でリバイバルカラー化された、本命の3101号が現れました。

直通電車と言えばぐりーんらいなーやグリーンムーバーシリーズなど、広電のコーポレートカラーを纏っているイメージがあります。



しかし軽快電車こと3500形がデビューする1980(昭和55)年までは、直通電車と言えばこのピンク電車でした。

私が子どもの頃には高床車と呼ばれる、阪急電鉄から移籍してきた1070形や、阪神電鉄から移籍してきた1080形の他、自社形式で半流線形の1030形などが、宮島線を走っていました。

高床車はクリーム色とオレンジ色のツートンカラーに塗られいて、宮島線の駅で待っていると全駅への一斉放送で「オレンジ色の電車が来たら高いホーム、ピンク色の電車は低いホームからご乗車下さい」という案内が流れていました。



3100形が3編成とも市内へ旅立って行った時、新己斐橋上で3101号は352号と離合したのですが、残念なことにバスやトラックに阻まれて写真には撮れていません。

350形は今でこそ旧型電車用の広電カラーをまとっていますが、市内線と宮島線を直通運転するために造られた、初代の直通電車です。

1958(昭和33)年のデビュー当時はもちろんピンクカラーをまとっていて、その伝統デザインは西鉄から移籍して来た3000形にも継承されています。



しかし広電公式でも一般の呼び名もピンク色の電車と言われますが、実際にピンク色なのは屋根と帯だけで、ボディカラーはペールオレンジ色。

ベージュ色のややピンク色に近い色合いですが、やはり年代でしょうか、広電電車と言えばこのデザインで、幼少の頃には国鉄特急色と似た感覚の、特別な存在でした。

350形が直通電車だった時代は850形という形式で3両が製造されましたが、2000形が9両投入されると、ほどなく市内線専用運用となり形式も改められました。



宮島線100周年記念で3100形をピンク電車にリバイバルするにあたり、3両の350形の内2両は殆ど稼働していなかったため、やはり初代ということで鉄道の日や路面電車の日のイベント展示用として、 リバイバルカラー化して欲しいと願いましたが。

今年3月15・16日に351号と353号は解体されてしまいました。

まぁ、このご時世で経営はどこの会社も困窮しているので、一地方鉄道ではその予算を組むゆとりは無かったのかも知れません。



3100形3編成と350形を撮影した後、西広島駅を後にして帰路につきましたが、自宅へ帰らずに高須駅で返却回送を待ちました。

3103号はこの日、ホント縁が薄かったのか、先日の向洋駅仮設新線切り替え初日以来のカメラ不調の影響もあって、後追いしか撮影できませんでした。

3102号は何とか前と後ろを1枚ずつ撮影できましたが、トワイライトエクスプレス瑞風の山陽コースが再開されるまでに、修理を済まさなければならないようです。



この日は水曜日の朝でしたが、いつもよりダイヤの乱れが激しくて列車の遅延が••••••••まぁ、市内線は電車そのものが渋滞しますからね。

で、宮島口行きの定期列車が優先されるので、上りは10分しか開いていなかった3102号と3101号でしたが、待てども待てども3101号は帰って来ず。

やっと現れたのは10時過ぎでした。



普通なら駅は徐行で通過するのですが、前が詰まっているのでしょう、一旦停止してくれたので、寄ったり引いたりと4枚写真を撮りました。

3100形がピンク電車だった時代は短くて、3500形の量産タイプ 3700形が増便される中、ほどなくぐりーんらいなーカラー化されました。

それ故、3100形のピンク姿の写真はレアな存在でしたが2000形無き後の今、こうして朝だけではありますが、再びその姿を見られるのは嬉く感じます。




ピンク電車は初代の850形以降、2000形そして2500形と受け継がれ、西鉄から来た3000形にも引き継がれています。

2000形は850形と同じく単コロでしたが後に永久連結の2両編成化され、2両連接として誕生した2500形は3両連接化されて3100形となりました。

3000形は3両連接化される前に車両不足から、2両連接のままピンク色に塗られて、1350形として運用に就いた時代もあります。



ラスト3枚の写真は、3000形と晩年の姿の2000形の離合シーンを、間もなく経路変更によって廃線となる広島駅~猿猴橋町間での撮影。

そして原形時代の2500形と並ぶ2000形で、荒手車庫での在りし日の写真です。

ちなみに去る3月5日には、廃車となる350形のラスト撮影会が、この荒手車庫で開催されました。

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