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九州の駅

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2023.04.03
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テーマ:鉄道(22111)
カテゴリ:唐津線
東多久駅(ひがしたくえき)は佐賀県多久市東多久町大字別府にあるJR九州・唐津線の駅です。
1903年(明治36年)12月、九州鉄道により別府駅(べふえき)として開業しています。
”別府”(べふ・べっぷ)という名は、平安時代に成立した土地制度の一形態で、荘園に付属する一部区域が国司免符などによって独立的になった場所が地名化したものです。
その土地を治めるもの(主にその当時の貴族でしょうか)は、その土地から税金を取られることもなく自分のいいように治めることが出来た私有地と言ったほうがわかりやすいですね。
このような土地名は日本全国各地にあり、その中でも有名な場所が大分県の別府です。

しかし、駅が開業してから10年も経たない1911年(明治44年)6月にこの駅は東多久駅に改称されています。
大分県の別府駅がちょうど同じ年の1911年7月に開業しているので、たぶんこのことと関連していると思われます。

1940年(昭和15年)、小城炭鉱から産出される石炭積み出しが開始。
炭鉱から東多久駅までは索道による輸送が行われていたそうです。
唐津線は唐津炭田などから産出される石炭を唐津港に輸送するために唐津興業鉄道(1900年、唐津鉄道に改称)により建設された鉄道路線で、長崎本線と接続する久保田駅からではなく、唐津駅の方から順次延伸しました。
現在の駅の構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅ですが、かつては3番ホームも使われていたようだし、駅裏側の駐車場も多くの路線が敷かれていて石炭を運ぶ貨車も多くみられたのではないでしょうか。



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1973年(昭和48年)2月、駅員無配置駅となります。(その後に簡易委託化)
1998年(平成10年)12月、旧駅舎解体。
2001年(平成13年)10月、”東多久交流プラザ”建築。
2015年(平成27年)簡易委託が廃止される。

2013年度(平成25年度)の1日平均乗車人員は156人。
これぐらいの人数なら無人駅になってもしかたないですね。
しかし、駅舎ではありませんが多久市は”東多久交流プラザ”という駅舎風の待合室を建設していますし鉄道に対して冷たくはない取り組みをしているのではないでしょうか。

”東多久交流プラザ”にはアニメ”サザエさん”が描かれたものがたくさんありましたが、これは作者の長谷川町子が東多久村で生まれたからです。
父親は多久市にある三菱炭鉱の技師だったそうですが、独立してワイヤーロープの事業を開業したために、長谷川町子は福岡市に転居し小学一年生からは福岡市の春吉尋常小学校に通っています。
長谷川町子は1920年(大正9年)から小学校に上がるまでの数年間、この東多久駅の周辺で過ごしました。
ちなみに”サザエさん”には海に関する名前の登場人物がほとんどですが、これは長谷川町子が福岡市に住んでいる時に近所である百道海岸付近を妹と散歩している際に”サザエさん”の家族構成や名前を思いついたそうです。

もうひとつ、”東多久交流プラザ”の外のベンチには「志田林三郎」という日本で初めて工学博士となった人物が銅像として座っています。
この人は”日本のエジソン”の異名を持っているようですが、残念ながら36歳の若さで亡くなっています。
小城郡東多久村別府に生まれているので、場所は東多久駅のすぐそばで生まれたのでしょう。
しかし、 1892年(明治25年)に亡くなっているので東多久駅が開業する10年前に亡くなっていることになりますね。
小さい頃から神童の誉れ高く、佐賀藩・家老、多久氏の家臣に取り立てられ、幼少時から学問に優れ、特に数学が得意でした。
藩費により1872年(明治4年)に工部省工学寮(現在は東京大学工学部)に入学し首席で卒業し、日本初の工学士となった人です。
幕末の佐賀藩には大隈重信・江藤新平のほかにも、このようにたくさんの優れた人物がいた印象があります。








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最終更新日  2023.05.23 16:57:52
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