三滝の駅にとうちゃこ。
列車を見送る。
何でこんなところに来たかというと、まぁ一言でいえば時間調整。
これから弟君の家に行くんだが今日は飲み会とのこと。
というわけで帰るまでの時間調整でやってきた。
この駅にも思い出がありましてね。
目の前を流れる広島市民の心の川、太田川では秋になるとアホみたいにハゼが釣れた。
小学生のころ、じいちゃんやおとんに何度かここへ連れてきてもらってね。
竿で仕掛けを投げるといくらでも釣れて面白かった。
また夏にはここで太田川花火大会が開催されましてね。大勢の人々でごった返す。
人生で初めての「超満員電車」というのはここで経験しましてね。
日常のスカスカの可部線しか知らなかったから「超満員」の非日常の電車が楽しかった。
そんな思い出のある三滝駅に久々に行ってみたいと思ったのだ。
三滝も昔はこんなんじゃなくてね。駅に柵なんかできて自動改札も置かれて。変わりましたなぁ。
ちなみにこの駅は無人駅である。広島駅から3つ目。
ちなみに広島駅から2つ目の駅である芸備線の戸坂も無人駅。
広島という街は人口が120万の大きな街ではあるんだが、中心駅から2つ3つで無人駅が現れる、そんなのんびりした街である。
橋の向こうには太田川を渡る山陽新幹線。
写真でいうとその左側。太田川を渡ったところが三滝のお隣、横川の駅である。
山陽線と可部線、広電の横川線、さらに市内バスや県北や安佐北区・安佐南区方面へ向かう郊外バスも集まる交通の要衝。
可部に住んでいた僕のような市内北部の住民にとって、横川は街なかへの入り口と言った感じである。
走り去る新幹線を写真に撮ったり、目の前の太田川を眺めたりしていると「すみません」と声をかけられた。
「新白島までの電車賃190円をお借りすることは可能でしょうか???」
見れば高校生くらいの子が立っていた。おぉ~この子、なんか自動改札で引っかかってたな。ICOCAかモバイルICOCAで改札を通ろうとしてたけどなんか足止めくらってた。残金が足りなかったんだろう。
「あぁいいよ」と小銭入れを取り出すも「ん???」と思う。
(190円って新白島までの運賃でしょ?そのあとこの子、どうするんだろ???家まで駅から近いんか???)
そこで「190円でいいの?」と聞くと非常に申し訳なさそうな顔で「ほんまは本通まで行かにゃあいけんのですけど・・・。新白島からは歩いて行こう思いまして・・・。」
やっぱりな。というわけで小銭入れをひっくり返す。「えぇよ。これ持っていきんさい。」
900円くらいあったかな。少年はめちゃくちゃ恐縮して「えぇんですか?」「ほんまにえぇんですか?」と何度聞く。
お返ししますとも言ったけど「えーよ。持っていきんさい」と言って渡しといた。
今思えば札入れから千円札をぴっと1枚出して渡した方がスマートだったなぁ。
あの時はそれが思いつかんかった。生来の貧乏性ですけんのぅ。じゃらじゃらした小銭を渡すことしか頭になかったわ。
今回のとはちょっと違うけど、高校生や大学生のころ、一人旅の旅先でいろんな人に親切にしてもらった。食べ物をもらったり、飲み物をもらったり。ヒッチハイクで拾ってもらったこともあるし、名古屋から自転車で京都に行ったときなんかは「汗を流していきなさい」ってシャワーを貸してもらったこともある。
夜九時過ぎの真っ暗な無人駅。首からカメラをさげ、ニヤニヤしながら写真を撮る怪しすぎるおっさんに声をかけねばならないほど困っていたわけだ。あの少年は。
新白島からアストラムラインで本通までいってもパンと飲み物くらい買う分は残るだろ。まぁ最低限のアシストはできたと思う。
あき亀山行きの電車がやってきた。
225系のレッドウィング。
何にも変わらない芸備線と比べ可部線はだいぶ変わった。
105系は引退したし115系もいなくなった。
あき亀山までの電化・延伸で始発・終点が可部じゃなくなったし、なんか沿線の雰囲気も変わった。
緑井とか駅前が天と地ほども変わったし。
幼少期からの思い出の路線ではあるけど「懐かしいな~」という感じはあまりしなくなった。
105系が2両編成でガタンゴトンと走ってた頃とはだいぶ変わった。今じゃ輸送密度が1万人を大きく超える全国屈指の黒字地方交通線ですよ。
で、僕が乗る広島行きの電車がやってきた。
昔の可部線ならこの時間の広島行きなんてガラガラだったんだが今はポツポツと人が乗っている。
で、新白島にとうちゃこ。
ちなみに三滝からここまでは150円。190円は広島駅までだった。
列車は広島に向け走り出す。
バイビー。
で、入れ替わりに下り列車が。
今の広島の電車はぜーんぶ225系だ。
で、駅で弟君と合流し家まで歩く。
で、とうちゃこ。
で、ここから僕の運転で実家に向かう。
正月ぶりの帰省となりましたとさ。 続く