留萌本線の思い出 | ハンター湘南の旅ブログ

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昨夜、留萌本線の石狩沼田~名寄間が最後の日を迎えた

 

ネットサーフィンすると、様々な知人が現地へ赴いていて、平日なのにビックリ

 

私は、1度片道乗っただけで、むしろ時刻表でダイヤを眺めたり、鉄道本で見たりがメインで

「お葬式」へ出かけるレベルではなかったが。

 

 

それでは、2019年4月、最初で最後だった留萌の思い出を・・・

留萌市の人口が2万人を切った頃だった

駅の規模は5万都市(逗子など)レベルか、それ以上

 

一日の乗車客数は昭和55年には1285人だったのが、

平成4年には251人、

そして平成26年にはわずか55人!

近年は高校生の大半がバス利用に移行したと思われる

その高校も、平成30年には統合され、留萌高校1校だけ(477人)に。

生徒数の多かった昭和46年には甲子園出場で地元が沸いた。

 

だだっ広い構内、石炭の積み出し駅だった名残

かつては「増毛線」や羽幌線が発着し、急行列車「はぼろ」「ましけ」「るもい」の3種があり、最大4両編成だった。

 

この時は2両だった

 

駅構内の記念物は、今後どこへ?

にしんそばが人気の駅構内そば店は、道の駅へ転居して継続だそうで、今度行ってみたい。

 

増毛寄りの途切れたレール

 

留萌管内の代表駅の貫禄

 

さて、昨日の最終日は地元の中学や高校などの吹奏楽部が「蛍の光」を演奏して列車のお見送りがあった

どこでもドアがあったら、現地に居合わせたかったなあ

 

最終日はキハ150まで動員して、4両の長い編成だった

全く報道されてないが、そのキハ150は今日4月1日にデビュー30周年を迎えた

 

これでとうとう、北海道の支庁(あえて古い表記)で、鉄道が消えたのは檜山・日高に続き3カ所目か

人口密度の低い北海道の鉄道の維持の困難さを痛感せざるを得ない

 

113年間お疲れさまでした 

留萌本線(石狩沼田~留萌間)

 

(一時、名寄本線とタイトルをつけましたが、4月バカでした)