第1529回('22) 近鉄鳥羽線の全駅を制覇して帰宅 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2022年10月8日、スポーツの日絡みの三連休は長距離旅行を計画していましたが、後2日に天気が崩れるとの予報だったので、仕方なく初日のみに縮小、行先も変更して、日帰りで乗り鉄・降り鉄旅行へ出かけました。目的地は三重県でした。
大阪~三重県間は行きも帰りも近鉄特急を利用しました。地元の兵庫県加古川市と大阪の間はJR線を利用しました。
 
今回は終盤の内容です。
宇治山田駅からは近鉄鳥羽線の駅巡りをしました。五十鈴川駅、朝熊駅と下車し、池の浦駅訪問をもちまして全駅訪問を達成しました。
その後は鳥羽駅まで行き、阪伊乙特急に乗って大阪へと戻り、少しだけ難波に立ち寄りました。
最後は大阪メトロ御堂筋線とJR神戸線を乗り継いで兵庫県加古川市へと帰宅しました。
  
今回の日程  2022年10月8日  (土)   【その3】     
  
宇治山田1509(近鉄鳥羽線)1511五十鈴川1543(普通)1546朝熊1615(普通)1619池の浦1652(普通)1655鳥羽1716(鳥羽線→山田線→大阪線・阪伊乙特急)1915大阪上本町1935(難波線)1939大阪難波2013(大阪メトロ御堂筋線)2021梅田/大阪2033(JR神戸線・新快速)2137加古川        
  
【帰宅】        
   
宇治山田駅からは15時09分発の近鉄鳥羽線下り普通・賢島行きに乗車しました。車両は1201系2連で、乗り込んだ後部車両は大半の席が埋まっていました。私は空席に座り、道中は車窓風景を眺めて過ごしました。市街地にもトンネル区間があります。そして私は1駅目の五十鈴川駅(いすずがわえき)で下車しました。五十鈴川駅は島式ホーム2面4線で、宇治山田駅とともに折り返し列車に対応した配線となっています(こちらは全ての番線がスルー構造ですが)。一方、駅そのものは宇治山田駅とは違い、昭和中期~後期の無機質的な感じです。駅前は郊外の住宅地で、離れた東側を通る国道23号線沿いにはイオンなどロードサイド店舗が立ち並んでいます。また、五十鈴川駅は現在、伊勢神宮内宮への最寄駅ですが、それでも宇治橋まで2.5kmほどの距離があります。当駅で支線を分岐して、もっと内宮寄りに駅を作れないのでしょうか……と思ってしまいます。
 
 

 

 
五十鈴川駅では15時43分発の普通・賢島行きに乗車。1259系2連で、三重県×ミジュマルのラッピング編成(1266F)でした。後部車両は満席でしたが、次駅で下車するので私は空いている優先席に座り、水分補給をしつつ車窓風景を眺めました。列車は次第に山間部へと進み、私は次駅の朝熊駅(あさまえき)で下車しました。朝熊駅は山あいにある無人駅で、東の鳥羽方は高架橋になっています。その高架下にICカード簡易改札機があります。駅前は古い集落が広がっていますが、驚いたのは駅前の標高が約7mと、非常に低かったことです。海も遠いのに…。てっきり標高50mくらいはあると思っていましたw 駅や集落に山が迫る景色からは想像もできませんでした…。
 
 

 

 
朝熊駅からは16時15分発の普通・賢島行きに乗りました。1259系2連で、乗り込んだ後部車両は立客が出るほどの乗車率でした。私はドア脇に陣取り、山深い風景を眺めながらの道中になりました。緩いながらも上り勾配で東へ進み、トンネルで峠を越えると今度は下り勾配へと変わりました。そして私は次駅・池の浦駅で下車しました。こちらも山あいにある駅で盛土上にホームがありますが、ホームから駅前集落や海を望めました。標高はさほど高くありません。駅舎は存在せず、高架下のトンネル内にICカード簡易改札機と乗車駅証明書発行機があります。昔は駅舎があったそうです。
 
 

 

 
池の浦駅訪問をもちまして、近鉄鳥羽線の全駅訪問を達成できました(鳥羽駅や志摩線各駅は2020年に訪問済み)。もう日没が近づいている事もあり、帰宅するとしますが、折角なので鳥羽駅も再訪問することにします。池の浦駅からは16時52分発の普通・賢島行きに乗車しました。1201系2連で、この電車も立客が出るレベルの乗車率でした。大きな荷物を持った旅行客も結構いて、特急料金が惜しいのか…とも思いましたが、コロナ禍で特急が減便された影響も出ていたかもしれません。私は後部車両ドア脇で鳥羽の海や並走する参宮線などを眺めて過ごし、3分後に到着した鳥羽駅で下車しました。鳥羽駅では車両とホームを撮影してから出場し、駅前を少しだけ散策しました。
 
 

 

 
今回はこれ以上遠くへは行かず、鳥羽駅からは特急で大阪へ戻るとします。乗車したのは17時16分発・鳥羽始発大阪上本町行きの阪伊乙特急で、『ACE(エー・シー・イー)』こと22000系4連×2で、堂々たる8両編成です。私は事前にインターネットで特急券を購入しており、指定された前寄り7号車の窓側席に座りました。車内はガラガラでした。
 
 

 

 
阪伊乙特急は定刻通りに鳥羽駅を発車しました。まだ明るさが残っていたため先ほども眺めた車窓風景を楽しみましたが、伊勢市駅を過ぎると暗くなってしまい、車窓風景はあきらめてスマホを操作していました。また、途中停車駅では少しずつ乗客が増えましたが、伊勢中川駅発車時点でも窓側席すら埋まらず、満席にはほど遠い乗車率でした。往路は鈴鹿サーキット観戦客も乗車していましたが、復路はサーキット帰りの乗客がいたかどうかは分かりませんでした。私は大阪線に入ってもスマホを操作していましたが、疲れが溜まっているせいもあり急に睡魔に襲われ、青山トンネルを前に眠ってしまいました…。そして目が覚めたのは終点近くの今里駅通過時で、ほどなく列車は鶴橋駅に到着し、半数ほどの乗客が下車しました。私はこのまま乗り続け、列車は定刻の19時15分、終点の大阪上本町駅地上ホームに到着しました。二度寝せず無事に下車できました。
 
 

 
大阪上本町駅では難波線に乗り継いで大阪難波駅へ向かいますが、その前に地下コンコースにあるうどん店で夕食を済ませました。食べたのは伊勢うどんで、伊勢へ行ったのに現地で食べず、大阪で食べることになるとはww まぁ大阪で食べても美味しかったのですがww
 
 

 

 
食事後は地下ホームへと移動し、19時35分発の普通・阪神なんば線直通尼崎行きに乗車しました。「志摩スペイン村」のラッピングが施された『L/Cカー』の5800系6連で、座席はクロスシート状態でした。車内は空いていて、私は最後部車両のクロスシート窓側席に着席しました。道中はスマホを操作しながら過ごし、2駅目の大阪難波駅で下車しました。
 
 

 
下車後はすぐには乗り換えず、一旦地上に出て久しぶりに難波の街を歩きました。今回は道頓堀方面へと向かいましたが、人とてもが多く、東京と同レベルに思えました。昔より通行人が増えているかもしれませんね。途中、100円ショップを発見し、買い物をしてから戎橋へと向かいましたが、こちらも人だらけでした。コロナ禍など関係ない状態でした。
 
 

 
散策後は駅へと戻り、次はOsaka Metro(大阪メトロ)の「なんば駅」から20時13分発の御堂筋線・新大阪行きに乗車しました。今や旧型になった21系10連で、最後部車両で着席。なんば乗車組でほぼ満席になりました。道中はスマホを操作して過ごし、私は梅田駅で下車しました。
 
 

 
梅田駅下車後はJR線の大阪駅へと移動し、JR神戸線の新快速で帰宅するのですが、発車標を見ると遅れが発生していました。千里丘駅で人身事故が発生した影響のようで、この日のJR本線系は遅れだらけでズタズタでした…。運休ではなかったため私は入場してホームへ上がり、少し待っていると20時15分発の新快速・播州赤穂行きが18分遅れで入線しました。私は元々20時30分発の列車に乗る予定だったため、実質3分遅れでした。車両はオール225系で、8連+4連の12両編成です。私は11号車(後方4連側)の空いた転換クロスシート窓側席に座りました。車内は大阪駅で乗車した人によりほぼ満席でした。こちらも道中はひたすらスマホを操作し続けましたが、神戸駅を過ぎた辺りで再び睡魔に襲われ、寝落ちしてしまいました…。目が覚めたのは東加古川通過中で、あとは二度寝して播州赤穂へ連れて行かれないように気をつけて、無事加古川駅で下車できました。21時37分着で、遅れは28分まで拡大していました。
 
 

 
加古川駅下車後はすぐに帰宅しました。
これにて日帰りの三重県南勢地方乗り鉄・降り鉄は終了しましたが、本来は1泊旅行を計画していただけに、翌日が悪天候になってしまったのが残念でした…。2022年は3連休に天気が崩れることが多かったです。
 
また、この三連休明けからは全国旅行支援が始まりましたが、私は仕事が忙しくて宿泊旅行ができず、結局一度も利用できませんでした…。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)