初回upが1/26だったNZ旅シリーズ、2ヵ月に亘ってupしてきましたが、最終回です^
前作では、1泊で過ごしたWLから、空路、今回ベースにしているCHへ戻ってきたところまででした。
元々旅程上、最終日一日を予備日としていました。出国便でアクシデントがあったものの(※シリーズ初回参照)、NZ入国後は順調にすすみ、無事CHで”空白の予備日”をつくる事が出来ました^
今作・最終回ではこの予備日を使い、CHの街外れにある、広大な歴史公園を訪ねます。
そしてこの公園、”鉄道推し”要素が凄く入っているという、当別荘的には外せない場所なんです。どんな公園だったのか?早速スタートです
(※ラストに、この旅を総括して締めます)
☆文中略称
NZ=ニュージーランド
WL=ウェリントン市
CH=クライストチャーチ市
BC=バス・インターチェンジ
エアNZ=ニュージーランド航空
・前作は、WLでの日程を終え、エアNZでCHへ飛び立ったところまででした。↑三日ぶりにCH空港へ舞い戻ってきました
エアNZ名物(?)降機用後扉タラップ、この便でも付けてくれました^
まだ真っ昼間のような青空に写ってますが、南極にも近く、その上サマータイムも実施されているNZ南島、既に19時過ぎです
空港から徒歩で宿へ
宿はCH前半で泊まった市街中心でなく、空港近くに近年出来たというドミトリーにしました。
NZで一番メジャーなスーパー『カウントダウン』、空港近くにもあります。かなり大き目な駐車場あり。SC内に10軒程外食店が入ってましたが、そのうち2軒が日本食店(※寿司店と鉄板焼店)
そのカウントダウンの裏手にあるのが、↑安宿『ジュシースヌーズ』、安宿といっても建物は新しく綺麗。2023現在、CH空港近くでの宿は、ここと空港内のノボテルの2軒しかなく、便の時間の都合で「どうしても空港近くで泊まりたい」という場合、この”究極の2択”になりますw
NZのアコモデーション、ドミトリーがある宿では共用スペースが充実してるのは本シリーズ中で数々ご覧頂きましたが、ここは特にデカかったです^
小さな体育館位ある休憩室w、ハンモックやバーベキューセット(※庭もある)まで完備
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翌朝~
空港を出て次のバス停が↑宿の傍にあり、ここからバスで市内へ
シリーズ④で乗った3系統・サムナー行は空港が始発で、これから行く目的地はこれ1本で行く事が出来ます
BCを経由し、郊外へ出たところの↑フェリミード橋の手前でバスを降ります
海岸沿いのフェリミード橋から内陸方面へ曲がり、1km程の所にあるのが、今作の目的地・フェリミード歴史公園です
フェリミード橋から、↑ヒースコート川沿いに上がってゆくと~
↑山頂から溶岩ドームが突き出たまま固まっている、凄い形状の火山が!
少し郊外へ出ただけで、大自然の息吹を実感できるのがNZの醍醐味です^
そんなヒースコート川沿いで、小さな石碑を見つけました。
そこに刻まれていたのは~
↑『NZ最初の鉄道開業記念碑』
シリーズ⑥の列車乗車記で書きましたが、CHは”NZ鉄道発祥の地”で、ここフェリミードから市街中心部まで、同国初の路線が1863年に開通しました。日本は幕末だった頃です
この『フェリミード』(Ferrymead)の地名も元々”フェリー”からきており、19世紀の入植当時、ここには貨物集積地として港があり、物流の拠点でした。その貨物輸送のため、同国初の鉄道が当地にいち早く敷かれたんです
歴史公園の門に着きました
前述のような歴史を秘めた”フェリミード”なので、この公園にはとりわけ、NZ交通についての歴史が集積された内容となっています。早速入ります
元々、前述の鉄道用地として使われていた跡地を中心とする、広い敷地を持つ公園です(※有料)
門から受付までの道が長い!w
↑後程乗りますが、園内を走るトラムの線路が外にまで延びてますw
先程川沿いから見えた↑の火山、園内からも見事に見えます
↑受付の建物まで辿り着く^^
有料区域に入ると待ち構えているのは~
レトロな路面電車^
シリーズ前半では、CHの街を路面電車で巡った回(③)をご覧頂きましたが、ここの路電はまさに”イベント専用”です
なお、入場受付時に「トラムに乗るかどうか」聞かれ、それによってチケット料金が違います(※2023現在、路電乗車付はプラス5.5NZ$)
勿論僕は乗車付にしたので、早速乗り込みます^
この路電、中央部が↑かなりの開けっ広げで、トラムというよりトロッコに近い感もw^
まずは広い園内をトラムで一周して概要を掴み、その後徒歩で廻ってゆきます
同園、一応”歴史のテーマパーク”という事ですが、日本でいうテーマパークとは大きく異なり、のんびりムードです^
園内をループ状に廻った路電は~
専用軌道になり、園の外へ!
先程入口で見た、外門の近くまで走ります^
↑途中には踏切がありましたが、トラム側に信号があり、道路の車が優先でした
途中、↑短い橋も(※ヒースコート川の支流)
↑折り返し点まで来ると、園内へ戻ります
・ではこれから、園内を歩いてじっくり見ていきます^
園内は19世紀~20世紀初頭位の建物が復元され、NZ入植当初の雰囲気が味わえます
いろんな業種の店が再現されています
↑は理美容院^
↑店内も往時を再現
お次は、郵便/電話局
ここには実際の人^^がおられ、窓口で絵葉書等を販売しています
局内の仕分け棚も再現^
しかしこの局、これはホンのさわりで、奥が深いんです
さらに進むと~
廊下が建物奥へ誘います
ここ、『郵便局兼電報電話局』なので、奥の部屋には電報室や電話交換室とかもありました。
日本でも郵政省の頃は、郵便局へ行くと『電話』の取扱もあり、窓口に赤電話があったり、電報を受け付けてくれたりしてましたね(懐)
壁一面の電話機展示が凄いw
一番奥の室には↑一昔前の交換設備や電信線まで保存。さながら”ミニ逓信博物館”の様相でした
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郵電局でお腹一杯になりましたが、まだまだありますw^
鍛冶屋さん(Smith)も
鍛冶屋さんの中では、実際に職人さんが鍛工を行っていました
鍛冶屋さんの前には↑機関車庫があり・
古いディーゼル機関車が保存されていましたが、鉄道関係については後程纏めて紹介します。先に鉄道以外を見ていきます^
機関庫の周囲では、↑地鶏が歩き廻ってましたw
園の奥へ進むと~
↑飛行機の頭部が被った入口が。入ってみます^
この建物には~
お~
軍用機が!
解説板には『DC-3』とありました。航空ファンなら垂涎の機体じゃないでしょうか・
さらに奥、↑もう一部屋には~
(※部屋というには広過ぎますが^)
お~
これも年代モノ、旅客機を丸々一機保存!(驚)
エアNZが国営だった頃の機体と思われますが、これは凄いわ・^
↑手荷物の積込まで再現、かなり凝ってます^
驚きの航空展示室でした^
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さらに、もっと驚きの展示もありました。
それとは~
通り沿いに、↑なにやら謎めいた石造の建物。
これは・
なんと、アノ秘密(?)結社、フリーメーソンの展示館です。
これには驚きました
↑"Welcome"とあるので、恐る恐る入ってみます
”謎めいた組織”としてつとに有名なフリーメーソンですが(※でも、『謎の組織が知名度高い』というのもいかがかとw)、
元々はイギリスで16世紀頃、石工の組合として設立されたのが淵源といいます(※諸説あり)
世界各国に”ロッジ”と呼ばれる支部があり、日本にもあります
会員数は世界で数百万人、各界の有力者が多く入会しているといわれ、日本にも数千人程いるとの事です。
”世界の政治や経済に裏の影響力がある”等の噂が囁かれますが、同会はそれを否定しています(※ロッジ内で政治/宗教の話をする事は禁じられているとの事)
組織の詳細を自ら公表していないため、同会を分析/解説する文献も多数出ているものの、全体像はよくわからないという、何かと興味深い組織でもあります。
ただ、同会は『何もかも秘密主義』ではなく、HPもあって活動内容も書かれています。日本グランドロッジは東京・港区にあり、同HPには所在地の地図も載ってます
日本支部HPには、目的として『会員の自己成長を求め、それにより社会の向上を求める友愛組織』とあります。そのための慈善事業や様々なチャリティ活動を行っているとの事で、同会HPには『子供まつり』の写真とかも載っています。
ならば”何ゆえ秘密結社か?”ですが、入会時等に行われる部外秘の儀式や、入会希望者には厳しく実施される審査(※入会には既会員の紹介が必要)が、そういう定評を呼んでいるんでしょう。
同会HPでは『当会は”秘密結社”ではなく、”秘密のある結社”だ』としています。至言だと思います
”誰が会員なのか?”とかも話題になったりしますが、本人が「私は会員だ」と公言するのは問題ないとの事。日本でも有名人等で会員である事が広く知られる人もいるのはご存知の通りです。但し、自身以外で誰が会員なのか口外する事は禁じられているそうです。
『地域の名士が社会奉仕を行う』という点では、いわば、”秘密付きのライオンズ/ロータリークラブ”みたいな組織という事でしょうか・
この建物は、市内で使われなくなって荒廃していた同会の施設を同園へ移築したものと思われます。
↑街中をパレードしている写真もあり、NZのフリーメーソンは比較的オープンなようです(※同会の”秘密度”は国・支部によって異なるそうです)
儀式や会合時に用いる服装や装具等も展示され、なかなか貴重なものを見させてもらいました^
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フリーメーソンの話が長くなりましたw
園内へ戻ります
シリーズ③のカンタベリー博物館でも写真ありましたが、↑入植当時の住居(※復元か本物かは不明)
さらに奥手に、↑ロンドンバスの廃車体が
そして、その傍には~
↑古いバスを集めた一角も
フロントガラスに製造年が掲示されていました
NZ全土から集めてきてるようで、かなりのお宝ですが・
保存状態はチト難あり
↑WLで近年まで走っていたトロリーバスも
なんと、敷地の一部には↑トロリーバスの架線も曳かれ、↑の車庫の中に動態保存車が入っているとの事
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では、ここからは~
同園のメインと言っていい、鉄道展示を見ていきます
同園には、シリーズ⑤で出たCH~リトルトン間の貨物線から本物の線路が引き込まれています
園内中央に↑本格的な『駅』があります。冒頭乗った路電とは全く別の設備です。同園の『鉄分の高さ』が窺えます
実際に使われていたのか不明ですが、駅舎もホームも実際の駅と変わらない造りです。コロナ前は、週末にSLの運転等もやっていたそうですが、僕が行った時点では中止中でした
駅から続く線路は~
車庫へ繋がっています。↑はオークランドで使われていた近郊線車両ですが、連絡船ではるばる南島へ運ばれたと思われます
かなりの規模の車庫です
機関車はもとより、貨車や客車等、車種もバラエティ豊か^
これらの車両、まだ体系的に展示されておらず、車庫の肥やしwとなっている状態ですが、ここに歴史的車両が集結しているのは理由があります。それは~
駅裏に立つ↑の看板には~
同園に将来、NZ初の国立鉄道博物館が計画されているとの事なんです。現在ここに集められている車両は展示車になるものと思われます。これはもう、オープンしたらCH再訪必須かな・w
駅裏には広い空地が確保されており、予定地と思われます
僕は今回行けてないんですが、NZ各地には、廃止となったローカル線を地元のボランティア団体が管理し、保存鉄道として走らせている所が数路線あります。
イギリス等の欧州でも散見されますが、運営状況は毎週末運転の所もあれば年数回という線もあり、様々です。
日本でも、当別荘過去作で訪れた岡山・片上鉄道の例(※15.6.27up vol.199)等がありますが、鉄道愛に燃える人々の心は世界共通だと思います
同園の鉄道愛、これにとどまらず・
↑『鉄道模型館』も
中には大小4つのレイアウトがあり、各ボタンを押すと列車が自動的に走り出します
(※↑ボタンの横に寄付金受口があり、動かす場合いくばくか入れます)
↑NZではほとんど見かけない日本語の案内板、珍しくここに^
広い園内を半日歩き、少々疲れましたw^
木陰で休憩してからあとにします^
容量が無くなってきたので写真割愛しますが、他にも『農機具だけを集めた部屋』等もあり、充分堪能しましたw^
フェリミード橋へ戻り、再び3系統で市内へ
この旅で一番お世話になった”駅”、CHのBCともこれでおわかれです。↑相変わらずリトルトン行だけ長い列
宿へ戻る前に、名残り惜しんで市街ラスト歩きをします
(※CHの街中については、シリーズ③~⑤をご覧下さい)
カンタベリー地震から10年余、見事に復興したCHの街ですが、都市の便利さと自然の豊かさが見事に調和した稀有な美しさは、深く記憶に刻まれました。さらばCH、そしてNZ・
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ついに帰国日
翌朝、CH空港から~
オークランドまで国内線、そして~
オークランドで成田行に乗継ぎます
同国のシンボル・シダの葉とマオリの文様が描かれたエアNZ、往路と同じく9000kmの旅路で赤道を越え、季節が逆の日本へ帰国します
近年、各航空会社とも出発時に流す”安全動画”に工夫を凝らしてますが、エアNZのは飛行機を”大空を舞うカヌー”になぞらえたもの^
WLの国立博物館にあったような↑太古のマオリのカヌーで、大自然の中を飛び立つ楽しいビデオでした^
思い出をエアNZ機に載せ、一路成田へ、帰国の途につきます
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全10作、当別荘創設以来最大のシリーズとなったNZ旅、ゴールしました。言葉に出来ない程の自然の美しさ、空と海の青さは、やはり”百聞は一見に如かず”でした。そして穏やかに暮らす、お寿司好きな^^NZの人々。そして首都ウェリントンの、言葉に出来ない魅力的な雰囲気にも引き込まれました
コロナ後初の海外行をNZにしたのは正解だったと思ってます。
”世界最南の先進国”、そして隣国のオーストラリアとも約900km離れているという”絶海の先進国”を、この目でしっかり見てきました
英連邦の一員でもあり、自由国家陣営としての役割と責任を果たしているNZですが、マオリと西欧を融合させた独自の国家運営を貫く国でもあります。
前作⑨で詳述しましたが、環境面や人権面で常に世界のパイオニア的な政策を打ち出すNZ、日本と同じく島国であり、しかも火山/地震国という点でも共感を持てる国ですが、国情は大きく異なる点も多く、全て同国に倣うというのは難しいとしても、採り入れる点は謙虚に我が国も見習うべきでしょう・
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見習うといえば、特に当別荘的には、鉄道運営でヒントになる点を同国は示唆していたと僕は思います
当別荘は基本鉄道ブログなので、『NZで思った日本の鉄道について』、少し書かせてもらい、ラストとします。
シリーズ⑥で詳述しましたが、NZの鉄道は貨物主体で運営されており、上下分離した上、上下とも国が強く関与し、環境/国土保全に大きな役割を果たしているという点。
同国の面積は日本の3/4、ざっくり言えば日本と大体同じです。
その国土に住む人口は約500万人強、日本の約1/20、北海道や兵庫県とほぼ同じ人口しかいません。
そんなNZでなぜ今も鉄道網が維持できているのか?その秘訣を我が国も学ぶべきです。
現在日本では、函館線の新函館北斗~長万部間を、新幹線開業後に”国営の貨物線”に改組するかどうかの議論が行われていますが、やはり日本も、鉄道網を将来に亘って維持したいなら『上下分離』を全国のJRですすめるしかないと思います
ヨーロッパ各国でも鉄道は上下分離の国が多く、何でも民間・自己責任のアメリカでさえ、長距離列車は『アムトラック』という国の公社で運行しています。
現在のJRの運営が今のままでいいのか?なぜ日本では”鉄道は収益ファースト”なのか?なぜ道路や港は国費でバンバン造るのに鉄道だけゴタゴタするのか?なぜ東海道新幹線の巨額な利益をJR東海だけが一人占めするのか?なぜ新幹線を造ると並行在来線が存廃のマナ板に乗らなきゃいけないのか?等々、皆がモヤモヤと思いつつ避けて通っている議論を、もっとタブー無しに話してもいい時期では?と、NZの急行列車の中で強く考えました。
極論をお許し頂ければ、現在のJR旅客6社体制を一旦ガラガラポンにして、施設は国有に戻した上、運行は元国鉄線を引継いだ3セク各社も含めて全国3グループ程に集約し、その上で、新規の運行会社にも線路を開放する位の思い切った改革が必要と思います
電線や電話線も、元々の独占社が持っていた線を新規参入業者が借りられる制度を始めた事により活性化しました。銀行や保険会社も、時代の変化により合併・グループ化して金融危機を乗り切りました。鉄道だけが出来ない事はないと考えます。
『国鉄を解体した事で日本の鉄道改革は済ませた』と考えるのは大間違いだと思います。JR転換後30余年経ち、いろんな矛盾が具現化しているのなら、国が主導して今からでも直せばいいだけです。
ともあれ、人口が日本の1/20というNZで、鉄道が日数本の貨物列車だけで大半の路線を維持している、という事実を見てきて、日本はヒントとして何か学ぶ点はないのか?という僕の思いを、シリーズ最終回で書かずにいられませんでした
以上、NZ旅シリーズ全10回、これでおわります。
長い間ご覧頂き、有難うございました^^
◎シリーズ内、鉄道関連作リンク↓
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