番外 現在と比べまして昔は多く運行されていました、昭和60年時刻表より参考、日豊線長距離普通列車 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 JR日豊線では、大分県内の中津~佐伯間で運行されている普通列車が存在しておりまして、中津~佐伯間140キロを約3時間で運行されております。
 
 この列車は、815系電車で運行されております4621Mでありまして、中津駅を5時34分発→佐伯駅を8時35分に着く列車となっておりまして、所要時間は約3時間であります。おそらくは通しの乗客はいらっしゃらないのではないかとは思われますが、それでもそれだけの距離で運行されている分、それぞれが区間の足として運行されている事は伺えるほどでもあります。
 
 また、この日豊線では、鹿児島線との直通列車としまして、川内発宮崎行きの普通列車(6930M、川内8時03分発→宮崎11時38分着)も運行されておりまして、運行距離は172キロに及びますが、日豊線に関わる列車の中ではこの列車が最長距離となっておりまして、以下画像の鹿児島車両センターに所属します817系電車によりまして運行されております。
 
 尚、昨年9月23日改正前までは九州でも最も長い運行距離で運行されておりました、鹿児島中央~延岡間の列車も存在しておりまして、この列車に関しましては209.6キロと、九州でも一番長い列車でありまして、こちら817系電車において運行されておりました。しかし、減便や運行区間短縮によりましてこの系統も本数を減らして行きまして、改正前に唯一運行されておりました「753M→6973M」も2つの列車に分離されまして、最長距離を走る列車としての姿は消えてしまっております。
 
 
 そんな日豊線長距離列車でありますが、かつて国鉄時代には普通列車に限りましても長距離で多くの列車が存在しておりまして、かつ特急列車自体も少なかった頃でもありますので、そのような運行形態が見られておりました。今回は、小倉~大分間・大分~宮崎間に限りまして、私が所蔵しております昭和60年の時刻表から引用しましてご紹介してまいります。
 

 まず、以下画像は小倉~大分間でありまして、以下画像3が下り、画像4が上りの各列車(の一部)をご紹介しておりますが、で表しておりますのが門司港・小倉~大分間、で表しておりますのがこの系統では最も長い門司港~大分~幸崎間でありますが、運行距離は門司港~大分間で143.9キロ、門司港~幸崎間が180.2キロであります。
 
 (下り)
 
 (上り)
 
 現在、この系統では1往復(5521M・2574M)しかありませんし、いわゆる北九州方面運用の送り込みと言う形で運行されておりますが、かつて昭和60年当時はそれらを含めまして下り8本・上り9本も存在しておりまして、実際に運行されていたことがお分かりいただけるのではないかと思います。

 これら系統で運行されておりましたのが、主に画像の423系電車でありました。この423系電車も、かつては小豆色の塗装でありましたが、当時はかつての大分電車区に最高30編成も所属しながら広範囲で運行されておりまして、この日豊線内をはじめ、鹿児島線や長崎線・山陽線・宇部線でもその姿が見られておりました。
 

 一方、画像は大分~宮崎間でありますが、黄色の印からもわかりますように、大分~宮崎間の列車が運行されておりまして、本数も上下合わせて表にもありますように3往復が存在しておりました。
 
 (下り)

 2543M 大分12:27→佐伯14:19→延岡15:55→宮崎17:52
 
2549M 大分14:50→佐伯16:19→延岡17:30→宮崎19:49
 
2557M 大分16:29→佐伯18:35→延岡20:09→宮崎21:40
 
 (上り)

 2530M 宮崎6:14→延岡7:48→佐伯9:27→大分10:52
 
2542M 宮崎10:18→延岡12:54→佐伯14:18→大分15:48
 
2548M 宮崎13:43→延岡16:05→佐伯17:32→大分18:49
 
 大分~宮崎間の運行キロは207キロにも及びまして、所要時間も表からもわかりますように、約5~6時間もかけまして運行されておりました。この区間は、2530Mからもわかりますように4時間38分で最速では行かれる訳ではありますが、この区間自体が単線であった事などもありますので、それだけ所要時間が及んでいた事がお分かりいただけるのではないかと思います。
 

 また、これまでもご紹介しておりますように、現在も普通列車の運行本数が非常に少なく佐伯~延岡間下り1本・上り2本、佐伯~重岡間下り2本・上り1本です、佐伯~延岡間の系統が最後の画像の特急用787系電車に置き換えられておりますが、当時は上の列車を含めまして、上下各5往復は存在しておりました。しかし、そんな中でのこの長距離列車の存在は少なからずして見られた存在ではなかったかなと思う所でしょうか。
 
 この区間を運行されておりましたのが、画像の475・455系電車が使用されておりました。この電車は、かつては急行型電車であった訳ですが、急行廃止以降はこのような列車に使用されていた訳ですので、シート自体がボックス(クロス)シートであった分、長距離向きであった事は良かったのではなかったでしょうか。
 

 この他にも、特急列車に限りましては画像の485系電車によるにちりんも運行されておりましたが、「にちりん」自体3往復が西鹿児島(現・鹿児島中央)駅まで運行されておりまして、うち1本(画像7の26号)に関しましては博多駅まで運行されていた列車も存在しておりました。当時、博多~西鹿児島間と言いますと現在は廃止されております有明の印象が高かった訳ですが、少なからずそのような列車が存在していたのは正直時間がかかる分通しであったならば酷ではなかったか?と思う所でしょうか(実際に534キロ・8時間35分かかっていました)。
 

 また、上の画像の緑の印からもわかりますように、かつては寝台列車も存在しておりました。実際に東京駅発着の「富士」、当時新大阪駅発着で彗星が見られておりましたし、廃止されておりますドリームにちりんの前身でありました急行日南も門司港~宮崎~西鹿児島間(宮崎~西鹿児島間は普通列車)で運行されておりました。
 

 今回は、私が所蔵しております昭和60年の時刻表から引用しまして長距離普通列車をご紹介しましたが、ほとんどの区間におきまして運行本数は現在よりは少ない区間もありますが、そんな中での長距離列車の存在は当時は大きかったのではないかと思います。やはり、各地区間を長い距離をかけて運行していた訳ですのでその分そう言った距離である事も伺える所でもありますので。残念ながら、現在の時刻表におきましてはそのような長距離列車の存在はもう見られなくなっておりますが、かつてはそのように長距離列車が存在していた訳ですので、ご覧の皆様も存じておきたい方は存じていただければとも思います。