さて、高山本線に入ってわずか2駅、那加駅でいきなりの途中下車。
衝動的なものではなく、今回の旅では一つの核となるものであった。
那加駅。
岐阜駅から二つ目、所要時間7分ほど。
駅前ロータリーにあるのは飲料の自販機と、駐輪場・駐車場のみ。
そして、名鉄各務原線がすぐ目の前を走る。
新那加駅へは歩いて1分ほどだが、鵜沼駅・新鵜沼駅まで両線は微妙な位置関係を併走する。
ダイヤ改正前の那加駅時刻表。
日中は1時間あたりほぼ2本があり、名鉄各務原線と遜色ないサービスレベルを維持していた。
名古屋に向かうには、名鉄各務原線〜犬山線ルートよりJR岐阜経由の方が速いそうだ。
そんな名鉄各務原線も、車両はだいぶ様相が変化しているようだ。
一昨年秋、国府宮に行った時にも実感しているが、このあたりギャップが埋まらない。そんな中で、駅前に木製の架線柱が残っていたり妙なローカル感もまた名鉄の楽しさ。
そして、衣替えした1800系2両の普通電車。
一昔前は4両編成ばかりだった名鉄各務原線も、ローカル化が進んでいる様子。
実は、この那加界隈に降りたのはおよそ19年ぶり。
JR那加駅を利用したことに限ると、なんと23年ぶりということとなった。
自分の行動基軸の中では極めて異質であり、かつこれが“黒歴史”と記す所以である。
そんな黒歴史を浄化というか、霧として吹き飛ばさん思いで敢えて降り、少し街を歩いた。
前に降りた時には悪い空気に引きずられかけたが、今回はそれも無かった。
結局、旅中に食べられる軽食を近くのスーパーで補給。
何かもう一つ動いてみようとしたこともあったが、それを実行に移すことはしなかった。
また、名鉄に乗っていこうかともしたがそれもせず、またJR那加駅へ戻った。
23年前のちょうど今頃、一皮剥けつつも何となく浮つきながら乗り込んだ記憶を思い返しながら
それでもその時の選択を、そしてその後の経緯もー。
もしそのまま続いていたら、実際今の自分は無かっただろう。
それを経てこその今の自分なのだ、それで良かったのだと結論づけ、また旅を続けることにする。
…ただ、それでこの那加を離れるのは少しばかり早かったなと、ここでは気づかなかった。
そのあたりはまだ、浮つくというかなんとなく複雑な気持ちがまだ残っていたようだ。
23年前はキハ11を出迎えた場所で、10:56発のキハ75系岐阜行きを捉える。
ここで乗ったのが失敗だったことに気づいたのは、長森駅ホームに撮り鉄の姿を見たことだ。
ああそっか、名古屋から「ひだ7号」が来るんじゃん!
気づいた時には既に発車してしまい、高山本線内でのリカバリーは不可能に。
このあたりのフォローの難しさは、ローカル線ならではだ。
結局11時過ぎに岐阜駅に戻る。
5番線には311系が普通列車折り返しで停車中。
311系は各形式基本番台のみだが、やはり若番車を見るとテンションが上がる。
そして11:06、4番線に「ひだ7号」が入ってきた。
振動を空気で感じるほどの高らかなエンジンを響かせて、ホームに進入。
まだまだ、キハ85系を追う熱は下がっていない。
ここで、もう一つの朧げな計画を破棄。
もう少し追ってみようと“心のスイッチバック”にレバーがセットされたのだった。