機  番:83号機

新  製:昭和30年3月10日

製  造:川﨑車輌

製造番号:No.171

新製配置:沼津機関区

最終配置:宮原機関区

廃  車:昭和54年9月20日

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS14

前照灯:原型(ハチマキ状ケースなし)

尾灯:改造外バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:白色

正面ヒサシ:小型

デフロスタ:なし

正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈

列車電話:あり

電源車制御装置:なし

元空気ダメ引き通し管:なし

スノープラウ:なし

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:なし

常磐線用列車無線:なし

乗務員ドア:改造FRPタイプ

側面ハシゴ:原型

側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:SG

 

【転配履歴】

昭和30年10月31日:米原機関区

昭和31年 3月30日:長岡第二機関区に貸し出し

昭和31年 5月 6日:高崎第二機関区に貸し出し

昭和31年 7月21日:長岡第二機関区に貸し出し

昭和31年10月21日:宮原機関区

昭和37年 1月 6日:米原機関区

昭和37年10月 1日:広島機関区

昭和44年10月 3日:宮原機関区

 

この83号機も米原電化用に製造された機関車で、試験的にLP400型にLP402用のケーシングをスペーサーでかまして装備して落成しました。

米原電化完成と同時に米原機関区に配置換えとなりますが、転配履歴にもあるように、一時期だけ上越線に出向していた時期がありました。春以降なので、上越線向け特有の重装備にはならず、貸し出し扱いのまま、東海道本船全線電化完成時に宮原機関区に異動します。以降は古巣の米原や広島を転々とし、昭和44年に再び宮原に転属、ここが終の棲家になります。基本的には「西日本の機関車」になりまして、東海道・山陽本線で旅客列車や荷物列車を黙々と牽引していました。

改造履歴の詳細が判らないので、今回は改造履歴は割愛しますが、Hゴム支持はかなり早い段階で実施されました。Hゴム支持の第1号は昭和33年の58号機ですが、83号機はその第二弾として昭和34年に鷹取工場で改造工事を実施しました。当初は黒色でしたが、昭和46年の車体整備工事の際に白色に変更しています。この車体整備工事も早い段階で実施しました。

 

 

撮影年月日は不詳ですが、東海道本線の塚本駅で撮っているのは判ります。

これは急行「銀河」でしょうか? 大阪駅到着後に宮原に回送しているところでしょうね。

 

 

こちらも撮影年月日は不詳ですが、大阪駅で撮っているのは判ります。

14系座席車の前に荷物車が連結されているところから、関西対九州の夜行急行かなと思うんですが、到着しているのが3番線であるということから、そうではないような気がします。九州からの上り夜行急行なら10番線とか11番線に入線しますしね。そうなると「銀河」の臨時便という可能性もありますが、「じゃあ荷物車は?」ということになります。通常、臨時の「銀河」には荷物車は連結しませんので、回送とか転属とかでくっついているということも考えられます。因みに「きたぐに」はこの当時はまだ12系客車+10系寝台でした。

(2枚ともタ様提供)

 

 

昭和52年3月

山陽本線須磨-鷹取間にて。

マニ50やマニ44が主力じゃなかった頃の典型的な荷物列車の編成ですね。

 

 

昭和52年4月

山陽本線須磨-塩屋間にて。

須磨海岸を走る山陽本線の荷物列車。

画像背後に「埋立用コンベヤ」と表示されている橋みたいな建造物がありますが、明石海峡大橋の工事が始まっているのでしょうか? でも、明石海峡大橋ってここじゃないですよね。確か舞子付近だったはず。

(2枚ともキ様提供)