前回まではJR西日本山陰本線(なぜか知らないけれど山陰本線の駅名標などの路線カラーは鳥取県内では黄緑で島根県内は赤色になっています)の快速あめつち号に乗車してきた私たち夫婦はこの列車の終着駅である出雲市駅で下車しました。


 実はこの日の予定はあめつち号で前日の朝まで滞在していた島根県出雲市に戻ってくることまでしか計画を立てていなかったのでとりあえず前日のうちに出雲市駅の駅レンタカーを予約しておきました。

 前回の記事で出雲市駅に到着した時に同じホームの反対側に停車していた特急「やくも18号」の編成が前日に宿泊していたはたご小田温泉から鳥取県三朝町の木屋旅館へ移動する時に出雲市駅から米子駅まで乗車した特急「やくも14号」で乗車した編成との再会だったことは述べました。

 そして今回借りたレンタカーも前々日に借りて前日返却した車でした。


 帰りの列車の時刻のこともあるので駅レンタカーの営業所の方に夕方までに戻ってこられる距離でのお薦めの場所を訊いてみました。

「一昨日は日御碕(ひのみさき)や出雲歴史博物館には行かれましたか?」


「いや、出雲大社にお参りしたあとはそれほど時間が無かったのでくにびき海岸道路を通って小田温泉に向かったので行ってないんです


「出雲大社からさらに進んで20分ほどで行けますし、帰りは歴史博物館を見てこられてはいかがです?歴史博物館は見応えありますよ」

と、教えてくれたのでその言葉に従うことにしました。


 前々日に訪れた出雲大社の前を通り過ぎて日御碕に向かう途中で立ち寄ったのが稲佐の浜

 大国主大神武御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという神話の浜で、国引きの時に島を結ぶ綱となったという薗の長浜が続く海岸です。

 10月は全国的に神無月であり、それは全国の八百万の神々が出雲国に集まるから•••ということで出雲地方では10月は神在月というのは有名です。

 旧暦10月10日に全国の神々をこの浜にお迎えして17日まで神々は出雲でお過ごしになって出雲大社にて会議を行なってさまざまなことをお決めになると伝えられています。

 


 弁天島はもっと沖合にあったのが現代では歩いて渡れるほどに近くなったそうです。これはもちろん島が寄ってきたのではなく、波によって堆積した砂浜の面積が広がって島に海岸線が近づいたということです。

 この日は風がかなり強くて風の音が耳障りかもしれませんが動画をご覧ください。



 幸い雨も止んで天候は回復に向かっていたので神々をお迎えするという稲佐の浜に立つことができました。

 さらに車を走らせて日御碕に到着しました。強風の中を駐車場から歩いて景観の美しい海岸までやってきました。




 初秋の頃に訪れると日本海に沈む夕日が美しいことでしょう。

 日本海に沈む夕日といえば、私は自分の持ち家がある長野県北部の信濃町から車を走らせて新潟県上越市や柏崎市に出かけては夕日をバックに日本海の海岸線を通過する列車の写真を撮ったりしますし、その画像は過去記事に貼り付けたこともあるので遠く離れた出雲市とはいえ親近感を覚えました。

 余談ですが、小田温泉近くの国道9号線のコンビニに立ち寄って車から降りた時に漂ってきた匂いが新潟県の沿岸部の国道8号線のコンビニや道の駅の駐車場で車から降りた時と同じでした。

(同じ風が吹いている•••)

 それは太平洋側のそれとは違うと感じるのは私の気のせいでしょうか•••。






 灯台の見学はできませんでした。稲佐の浜ではまだ曇っていた空も少ししか離れていない日御碕に来ると晴れてきて強い風でさえ心地よさを覚えます。








 美しい景勝の地に名残惜しさを感じながら日御碕を後にして訪れたのは出雲大社のすぐ近くにある島根県立古代出雲歴史博物館に立ち寄りました。

 かなり大きな建物で、入館する前から期待が高まります。

 館内は撮影禁止なのでもちろん画像はありませんが、とても短時間では堪能しきれないほど豊富な展示品に圧倒されます。

 ここは日本人なら1日潰してでも全てをじっくり時間をかけて見学する価値があると思います。


 今回は東京在住の私たちだとなかなか訪れる機会が無い山陰地方を楽しみたいと、出雲観光と鳥取県の三朝温泉とを組み合わせたのですが、反省点とすればそれぞれ別の機会に訪れてじっくり見て回るべきでした。出雲の空気はこの地方に縁の無い私たちでもとても落ち着く自然な優しさで、まさに神々が集う国だと感じました。

 また出雲を旅行する機会に恵まれたなら今度は腰を据えて出雲市はもちろん奥出雲や石見銀山などをゆっくり見て回りたいです。


 次回に続きます。