おはようございます。

 

 

本日も、昨日に引続き、ひだ11号の乗車レポートを投稿してまいります。

 

 

ここは美濃太田の駅構内。
左端は側線、中央は高山本線で、右側は太多線の線路です。
列車はこの後、大きく左に分岐します。

 

 

高山本線と並行して伸びるこの道路は益田街道です。

 



美濃太田を出てしばらくすると、飛騨川の案内放送が流れました。

 

飛水峡信号場を通過。

対向列車は止まっていませんでした。

 

 

美濃太田から先は、飛騨川の沿って進みます。

川沿いにはいくつものダムが設けられています。



飛騨川に沿って走るが速度は65~75km/hと低めです。



車内にはJR東海の車内Wifiが走っているが、接続速度は遅いのが少々残念です。

 



下油井を通過。

ここではHC85形が退避していました。

 

 

高山本線の鉄橋は、カーブしたガーダー橋が多いイメージですが、実際には直線トラス橋も設けられています。

 

 

飛騨川のダム、いくつあるのだろうと思うぐらいに、ダムが多いです。

車窓を見ていても、結構高い頻度でダムを見かけます。

 

 

福来信号場を通過。

 

 

牧田川の鉄橋を通過。

渡り終えた先にはトンネルが控えています。

 


焼石では各駅停車が退避していました。

 

場内注意、少ケ野停車。



少ケ野信号場には14:25に到着して名古屋行の特急ひだ号を待避しました。

 

この列車、新型コロナウイルスの感染拡大防止策に関する案内を自動放送を日本語と英語で流すことが出来ます。

流し方は簡単で、乗務員の持つ業務用iPadのスピーカーを車内放送用マイクに近づけて、放送文を再生させるだけです。

感染拡大防止の自動アナウンスが流れている間は、背景に線路のジョイント音も聞こえます。

 



下呂には定刻14:27に対して14:28の到着。

 



混雑の影響で、下呂は3分遅れで発車しました。

 

 

この高山本線、1980年代には全線225.8kmの電化工事計画が存在しました。
電化した暁には、当時運転されていたキハ82系を381系に置き換える計画がありました。

しかし、需要の減少や当時の国鉄の財政難により、この計画は白紙となってしまっています。



久々野ではHC85系が待避していました。

4両を2つつなげた8両編成です。

 


この駅の通過後に、5号車と8号車の間のドアが閉まり、列車内での切り離し準備が始まりました。

 

2023年3月のダイヤ改正で現役を引退するキハ85系。
当店店主から見て、いちばんの「華」であったのは、恐らく1997年と言えるでしょう。

1997年は、碓氷峠廃止の年でしたが、同時にキハ85系を使用した臨時列車も多数運転されたのです。
 

 

たとえば浜松発飛騨古川行の「ひだスキー」号は、1997年1月9日から2月27日まで運転されていましたが、浜松を21:49に出て飛騨古川には翌朝6:34に着く、夜行列車として運転されていたのです。

 

 

他にも、1997年の夏や年末には、名古屋14:43発(富山18:30着)のひだ11号を金沢まで乗入れさせていた時期もありました。

この列車は翌日には金沢7:27発のひだ6号として名古屋まで運転され、富山~金沢間はモノクラス編成でした。
グリーン車は名古屋~富山間のみの営業でした。

 

場内注意、高山停車。

8両。

 

 

高山では、名古屋方面に向かうキハ85系が待機していました。

 



高山には15:15の到着。
定刻での到着です。

 

 

ここにも高速道路を作るの?と言わんばかりに工事が進められています。

2008年には東海北陸自動車道が全線開通し、さらに2019年に高山市街地近くまで4車線化されているのを考慮しますと、特急ひだ号の運行環境は厳しさを増す一方です。

 

 

上枝では上り列車が待機していました。

 

 

高山を過ぎますと、線路の形状にも少し変化が見られます。
高山以南はPC枕木がメインでしたが、以北は古い木製枕木が見られるようになります。

 

枕木が木製かコンクリート製かでも、乗り心地に大きな影響を及ぼすのです。

 



飛騨古川には定刻15:29に対して15:30の到着。

 

 

以前、急行たかやま号が運転されていた頃は、この飛騨古川が終着駅でした。

 

 

飛騨古川より北に行けば行くほど、雪が深まってきます。

 


坂上では各駅停車が退避していました。

 

 

進行方向左側に見えるのは宮川です。

 

この高山本線、乗っていて思ったのは、川に沿って線路が設置されていることで、乗客としては美しい光景を楽しめることです。
しかし、裏を返すと、飛騨川を何度も渡る関係上、急カーブによる速度制限がつきまといます。

高山本線が全線開通したのは1934年10月。
当時と比較しますと、建設に関する技術は大きく進化しています。

それこそ、災害対策強化を兼ねて、線路を可能な限り真っ直ぐ敷き直す工事を行うべきではと思う次第です。

 

 

まもなく打保を通過。

高山本線で唯一、スノーシェルターが設けられている駅です。

このスノーシェルター、列車を災害から退避させる際にも使用されたことがあります。

 

 

乗車時に見ていて思ったのは、雪が残っている場所と溶けている場所の差が大きいことです。

 

 

この写真はそうではないのですが、一部の区間では線路の中央部分だけ雪が溶けて、他は雪が残っているという場所もありました。

なぜでしょう。不思議ですね。

全体的にまんべんなく雪が溶けてもおかしくないのに。

 



猪谷には定刻16:06に対して16:08の到着。
JR西日本との境界駅でもあります。

 

明日は、終点の富山に到着致します。

どうぞお楽しみに!