鍛冶屋線廃線跡 5 | こぴっとちぴっと

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やってみたいことをやってみた

田んぼの中にある廃線跡 サイクリングロードにもなっています。平坦で走りやすいでしょう。しかし、ズルズル徒歩では終着までのあと一息が長い炎天下でした。

 

 

 

 

 

 

樹が茂り出し、信号設備やモニュメントが目に入ってきました。

遊歩道は「歩っ歩の道」と名付けられています。

 

 

 

 

 

 

 

きっと、平成2年の3月廃線後に再整備された時には、水が流れていたのでしょう。ランニングコストが負担になり過ぎたか機器が故障したかで、今では涸れ果てている水路。ふるさと創生一億円の産物かバブル時代の置き土産かもしれません。

車止めは移設されてきたのでしょう、まだこの先に終点の鍛冶屋駅がありますから。

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやくたどり着いた、鍛冶屋駅 終点。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濃い緑に白ラインの加古川線カラーは、塗装剥がれも見られ、褪色して露光オーバーのように白っぽくなっていました。

 

 

 

 

 

 

キハ30 69。非電化区間の103系といった質実剛健安価な仕上げで現役時はあまり魅力を感じられなかった系列でしたが…齢を重ねて人生の悲哀を知ると、103系同様にシンパシーを感じてしまう車両です。

因みに鍛冶屋線最末期には、当時、最新鋭のキハ37・38が投入されましたが、当然、車齢の新しいそれは千葉は久留里線へと転属し、さらには今では水島臨海鉄道へと移籍しました。

 

 

 

 

 

 

鍛冶屋線記念館となった旧鍛冶屋駅。

 

 

 

 

 

 

大切にされているのかお荷物にされているのか判断に迷うところです。

 

 

 

 

 

 

暑くてクタクタ、這う這うの体で辿り着いた終点は静かでした。とりあえず乏しくなった水筒に飲料水を補充せねば…と自販機を探すも駅周辺にはありませんでした。県道が交通の中心になり、自販機はそちらの方に点在しているのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

鍛冶屋駅の先にはまだ線路があったようなケヤキ並木が伸びていました。

終端駅でしたが、この先は客車時代の機関車機回し線が2本あったようです。

 

現役の頃の様子はどうだったか知りません。往時の画像を検索すると、今とは似ても似つかない非電化区間で空がだだっ広い終端駅の風景が見られました。

廃線後、植樹されたケヤキが時を刻み大きく育っていました。炎天に日陰をつくっていたケヤキ並木のお蔭で熱中症にもならずここまで歩いて来れました。