あと36日で使用期限が終了する向洋駅上りホームから、下り旅客線を単機回送して行くDE10-1514号機を捉えました。
新ホーム側へ居たので、接近が確認できた時には現行ホームへの移動が間に合わず、通路越しに連写することにしました。
まぁ、これもいずれは思い出の1コマですし、広島郷土史の記録にもなります。
ブログの写真では判り辛いですが、区名札は関の文字が入っており、JR西日本 下関総合車両所運用検修センターの所属機です。
日本車輛製造名古屋工場にて落成した同機は、1970(昭和45)年11月12日付けで盛岡鉄道管理局 盛岡機関区(岩手県)へ新製配置されました。
ところが、1971(昭和46)年3月19日付けで東北地方から温暖な瀬戸内海気候の、広島鉄道管理局 小郡機関区(山口県)へと転属となり、以降は山陽本線・美祢線・山口線での運用に就きます。
1975(昭和50)年12月1日付けで厚狭機関区に転属となり、国鉄分割民営化・JR西日本による組織改編によって下関運転所の所属となりました。
以降はずっと下関所属機で、厚狭機関区最終所属機の1機となりましたが、1995(平成7)年10月1日から下関地域鉄道部下関車両管理室、2009(平成21)年6月1日 下関総合車両所と、組織改正のため旧 下関機関区は名称が変遷します。
2014(平成26)年4月1日には組織細分化によって下関総合車両所運用検修センターの配置となり、2022(令和4)年10月1日には中国統括本部が発足します。
中国統括本部 下関総合車両所運用検修センター配置と名称は幾度も変わるものの、1912(明治45)年6月1日より国際連絡運輸の一翼を担った伝統の関の区名札が変わることはありません。
さて、今年で48歳を迎える同機は過去になかなかな名車を牽引しています。
1994(平成6)年11月19日に山口線線でC57-1号機と重連で12系お座敷客車旅路を牽引、平成7年2月11日にはリニューアルされた12系お座敷客車TABIJIを、DE101076と重連で牽引しています。
同年3月25日、山口線にて現在 京都鉄道博物館に収蔵されているマイテ49-2を連結した、12系レトロ客車をC56-160号機と重連で牽引。
2015(平成27)年3月7~8日には美祢線・山陰本線経由で、厚狭~長門市~下関にてDE10-1514と重連でサロンカーなにわ7両も牽引しています。
さて、今回の単機回送は下関へ向かう下り列車でしたが、交番検査が終わっての帰り道だったようです。
2月5日に単9392で下関を発って岡山入りをしていたようで、岡山で交検を受けて単9391で下関へ向かう途中に、私と出会ったようでした。
撮影日は2月11日で、向洋駅を通過して行ったのは9時10分。
広島~岡山は在来線だと約3時間なので、なかなかな早朝に岡山を出発したことになりますが、ラッシュ帯前に岡山近郊を出てラッシュ帯後に広島近郊を抜けるのが目的だったのでしょう。
下関へ帰着するのは15時前なので、センター職員さんたちにとっても業務的に理想的なダイヤなのかも知れません。
と言うことで、過去の記事から2枚ほどDE10-1514号機をアソートにしてみました。
それとDE10形と言えば国鉄機と言うことで、DE10とEF66の記事にリンクを2つ貼ってみました。
このインスタグラムは、今日の写真を使ってGIFアニメを作ったので、貼ってみました。
ちょっとコミカルストーリー風にしてみたのですが、BGMに劇場版 鬼滅の刃 無限列車編の「炎の呼吸」を使ったので、かなり音楽に助けられています(笑)
あぁ、そうそう、最近知ったのですが、 BGMや背景音・撮影時の雑踏音など、アプリでないと再生できないようです。
こちらはDE10ではなく国鉄機ですらないのですが、面白かったのでツイッターへリンクを貼らせて頂きました。
遠鉄 = 遠州鉄道は静岡県下の輸送会社で、新浜松~西鹿島間 17.8kmの鉄道路線と、路線バス・観光バス・ロープウェイの営業を行っています。
こんな風景ね、私が小さかった頃に1度だけ、国鉄時代の山陽本線で見たことがかって、何じゃこりゃ?って衝撃を覚えた記憶があります。