JRグループ初の新型特急電車、783系「ハイパーサルーン」。展望を重視した大窓流線型の外観と、ドアを中央に設けた半室構造の客室で注目を集めました。鹿児島本線の特急「有明」で1988(昭和63)年3月にデビュー。国鉄形ばかりだった九州に新しい風を吹かせました。

 

 

特急「有明」として鹿児島本線を行く783系ハイパーサルーン。車体中央部に出入り口があるスタイルが斬新でした。当初は3両編成と5両編成が用意されましたが、写真のように2本つなぐときもありました=1989年、西里付近にて

 

 

 

JR九州では87年の発足時、特急電車として国鉄から継承した485系が各方面で活躍していました。しかし高速性・居住性のいずれも多くを望めず、高速バスなど発達する他の交通機関に対して競争力の強化が必要でした。783系はそれらに対応する新世代の特急電車として開発されました。

 

 

783系は半室構造として指定席/自由席などの座席を細かく分け、状況に応じて変更しやすくするなど、基本的には短編成での使用が想定されていたようです。しかし国鉄形の485系から格段にグレードアップされた新型特急は乗客に好評だったようで、長崎行きの「かもめ」など長編成の列車にも次々投入されていきました。

 

 

2次車では供食設備「カフェテリア」が加わり、さらに魅力ある編成となりました。その後130キロ運転を実現させ、「ハイパーレディ」と呼ばれた客室乗務員も乗り込むなど、ハード・ソフト両面を充実させた783系は90年代初頭、九州の看板列車として親しまれました。

 

 

上り方のクモハ783形は赤帯入り。窓の大きい展望客室も下り方がグリーン車に対しこちらは普通車。鉄道ファンとしては特等席でした

 

 

 

しかし783系の全盛期は長く続きませんでした。JR九州ではフラッグシップトレインとして、外部デザイナーを起用しコンセプトをしっかり磨き上げた787系を92年に特急「つばめ」として博多ー西鹿児島間にデビューさせました。

 

 

運転区間が重なる783系も「つばめ」のラインナップに加わりましたが、「商品」としては見劣りする中途半端な存在になってしまいました。結局、787系の水準に合わせるリニューアル改造を96年までに受けました。オリジナルの姿で活躍したのはわずか8年あまりと、使用線区や役割に合わせて製造されるJRの特急車両としては異例の短さでした。

 

 

その後787系の増備が続き、さらに883系、885系などJR九州の個性派特急が登場すると、もう783系が主役になることはありませんでした。九州新幹線の開業による車両転配の影響も受けました。

 

 

熊本駅に停車中の783系ハイパーサルーン。ブラックマスクの流線型は80年代後半のトレンドでしたが、90年代半ばにはリニューアルされたため、オリジナルの姿は意外に早く姿を消しました

 

 

 

783系はスタートしたばかりのJR九州のイメージアップに大きく貢献したものの、短期間でエースの座を降りることになったのは不運でした。これはJR九州が他交通機関との競争など、環境の変化への対応を求められた結果だったように思います。

 

 

一方で、役割や外観を大きく変えながらも、今も特急「みどり」「ハウステンボス」として第一線で活躍を続けているのは、デビュー時を見たファンとしてはうれしいものです。今春で35年、今も九州の鉄路を支えています。

 

 

リニューアル改造を受けて現在も活躍を続ける783系。前面部がシルバー塗装となり、床下にあった空調装備も屋根上になるなど、外観は大きく変わりました=2023年

 

 

 

 

※本稿の「後編」として、現在の783系は以下の記事で紹介しています

 

 

※姉妹ブログでは、国鉄時代の特急「有明」のことを書いています