皆さん こんにちは。 中学生が小遣いをためて 東京遠征したので フイルムまで回すお金に余裕がなく 特急を1枚づつ撮るのが精一杯で 他の急行や 普通列車を撮れませんでした。。。今思うと非常に残念です。 しかし 在来線が活気があってワクワクする時代でした。

 

特急あさま9号長野行きです。 新潟への時と並んで 今も昔も 上野ー長野間の特急は、「あさま」ですね。 上野発の高崎線方面への特急は、基本毎時16分46分が、信越線方面。19分49分が 上越線方面への特急が使用していました。 そして その間の 毎時23分と53分に上越線 信越線 吾妻線各方面への電車急行が運転されていて 新潟への急行佐渡 長野方面 急行信州などもありました。

 

高架下14番線。 特急はつかり7号青森行です。上野ー青森間を東北本線経由で6往復運転されていました。583系と485系が各3往復づつで 両形式ともに12両編成 グリーン車食堂車各1両組み込みで 全列車食堂車は営業していました。

このはつかり7号は 上野発12時33分で 青森には、21時25分の到着でした。

はつかりの列車名の由来は、秋に東北地方に飛来する 雁の群れを指す 初雁がが由来だそうです。 ヘッドマークも 初雁の文字の上下で 青空と夕空を飛ぶ 雁の群れをイメージしていたようです。

 

今では、地下新幹線ホームになってしまった 上野駅地平ホーム20番線。 ホームの軒下にも遠くに20の札が。

特急あいづ 会津若松行です。1日1往復の運転でした。 485系の9両編成で この一番後ろの先頭車が グリーン車のクロ481でした。 東北本線を走る特急列車でしたが、他の東北特急が食堂車組み込みの12両編成だったのに対し 食堂車なしの9両編成。磐越西線内の駅の長さの関係かと思いますが、9両編成。 編成は、常磐線特急ひたち号と共通運用で この「あいづ」も 原ノ町からの ひたち8号の折り返しでした。

そして 横の19番線に郵便マークの客車が止まっています。 今気づきましたが、これが 前回話した 普通223レ 常磐線経由仙台行でした。 旧型客車の普通列車が残っていたのは 東京からの 郵便荷物輸送のためだったようです。

 

この後 せっかく東京に来たので ここに行きました。 一部 不適切なものが写っているので モザイクをかけていますが。

先日 中国に帰った シャンシャン。 日本で初めて パンダが カンカンとランランでした。 しかし、お休み。 残念でしたが、丁度 この直前に ランランの方が体調を崩して病気に この1ヶ月後に亡くなっていました。

 

そして 上野駅に戻りました。

特急はくたか3号 上越線長岡経由金沢行です。現在は、北陸新幹線の普通タイプの列車ですが 北陸新幹線開業前までは 越後湯沢ー金沢間を結ぶ 新幹線連絡特急で、それ以前、1982年11月の上越新幹線上の開業までは、上野駅と金沢駅を上越線経由で結ぶ 特急でした。この時の編成は、白山と共通の489系12両編成 グリーン車2両組み込みでしたが食堂車はありませんでした。 上野ー金沢間の所要時間は約6時間45分。 長野経由の白山も ほぼ同じ時間でした。

 

上越新線連絡特急時代の 特急はくたかで 485系が使用されていた編成には、赤地に白のデザインのヘッドマークでしたが、初代のヘッドマークは、水色地に白でわしの絵 黄色の文字のヘッドマークでした。 1978年10月に変更され 1982年11月に廃止されたので わずか4年間しか見られませんでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。