ばーどの乗り物チャンネル(パート3)

鉄道やプラレール、その他乗り物に関する最近の活動の速報版です。

過去の列車(急行だいせん車内)

2023年03月09日 22時20分26秒 | 実物鉄道
1990年代終わり頃、夜行急行「だいせん」に乗りたくて小旅行をした時に利用した急行「だいせん」の車内です。当時、ブルートレインを利用する際に、定宿にしていた17番下段です。車両一番端の17番は向かいの席がなく、何となく半個室のような雰囲気で気に入っていました。ドアのすぐ近くで音が気になるのと、台車付近なのでやや揺れが大きいというデメリットもありましたが、よく利用していました。もちろんたまたま乗り合わせた向かい席の知らない方々と旅行談義に花を咲かせるのも旅の醍醐味ではありますが、この「だいせん」や、岡山東京間でよく利用していた「あさかぜ」「瀬戸」などは夜の10時頃から朝7時頃までしか乗車しないため、他の方々となかなか話しにくいという状況だったので、17番がお気に入りとなったわけです。懐かしいですねえ。

以前に乗車したB寝台
この時は長時間乗車だったため話がはずみました。
http://bird.sapolog.com/e222018.html

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2 コメント

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B寝台 (ヲアニー)
2023-03-10 14:58:43
高校卒業後、青雲の志を抱き(笑)、東京に向かうために米子駅から最初に乗ったのが寝台急行出雲でした。
当時は、特急ではなく急行だったと記憶しています。

今回UPの夜行急行「だいせん」やリンクの寝台特急「富士」を拝見しました。B寝台でも2段のようですね。
たしか、出雲号に乗ったときはB寝台だったと思いますが、3段あったと記憶しています。
何回か往復で出雲号を利用しましたが、3段の中段は窮屈で、なるべく上段か下段を予約していました(笑)
むしろ、上段が屋根が丸くなっている分高かったですね。

1990年代終わり頃に夜行急行「だいせん」に乗られましたか。山陰線を走っていたのですね。あの頃は職場が鳥取市にある部署でした。県西部にある実家と鳥取間を、山陰線の快速でよく往復していました。
今は、米子~鳥取間は通勤時間帯には特急「まつかぜ」が運行され、米子市や鳥取市に部署があっても、自宅から通勤している人が多くなっているようです。

「だいせん」が当時走行していたとは、気づかなかったですね。
もっとも、あの頃は「写進化」ではなかったですから(爆)
お忙しいようですから、レスはお気遣いなく。
Unknown (birdch)
2023-03-12 21:47:47
ヲアニー様 いつも大変お世話になっています。

急行「出雲」で上京ですかあ。夢溢れるあるお話しですね。3段式寝台というのがまた古き良き時代の象徴のようでいいですねえ。私が初めて寝台列車に乗ったのは小学生高学年の頃、憧れの寝台特急に地元倉敷駅から東京まで父親に乗せてもらった時です。「あさかぜ1号」でした。当時は上りにも下りにも1号があった頃です。興奮して一晩中全く眠れませんでした。寝台はギリギリ?24系25型になった頃で、すでに2段式でした。東京に着いたら雨でしたが、東京駅や上野駅などで、様々な特急列車の写真を撮り、東京タワーに登って、最終の新幹線で岡山に帰って来ました。今でも鮮明に覚えています。

3段式寝台も何度か乗ったことがあります。10系鈍行「山陰」京都から米子?出雲市?(思い出せません)、20系急行「銀河」東京から大阪、20系急行「ちくま」松本から大阪、583系特急「明星」倉敷から?(思い出せません)、583系急行「きたぐに」です。「ちくま」以外は主乗り鉄撮り鉄旅行でした。高さも幅も狭くて古い寝台車でしたが、そこがまたよかったりしました。さすがに中段は乗ったことがなく、下段ばかりでした。

私が乗車した急行「だいせん」は確か21時半頃出雲市駅を出て、米子23時前、鳥取1時過ぎ、終点大阪は7時過ぎだったと思います。ヲアニー様在住の辺りは真夜中だったので、偶然見る機会もない状態だったのでは。

いずれにしてもいい時代でした。ヲアニー様のコメントを拝見し、様々な関連事項が思い出されました。懐かしいです。ありがとうございます。

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