機 番:82号機
新 製:昭和30年3月18日
製 造:川崎車輛
製造番号:No.178
新製配置:浜松機関区
最終配置:広島機関区
廃 車:昭和56年3月7日
【廃車時の形態】
パンタグラフ:PS22B
前照灯:原型(ハチマキ状ケースなし)
尾灯:改造外バメ式
正面窓:小窓+Hゴム支持
Hゴム色:黒色
正面ヒサシ:小型
デフロスタ:なし
正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈
列車電話:なし
電源車制御装置:なし
元空気ダメ引き通し管:あり
スノープラウ:なし
ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ
汽笛カバー:なし
常磐線用列車無線:なし
乗務員ドア:改造FRPタイプ
側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ
側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ
側面ナンバープレート:板状タイプ
暖房装置:SG
【改造履歴(抜粋)】
昭和31年12月20日~:丙修繕(施工は浜松工場で同年12月26日に出場)
電気式速度計の取り付け。
昭和38年 6月 5日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年6月13日に出場)
前面につかみ棒とステップの取り付け。
昭和46年 4月20日~:全般検査(施工は広島工場で同年4月30日に出場)
側面エアフィルターを鎧戸タイプに取り替え。
昭和48年 1月19日~:要部検査(施工は広島工場で同年3月24日に出場)
車体整備(前面窓のHゴム化など)。
避雷器をLA15に取り替え。
昭和52年 2月10日~:要部検査(施工は広島工場で同年2月24日に出場)
パンタグラフをPS22Bに取り替え。
【転配履歴】
昭和30年10月30日:米原機関区
昭和40年10月 1日:下関運転所
昭和44年 8月26日:広島機関区に貸し出し
昭和44年10月 3日:下関運転所に返還
昭和50年 1月15日:広島機関区に貸し出し
昭和50年 2月18日:下関運転所に返還
昭和50年 9月 5日:広島機関区
昭和56年 1月24日:第二種休車に指定
新製目的こそ、「東海道本線米原電化用」で、81号機以前の車と同じく浜松→米原へ配置転換になるんですが、運命的には81号機と同じになります。東海道新幹線開業後は下関に転じて山陽本線の列車を牽引することになるんですが、昭和48年の車体整備を機にいわゆる「P型」改造を施され、ブルートレインも牽引するようになりました。一部媒体では「廃車時にはPS14を搭載して・・」と記述されていましたが、82号機は下枠交差型のPS22Bを搭載して晩年を迎えています。
昭和49年11月12日、東海道本線芦屋-西ノ宮間にて。
寝台特急「彗星」を牽引してラストスパートをかける82号機です。
既に客車は24系に置き換わっていますので、元空気ダメ引き通し管などは活用されなくなりましたが、「彗星」や「あかつき」の牽引も行っていました。
(画像提供:い様)
撮影年月日は不詳ですが、1枚目とほぼ同じ時期に撮影したものと思われます。
撮影場所は高槻-山崎間とのことですが、私的には芦屋-西ノ宮間ではないかと見ています。
確かに高槻を過ぎると背後に山々が迫りますけど、高槻や山崎の感じじゃないような気もするし、その辺の判断はムズいですね。
(画像提供:ウ様)