番外 佐世保~佐々間本数は現在の約5分の1でした、昭和58年時刻表参考、松浦線→西九州線本数変化 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 これまでも当ブログ内でご紹介しておりますように、松浦鉄道(MR)西九州線は、国鉄→JR松浦線から転換しまして現在に至っている第3セクター鉄道でありまして、多くの方々が利用されております。
 
 この路線では、上の画像にあります最新鋭のMR-600形気動車、さらには少数の存在でありますMR-400形・MR-500形の各気動車ががそれぞれ運行されておりまして、特にMR-600形気動車に関しましては「」・「」・「」の3色の車が存在しておりまして(上の画像では「赤」・「青」、最後の画像で「黒」をご紹介しております)、主力車両として全線にわたって運行されております。
 
 また、転換しましてから新駅が24駅も新設されておりまして、中にはこんな所にも・・・と言った所にまで新設されているなど、まさに地域に特化した形となっておりますが、この中には鉄道線では日本一短い駅間(200メートル)であります、中佐世保~佐世保中央間が存在しておりますし、浦ノ崎~福島口間(500メートル)など駅間が1キロに満たない駅も多く存在しております。
 
 
 そんな西九州線でありますが、近年は特に伊万里~佐々間におきましては利用者が減少しておりまして、ピーク時からしますと運行本数も大きく減っている区間も存在しております。実際に、ピーク時には以下のように本数が存在しておりましたが・・・

 伊万里~有田間 27往復
 伊万里~松浦間 28往復
 松浦~たびら平戸口間 21往復
 たびら平戸口~佐々間 28往復(快速1往復含みます)
 佐々~佐世保間 41往復(快速1往復含みます)
 
 平成28年のダイヤ改正では、特にピーク時よりも大幅減便を生じていましたのが伊万里~松浦間でありまして、ピーク時よりも11往復も減便されております。特に、平成24年の改正からは8往復も運行されておりました伊万里~松浦間の区間便も、伊万里発夜間・松浦発早朝のわずか1往復となっておりますが、それでも時刻は約1時間ヘッドによる運行となっておりまして、本数減が伺えましてもそこまで不自由にさせないようにする所が見られております。
 
 伊万里~有田間 26往復
 伊万里~松浦間 17往復
 松浦~たびら平戸口間 17往復
 たびら平戸口~江迎鹿町間 21往復
 江迎鹿町~佐々間 下り22本・上り21本 
 佐々~佐世保間 
下り42本・上り43本
 
 そして、令和4年9月のダイヤ改正では、さらに伊万里~有田間を中心に減便がなされておりまして、4往復が減便しているのがわかりますが、佐々~佐世保間でも40往復まで減便されております。この減便は、JR九州内でも都市圏を中心に大幅な減便が行われてもいましたが、まさにそれにあやかった形となっていたのは残念ではありましたでしょうか。
 
 伊万里~有田間 22往復
 伊万里~松浦間 16往復
 松浦~たびら平戸口間 16往復
 たびら平戸口~江迎鹿町間 20往復
 江迎鹿町~佐々間 下り21本・上り20本 
 佐々~佐世保間 
40往復
 
 尚、西九州線と並行します西肥自動車(西肥バス)のバス路線も、こちらも当ブログでもご紹介しておりますように、伊万里~松浦~たびら平戸口間では優等路線バスが運行されていたピーク時よりも大幅に減便されております。これらの要因は、沿線の過疎化・少子化・そしてマイカーの普及による交通機関離れが要因とも言われておりまして、そういった所が表面に出ているようでもあります。
 
 
 さて、今回ここからご紹介しますのは、私自身が所蔵します昭和58年の時刻表より、松浦鉄道西九州線の前身でもあります、国鉄松浦線時代の時刻表を皆様にご紹介してまいります。
 
 
 画像が、当時の松浦線時刻表であります。昭和58年当時は以下画像の本数となっておりまして・・・
 
 (下り、有田~伊万里~佐世保間)
 
 (上り、佐世保~伊万里~有田間)
 
 急行「平戸(佐世保~伊万里間)」 1往復
 佐世保~有田間 下り2本・上り1本(伊万里駅で列車番号が変わる列車1本も含みます)
 佐世保~伊万里間 5往復(筑肥線乗り入れ列車含みます)
 佐世保~平戸口間 下り1本・上り3本(佐々駅で列車番号が変わる1本も含みます)
 伊万里~平戸口間 1往復(松浦駅で列車番号が変わる1本も含みます)
 伊万里~松浦間 下り3本・上り2本(筑肥線乗り入れ列車含みます)
 松浦→有田間 1本
 伊万里~有田間 下り12本・上り10本(筑肥線乗り入れ列車も含みます)
 
 こうして見ましても、現在の西九州線の本数よりも非常に少ない事がわかります。特に、佐世保~佐々間は先述のように、下り42本・上り43本が存在しておりますが、当時は急行「平戸」を入れましてもわずか9往復でしたので、どれだけ少なかったかが伺わせております。また、かつては佐世保線とともに、筑肥線との乗り入れも行われておりましたが、これは伊万里駅が現在みたいにJRとMRとで分断されておりませんでしたので直通列車もその分運行されておりました。
 
 (JR・MR伊万里駅を分断する道路)
 

 また、急行「平戸」に関しましては、昭和63年の松浦線廃止→MR転換まで運行されておりました。当時の松浦線内の停車駅は・・・
 
 伊万里~浦ノ崎~松浦~平戸口(現・たびら平戸口)~江迎(現・江迎鹿町)~肥前吉井(現・吉井)~佐々~佐世保
 
に停車しておりまして、キハ58系気動車にて運行されておりました。実際に、以下画像は急行「平戸」の部分をアップしたものでありますが、かつては福島への玄関口としてでもありました浦ノ崎駅を含めまして、主要駅に停車していた事が伺えております。
 
 (下り、伊万里→佐世保)
 
 (上り、佐世保→伊万里)
 
 
 かつてそんな松浦線は、沿線に存在しておりました炭鉱が相次ぎ閉山となりまして、利用者が大きく減っておりました。そのため、廃止対象路線にもなっていたほどダメージを受けていた路線であった訳ですが、第3セクターの松浦鉄道となりましてからは息を吹き返しまして、現在に至っております。それでも、先述のように利用者が減っている区間はありますが、それでも1時間ヘッドにまで抑えてくれている事は正直利用者の足を確保するためを思いますと良かったのではないかとも思う所ではあります。
 
 
 今回は、過去の昭和58年の時刻表を引っ張り出しましてこの話題の作成に至っておりましたが、かつての国鉄→JR時代はまだ現在よりも本数が少なかった事を思いますと、正直まだましな方ではないかとも思います。何と言いましても、先述のように佐々~佐世保間の本数が特に思う所ではないかとも思いますので、正直これでは利用しようにも利用しにくかったのでは?と思いますとわからなくもない所ではないでしょうか。とにかく、この西九州線内には魅力的な所もありますので、そう思いますとやはりこれ以上は利用者が減らないよう、是非とも利用していただきたいとも思う所であります。