その1(№6036.)から続く

一週間遅れのアップになってしまい申し訳ございません。これからペースを取り戻してまいります。

量産型の振子車両が初めて投入された路線。
それは東北本線ではなく中央本線(中央西線)でした。当時中央西線(中津川-塩尻)の電化計画が具体化し、キハ181系で運転されていた特急「しなの」の電車化とスピードアップが検討されました。当初は山陽線の「はと」「しおじ」運用を追われた181系の転用で賄おうとしていたようですが、キハ181系を181系に置き換えてもさしたるスピードアップにはならないことから(ある試算によると10分程度しか異ならないとも)、振子車両の投入が決定しました。
そして「日本初の量産型振子車両」は、以下のとおりのスペックをもって世に出ています。

① 電気方式は直流専用。
② 制御方式はオーソドックスな抵抗制御方式だが、機器類を新たに設計(軽量化と低重心化のため)。
③ 車体はアルミ合金製とする(軽量化のため)。
④ 車体長はキハ181系や14系客車などと同じ21.3mにストレッチ(床下機器艤装スペース確保のため)。
⑤ 先頭部は485系貫通型などと同じ貫通構造。
⑥ 屋根上にはパンタグラフとベンチレーター以外の機器を置かない(低重心化のため)。よって冷房装置は床置型を搭載。
⑦ 最高速度は120km/h。
⑧ 車体傾斜度は5度。
⑨ MMT3両ごとに1ユニットを構成。ただしT車は独立して編成に組込み可能。
⑩ 内装はグリーン車がフルリクライニングシート、普通車は簡易リクライニングシート。いずれも手掛けが備えられる。
⑪ カーテンは設けず窓にブラインドを内蔵する方式を採用。
⑫ 所要時間と走行環境を鑑み、食堂車・ビュフェを省略。

381系は運用線区が直流電化区間に限られることから、591系の交直両用を止めて直流専用としています(①)。メカニックは界磁チョッパ制御を試験的に採用した591系に対し、回路が複雑でメンテナンスコストが大きくなることから通常の抵抗制御とされましたが(②)、軽量化と低重心化、さらに振子作動時の重量配分の必要から床下機器の多くを設計変更して採用しています。加えて床下の機器の艤装スペースを生み出すため、183系や485系に比べ車体長が伸長され、14系客車などと同じ車体長になっています(④)。軽量化は車体でも徹底され、当時の国鉄の車両としては採用例が希少だったアルミ合金を採用しています(③)。また先頭車は、併結や増解結の便宜を考えて貫通構造とされました(⑤)。
低重心化も徹底され、床下機器の艤装に工夫か凝らされたことは勿論、屋根上にはパンタグラフとベンチレーター以外の機器を配置せず(⑥)、そのため屋根上は非常にさっぱりしたものとなっています。
最高速度は120km/h(⑦)、車体傾斜角度は5度(⑧)。いずれも591系と比較するとスペック的には後退していますが、これは最高速度を130km/hとしても120km/hの場合と比べてスピードアップの効果が低いこと、車体傾斜角度を大きくすると車体上部を絞らなければならず(建築限界に抵触するから)居住性に難が生じること、さらにパンタグラフと架線とのずれの調整が必要になることなどを考慮して決定されました。勿論、軌道に対するダメージの大きさも勘案されていることは言うまでもありません。
最も肝心な車体傾斜の方式ですが、591系で試験した「自然振子式」が採用されました。この方式は、車体と台車の間に「ころ」を噛ませ、曲線区間に入ると列車が受ける遠心力で自然に車体が傾くというもので、原理が単純で効果が絶大であるという点から採用されました。しかし、この方式は曲線区間への突入と脱出の際に車体の傾きにタイムラグが生じること、突然大きく揺れることなど、乗り心地に難があるのは事実で、以後の車両で振子式を採用するものは「制御付き自然振子式」となっています。
その他⑨の点も、編成の自由度が大きい183系や485系などとは異なるところです。
内装はデビューが1年先行した183系に準じていますが、振子式車両であり揺れが大きいことが考慮され、座席に手掛けが備えられています(⑩)。ブラインド内蔵窓の採用も、揺れによるカーテンのばたつきを嫌った結果でしょう(⑪)。また食堂車などの連結が見送られたのは(⑫)、重量の大きな調理機器や大容量の水タンクを搭載することが軽量化・低重心化に反することと、振子車両としての居住性が考慮された結果と思われます。
地上での準備としては、横圧が強くなるためにそれに対応すべく軌道が強化されたことと、振子を作動させる区間についてはパンタグラフと架線とのずれが生じないようにするため、架線の張り方に工夫が凝らされています。そのため、381系は591系が採用したような、車両側でパンタグラフと架線とのずれを調整する機構は採用されませんでした。しかしこのように、横圧対策やパンタグラフと架線とのずれの対策を、いずれも地上側で調整する手法をとったため、381系は振子を作動させることができる区間が限られてしまう結果ともなりました。国鉄時代に381系を投入した路線がいずれも新規に電化開業した路線であり、既存の電化路線に投入されなかったのは(181・183系などから381系に代替された路線はない)、このことも理由にあります。

ともあれ、中央西線中津川-塩尻間の電化開業は昭和48(1973)年7月10日と決定し、この日から381系電車による「しなの」が走り始めました。このために381系の第一陣47両が長野運転所(当時)に配属されています。
編成は以下のとおり。

←名古屋・長野 TcM'MTsM'MM'MTc 塩尻→
(当時は塩尻駅でスイッチバックしていたため)

この時点では381系が全列車に充当されたわけではなく(8往復中6往復)、キハ181系による列車も2往復だけ存置されました(1往復は大阪直通列車)。しかしキハ181系使用列車の大きな売りだった食堂車も、この改正を機に連結を外されてしまいます。そうなるとキハ181系を継続使用する意味がないのではないかとも思えますが、このころは、国鉄の累積赤字が顕在化していたので、新製費用が他の特急用車両よりも嵩む381系を一気に投入することが憚られたということが理由にあると思われます。それと、キハ181系を投入後僅か5年で転用することも会計検査院あたりから睨まれたか。

キハ181系使用列車に比べ大幅なスピードアップが図られた「しなの」ですが、その評価は必ずしも芳しいものではなかったようです。というのは、前述のとおり乗り心地に難があったから。そのため乗り物酔いに陥る乗客が多数出現したばかりか、乗務中の車内販売員までもが乗り物酔いに陥り、営業不能に陥ったことすらあります。そのため381系には各座席に「エチケット袋」が備えられたとか、「しなの」に乗務する車掌が酔い止め薬を常時携帯して乗務していたなどという話もあります。
それでも381系によるスピードアップの効果は絶大であり、国鉄当局は昭和50(1975)年3月のダイヤ改正で2往復残ったキハ181系使用列車を381系に置き換え、全ての「しなの」を381系に統一しています。「しなの」はさらに1往復が増発され9往復体制となり、そのための増備車30両を長野に追加投入。この時点で381系は77両の陣容となりました。
そこで国鉄当局は、「しなの」に続く投入路線を検討。
第二の投入路線になったのは、「くろしお」が走る紀勢本線でした。

その3(№6050.)に続く

 

【追記】(令和5年2月21日 08:10)

本文を一部加筆・訂正しました。