人と自家用車を一緒に運ぶ画期的な列車として国鉄末期からJR初期にかけて約10年間、東京と北九州を結んだ「カートレイン九州」。ブルートレインで活躍した20系客車とワキ10000形貨車が連なる異色の列車でしたが、東京側の発着駅が恵比寿から浜松町に変わった1990年冬に編成が反転。下り列車では電気機関車EF65 1000番台(PF)の次位がこれまでのA寝台車ナロネ21形から電源車カヤ21形になりました。

 

 

90年春、高架化工事が始まったJR山陽本線防府駅付近を走るEF65 1113けん引のカートレイン九州。この頃の下り列車は、EF65PFのすぐ後ろにナロネ21が連結されていました

 

 

 

89〜90年にかけてのカートレイン九州のチラシを見ると、下りは恵比寿を17時40分に出発して東海道・山陽本線を走り、終点の東小倉(北九州市小倉北区)に翌朝10時5分に到着。上りは東小倉を19時10分に出て、恵比寿には翌日の11時39分に着いていました。浜松町発着に変わってからも、ほぼ同じ時間帯で運転されていたようです。

 

 

私が当時過ごしていた山口県央部では、下りのカートレイン九州は寝台特急あさかぜ1号の15分前を走っていて、一緒に撮影できるなじみの被写体でした。ただ、機関車の後ろに電源車が続く姿に見慣れていたブルトレファンとしては、屋根が高い切妻の中間車が編成端となるカートレイン九州には違和感を覚えていました。

 

 

 

本来は編成端に入ることのないナロネ21。屋根の高さが異なるEF65PFとの連結部は絶壁風になり、独特のスタイルを見せていました(上写真のけん引機はEF65 1109、下はEF65 1101)

 

 

 

そんななか90年冬から、東京側の発着駅が浜松町に変更となりました。列車を撮影する分には影響はないように思っていましたが、車庫からの送り込みルートが異なるためか編成の向きが変わり、EF65PFと接する下り方の編成端は電源車カヤ21になりました。

 

 

90年12月、1枚目写真と同じ防府駅付近を走るEF65 1115けん引のカートレイン九州。機関車の後ろがカヤ21となり、20系らしい曲線の落ち着いた編成端となりました

 

 

 

編成の向きが変わったカートレイン九州。私のような下り列車を迎える側は見慣れた「ブルトレスタイル」になりましたが、逆に首都圏のファンに多く見られる上り列車はEF65PF~ナロネ21の編成順となりました。当時あまり話題にならなかったと思いますが、撮影していた皆さんはどちらの向きが好みだったでしょうか…。むかしの写真を眺めながらちょっと気になっています。

 

 

 

※カートレイン九州については、以下の記事にも書いています。

「カートレイン九州」隠された顔(1991年頃のカヤ21のテールマークを紹介)

カートレイン九州(EF65 1103やワキ10000の写真など)

 

 

 

※姉妹ブログ「歴鉄2番線」にも1980~90年代のブルートレインのことを書いています