撮影日:2022年12月
 
  引き続き、札の辻橋付近の様子です。
 

●品川方面をよく見ると、線路がまだ残っていました。左の複線は東京貨物ターミナル方面、右側の単線は品川駅へ向かう線路です。歴史の生き証人を見ることが出来て嬉しさもひとしおです。ここを汐留に向かって数多くの貨物列車が走っていたんだなぁ。

 
●新幹線と列車が走ることのない貨物線跡。品川駅方面へはもういけません。
 
 
●その後、東京貨物ターミナル方面への橋梁を見に行きました。新幹線の手前の架線柱に架線がないのが大汐線です。
 
 
●大汐線は新幹線に比べて少し下にありますね。
 
●橋梁の下にあった銘板。品川あった新幹線の車両基地が大井に移った時期とあいますね。


●続いて、品川駅北側へ。高架の上は品川駅に繋がる車の通路みたいです。東海道新幹線は高架の下を走っています。このあたりが、品川駅方面からの貨物線が東海道新幹線を潜っていた付近だと思われます。かつて、品川駅の東側は広大な貨物ヤードなどが広がっていました。大汐線側と東海道本線側の間に東海道新幹線の線路が敷かれたため分断されてしまい、東海道新幹線を一部高架にして、そこを品川駅方面からの貨物列車が潜って汐留へと向かっていました。
 
 

●さらに歩くと、東海道新幹線は高架にを上がっていくようになっていました。雰囲気的に、ここが品川からの貨物線が潜っていた場所か?という風に見えました。汐留への貨物線が新幹線の高架のどのあたりを潜っていたのか見るのが今回の最大の目的でした。でも、どうも位置的に合わないので、あとで調べてみると東海道新幹線の品川駅開業時に線路の付け替えがあって、すでに当時の東海道新幹線の高架は無くなっているみたいでした。どうもこの高架自体がかつての汐留への線路の上に造られているようで、完全な徒労に終わってしまった。でも、貨物線もないのに何でわざわざ高架になっているんだろう。高架下を車が走れるようになっていたり、簡易的な建物があったりしました。東海道新幹線の品川駅開業時にJR東日本にギリギリの土地しか分けてもらえなくてスペース確保のために苦肉の策でこうなっているのかな。

 
 
 場所は全く変わって、大阪駅裏手の梅田貨物駅跡地、現在の梅田信号場を通る梅田貨物線です。新大阪から福島までの路線で、これも東海道本線の支線となっています。はるかやくろしおが通っている路線です。今年の2月12日をもって地下路線に切り替えられてしまうので、天王寺-京都間だけはるかに乗るという無駄遣いをして、最後の風景を見納めて来ました。
 
●福島を通過して、東海道本線を潜ったあたりに新線のトンネルの出口があるはずだが、いまいち分からず。
 
●この踏切の使命もあと10日あまりです。
 
●こんな広大な空き地も何年か後には様変わりしているのでしょうね。
 
 
●信号機が見えました。ここが梅田信号場かな。
 
 新大阪側のトンネルの入口は進行方向左側にあったみたいで、全く気付かずに通り過ぎてしまいました。この線路の廃止をもって梅田貨物という名前も過去のものになってしまいますね。