東海道新幹線は、1964(昭和39)年10月に誕生していますが、その後誕生する山頂新幹線や、東北・上越新幹線と決定的に違う点がありました。
それは、交流電化の方式でした。
特に、架線に電気を供給するき電方式が、その後誕生する方式と大きく異なっていました。
東海道新幹線で採用された方式は、BTき電方式と呼ばれる方式であり、その後開通する新幹線はATき電方式と呼ばれるものでした。
BTき電方式は、一言で言えば、セクション毎に区切ってその区間で強制的に地上に流れる電流を回収する方式です。
この方式は、日本で最初に導入された交流電化当時に採用された方式であり、欠点としては。
セクション毎が一つの閉じた空間となっていることでした。
画像 wikipedia
その結果、以下のようにパンタグラフ同士を電気的に繋いでしまうと、以下のように異なる位相を短絡させてしまう危険性がありました。
結果的に、過大なアークを発生させることや電気機器を破壊する危険性があることから、電気的にパンタグラフを電気的に繋ぐことは出来ません。
当時の技術では、その後の新幹線での標準となるATき電方式が技術的に間に合わなかったことからBTき電方式が採用されたわけですが、BTき電方式ではどうしてもセクション通過時に大きなアークが発生しやすいことから架線の切断事故が多発する事態となり、国鉄時代は東海道新幹線は架線故障を繰り返していました。
出典:交通技術 1984年11月号 海道新幹線の変電設備取替え計画 から引用
その後ブースタートランスが不要で、電気的に地上に流れる電流を回収するATき電方式の試験が行われ、鹿児島本線の川内~西鹿児島(鹿児島中央)で1970年に採用されたのを皮切りにその後開通する山陽新幹線以降はATき電方式が採用されることとなりました。
東海道新幹線は、国鉄末期の1984(昭和59)年12月18日から、東海道新幹線の変電設備などATき電方式に全面取替えに着手することとなりました。平成3年3月に300系のぞみが試運転を行っていますので、それまでに工事が終わっている筈なのですが、何時終わったかという日付は現在見つけることが出来ませんでした。
ただ、この改良工事により、東海道新幹線は以下のメリットを享受出来ることとなりました。
- ブースターセクションを考慮する必要がなくなり、パンタグラフを電気的に繋ぐことが出来るようになった。
- この効果により、それまで2両ユニット毎に設置していたパンタグラフが不要となり、16両編成で8個上がっていたパンタグラフが、3個まで減少させることが出来るようになり、パンタグラフ同士の共振による追随制の悪化からも解放されることとなりました。
- これによりアークの発生も大幅に抑制されることとなりました。
技術的な話しを含めたお話は別途技術ブログの方でアップさせていただく予定としております。