1975(昭和50)年以来48年にわたって走り続け、1月25日に最後の1編成が引退した東急8500系。「私鉄の103系」ともいえる日常感で、1990年代には沿線開発が進んだ田園都市線の主力として40編成400両もの大所帯で活躍していました。

 

 

急行運用に就く8500系(8624F)。長く田園都市線を代表する「顔」で、90年代は水天宮前行きの方向幕、スカートなしの姿が日常でした=たまプラーザ、1998年

 

 

 

90年代当時の8500系は40編成が活躍。田園都市線から地下を走る渋谷ー二子玉川園(現二子玉川)間の新玉川線(現在は田園都市線に統合)を経て、営団地下鉄(現東京メトロ)半蔵門線の水天宮前まで乗り入れていました。押上まで延伸され東武線に直通するのは2003年になってからでした。

 

 

二子玉川園を出て地下区間へ進む8500系。当時は新玉川線の路線名でした。写真はトップナンバー編成の8601Fで、先頭のデハ8601は現在長野電鉄に移っています=1997年

 

 

 

8500系は東急以外のファンの方にはどの車両も同じに見えるかもしれませんが、製造期間が長く前期・後期で車体構造が異なるほか、車体装飾などで特徴のある編成が何本かあるなど、細かく見ると面白い形式でした。

 

とはいえ、同じ区間を走っていた営団地下鉄8000系の19編成、東急2000系の3編成と比べると圧倒的な多数派で、私などは同線を利用するとき、いつもやって来る8500系は退屈な存在でした。数年間はカメラを向けることもありませんでした。

 

 

 

広告貸切編成「TOQーBOX」となっていた8634F。楽器や音符などの楽しげな車体装飾が目を引きました=宮前平ーたまプラーザ、1998年

 

 

当時東急ケーブルテレビの広告貸切編成だった8637F。1986年製と8500系では最終増備期の車両で、車内は平天井タイプとなり新しい印象でした。シャボン玉の装飾と東急電車で唯一の青帯は存在感が際立っていました。最後まで残った編成でもありました=水天宮前、1997年

 

 

 

初めは飾り気のない無機質で冷たい印象だった8500系。しかしその後スマートで静かな新型車が増えると、逆に一つ一つの動作音に温かみがある車両として気に入るようになりました。

 

ちょっと甲高いモーター音は「爆音」などとも呼ばれましたが、それすらも心地良く(眠りに誘われる)感じられました。切妻の顔は味気ないのですが、実用に徹しているともいえ潔いデザインだったように思います。

 

 

5両編成の8638F〜8641Fは大井町線の予備編成を兼ねていて、田園都市線では2本をつないで走っていました=用賀ー二子玉川園、1998年

 

 

 

私自身は東京を離れてからは8500系に乗る機会はほとんどなく、そのうち後継車の登場も耳にするようになりました。しかし昔あれほどの勢力を誇った8500系がなくなることは東京に普段いない分、実感が湧きませんでした。

 

 

夕方の長津田駅に到着して回送される8642F。同編成はVVVFインバータ制御に変わった1991年製の最終増備ユニットを含む編成で、従来の界磁チョッパ車、VVVF試験車の3種類のモーター音を奏でる異色の存在でした=1995年

 

 

 

国鉄通勤形の代表格だった103系のような当たり前にいる存在。「私鉄の103系」ともいえるこの日常感こそが、8500系がファンや沿線住民に長く親しまれた証しでしょう。90年代のユーザーにとっては、いつもの顔が見られない今後の田園都市線に慣れるのは、ちょっと時間がかかりそうです。

 

 

 

8633F(上)と8642F=用賀ー二子玉川園、1998年

 

 

 

半世紀近くにわたる活躍、お疲れ様でした。

 

 

 

※90年代の東急は以下の記事も併せてご覧ください