旅メモ ~旅について思うがままに考える~

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さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【4】

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《前回からのつづき》

 

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■急行形気動車の決定版キハ58系

 キハ58系もまた、DMH17を採用しました。というよりは、ほかに使えるエンジンがありませんでした。しかし、キハ58系は急行用として運用することが前提であるため、キハ55系よりも長距離・高速走行を強いられるなど、過酷な運用が想定されます。また、準急用では問題でなかった接客設備も、急行用ではそのままというわけにもいかず、相応の設備を装備しなければなりませんでした。

 キハ58系は、基幹形式であるキハ58にDMH17を2基装備し、必要に応じて1基装備のキハ28を組み込む方法を採り、走行性能を確保しました。しかし、中には勾配が連続するような区間でも運用されるため、乗務する運転士はノッチのオン・オフには苦労したという記録があるほどです。

 後に冷房化が進んでくると、このDMH17はことさらその非力さを露呈させることになります。急行用としての走行性能を確保するために、キハ58系ではエンジン2基搭載のキハ58を基本としました。言い換えれば、DMH17を2基搭載することで、ようやく急行列車としてのスピードを確保していたということになります。ところが、冷房化を進めるにあたっては、冷房装置に送り込む電源の確保が必要になります。国鉄の冷房装置は、電車を除いてサービス用電源の発電セットが必要になります。10系客車などでは1両ごとに発電用ディーゼルエンジンと発電機を搭載して、冷房用の電源を確保していました。また、20系以降の客車では、電源車や発電セットを備えた車両を用意していました。

 

DMH17系エンジンの実用化は、国鉄気動車を大量に増備することにつながった。このエンジンを搭載した気動車は多岐にわたり、ローカル線において普通列車として運用する一般型から、地方幹線などでの都市間輸送を担った急行列車用として開発されたキハ58系、さらには特急形であるキハ81・82系と展開していった。そのエンジンの性能から、高速運転を強いられる急行形や特急形では基幹形式となる車両はエンジン2基を搭載することとしたが、冷房用の発電セットを載せる余裕はなく、キハ81・82系ではキハ81またはキハ82に専用の機器室を設けてそこへ発電用機関を載せてまかなっていた。急行形であるキハ58系は製造当初は非冷房だったが、後に冷房化をするにあたって発電用機関を1エンジン車であるキハ28に搭載させた。これは、編成中においてエンジンの台数を減らすことにつながり、特に勾配線区である中央本線などで運用されたキハ58系は、冷房化を遅らせる遠因ともなった。(キハ28 2346 いすみ鉄道大多喜駅 2013年6月30日 筆者撮影)

 

 気動車では、キハ58系と特急形気動車が冷房化されていましたが、走行用のディーゼルエンジンとは別に、電源用のディーゼルエンジンと発電機を装備しなければなりません。特急形であるキハ81・82系では走行性能を確保するために、全車がDMH17を2基、走行用として装備し、発電用のエンジンはキハ81やキハ82に専用の機器室を設けていました。しかし、キハ58系にはそうした専用室を設けることができないので、走行用のエンジンを1基だけ搭載したキハ28に、発電用のディーゼルエンジンを搭載することにしたのです。

 ところが、特に中央本線など勾配が多い路線では、エンジン2基搭載のキハ58を中心に組成していました。冷房用とはいえ、エンジン1基搭載のキハ28は、できれば編成に組み込む数は少なく抑えたいところでした。接客サービス向上の面からは、走行性能を犠牲にしてでもキハ28を組み込むことはやむを得ない、そんなジレンマを抱えることになったのです。

 このように、国鉄初の量産ディーゼルエンジンであるDMH17は、時代が進むにつれてその性能の低さが露呈し、柔軟な運用すら阻害することにもなってしまったのでした。しかし、国鉄は小型軽量で強力なディーゼルエンジンの開発を進め、1960年代にはDMF15とDML30を相次いで開発しました。DMF15は水平シリンダー直列6気筒、排気量15リットルで出力は220PS(DMF15HSA)~300PS(DMF15HSA-P)と、DMH17に比べて大幅に性能が向上しました。また、さらに強力なエンジンとして、DMF15を2倍にしたDML30は、水平対向(バンク角180度)V形12気筒、排気量30リットルで、出力は500PS(DML30HS)~660PS(DML30HZ)にもなり、ここにおいて国鉄もようやく戦前に基本設計がなされたDMH17に代わるディーゼルエンジンを手にすることができ、キハ65やキハ181系など、1960年代後半以降に新製される気動車に搭載されるようになりました。

 

急行形気動車として一応の成功をみたキハ58系は、基本設計を共通にしながら運用する線区に合わせたバリエーションを展開していった。これは、DMH17系エンジンが実用化に至ったことが大きく関係していたといえる。北海道は函館本線など札幌都市圏を除けばほとんどすべてが非電化であるため、気動車が活躍する場は非常に多いが、その都市間輸送でキハ58系を極寒地仕様に改良したキハ56系は、冷房化こそされなかったが数多くが活躍していた。キハ56系の基幹形式となるキハ56は、形式名からもわかるとおり2エンジン車であるが、床下はエンジンと変速機、燃料タンクなどで占められていたため、トイレなどで使う水タンクは屋根上に載せられていた。この水タンクは、2エンジン車か1エンジン車かの違いを見分けるポイントとなっていた。(キハ56 16【旭アサ】 三笠鉄道記念館 2016年7月26日 筆者撮影)

 

 とはいえ、キハ58系などはこれ以後も増備が続けられていましたが、新しい強力なエンジンではなく、変わらずDMH17を搭載し続けていました。新たなエンジンを装備するためには設計を変更しなければならないことや、DML30を搭載したキハ65を編成中に組み込んで「ブースター」的な役割を担うことで解決できるとされたからでした。

 しかし、国鉄では1960年代後半以降は、キハ58系のように従来から増備されていた車両を除いて、基本的にはDMF15やDML30へ以降しましたが、私鉄の気動車では変わらずDMH17が採用され続けていました。これは、私鉄の気動車が、国鉄気動車を基本として設計されていたため、すでに実績がある機器を採用することで、初期不良などのリスクを回避したと考えられます。こうしたことから、結局のところDMH17は国鉄だけにとどまらず、日本の気動車ディーゼルエンジンとしての「標準機」という位置づけになったともいえるのでした。

 

《次回へつづく》

 

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