旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

さらばキハ28 DMH17系エンジンの終焉【3】

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《前回からのつづき》

 

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国鉄の悲願 初の実用ディーゼルエンジンDMH17

 DMH17の実用化は、国鉄にとって悲願ともいっても差し支えないと考えられます。年々老朽化していく蒸機の置き換えと、動力近代化による無鉛化の推進は、国鉄にとって大きな課題であり、その実現のためには実用可能な量産ディーゼルエンジンは欠かすことができないからです。

 DMH17の登場によって、1953年からはキハ10系(製造当初はキハ45000)の量産が始められました。一般型気動車として、初の量産車量であるキハ10系は、DMH17を1基装備した液体変速機をもち、当初より総括制御が可能でした。このことは、2両編成での運用でも運転士は1人で済むことと、編成の組み替えを容易にしたことで、より効率的な車両運用を可能にしたのでした。

 しかし、DMH17には大きな欠点がありました。

 すでに述べたように、水平対向(V形180度)8気筒、排気量17リットルというエンジンは、比較的大型で重量もかさみました。これでエンジン出力が高ければ問題にはならないでしょうが、DMH17は最大出力150PS程度が限界だったのです。言い換えれば、重くて燃料を食う(消費)する割には非力なエンジンだったのです。

 この、燃費が悪く重くて非力なDMH17は、様々な課題を抱えていました。何よりその非力さは、気動車の車体設計に大きな影響を及ぼしてしまいます。旧来の設計方法では車体重量がかさみ、最低限の加速力を確保することすら難しかったのです。また、排気量が大きいことは、それだけ燃料を消費することを意味します。一定の速度まで加速するためには、DMH17は相当量の燃料を消費するため、効率が悪かったのです。

 国鉄初の量産気動車であるキハ10系は、こうしたDMH17にまつわる様々な制約から、電車や客車などよりも一回り小さい車体にせざるを得ませんでした。車体の軽量化のためには仕方がないとはいえ、小さな車体にすることは客室の居住性を犠牲にすることになります。そのため、キハ10系は徹底的な軽量化のために、座席の背もたれ仕切りを省略し、詰め物だけがあるという有様で、非常に粗末なものでした。

 

国鉄が開発した初の鉄道用ディーゼルエンジンであるDMH17は、液体式変速機と組み合わせて実用化にこぎ着けることができた。キハ10系は、DMH17を搭載した初の量産形気動車であり、全国の非電化路線へ投入された。蒸機による客車列車から気動車への転換は、現場でも好評ではあったが、DMH17の非力かつ非効率的な性能は車両を徹底的に軽量化しなければならなかった。一見すると後に登場するキハ20系と似てはいるものの、車体断面は客車や電車と比べて小さくせざるを得なくなり、座席も背ずりはクッション材を詰めただけの簡素な造りとされ、居住性はあまりよくなかった。(茨城交通(現在のひたちなか海浜鉄道キハ11 1(ex:キハ11 19)(©Toshinori baba at Japanese Wikipedia, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons))

 

 10系軽量客車の登場は、気動車の設計に大きなメリットをもたらしました。大幅に軽量化された車体の製造技術は、非力なエンジンを積むしかない気動車にとっても大いに有効で、キハ20系は電車・客車並みの大きな車体規模を確保し、接客設備も簡素なものではなく本来のものになりました。こうして、キハ20系は非電化路線の主役となり、その後、国鉄が開発する様々な気動車の基礎となったのです。

 

10系軽量客車の設計技術は、客車だけでなく電車や気動車の軽量化を実現させた。その技術を使い車体の大幅な軽量化を実現できたキハ20系は、車体断面も電車並みに拡大されたことで、キハ10系とは比べものにならない居住性の向上につながった。そして、国鉄の一般型気動車の標準形式となり、1,126両にものぼる車両が製造された。加えて、キハ20系の成功は準急形気動車であるキハ55系の製造を実現させ、さらには急行形であるキハ58系へとつながっていった。(キハ20 457 碓氷峠鉄道文化むら 2012年7月16日 筆者撮影)

 

 キハ20系の成功により、準急用キハ55系も開発され、優等列車も軽量車体をもつ気動車が量産されました。準急という優等列車に充てられることを基本としていたため、キハ55系ではDMH17を2基搭載したキハ55を基幹形式とし、1基搭載のキハ26や1等座席車キロ25などともに、非電化区間優等列車網の形成と、無煙化推進の一躍を担ったのでした。

 キハ20系とキハ55系が一応の実績を上げたことは、国鉄にとってさらなる気動車による無煙化推進に弾みをつけることになりました。特にキハ55系は、非電化区間優等列車気動車化に貢献しましたが、三等車は客車と遜色ない設備をもちましたが、二等車はリクライニング機構のない回転クロスシートで「並ロ」であり、独立した洗面所がないなど急行列車として運用するには客車と比して見劣りがするものでした。

 そこで、急行列車に充てることができる接客設備をもつ新たな気動車として、キハ58系が開発されました。

 

《次回へつづく》

 

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